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    物置部屋

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    物置部屋

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    付き合ってない耀玲
    明るくない話なのでなんでも許せる方向け
    『雨に想えば』キズナストの話が簡単にですが出てきます
    ※加筆修正有

    またいつか、何処かで会いましょう「おはようございます、服部さん」
    「ん、おはよう」
    カーテンから差し込む光に、優しく起こされた朝。ベッドに、己以外の温もりは残っていない。泉が寝室を抜けてリビングに出ると、服部はぼんやりとした表情のままソファに腰掛けていた。荒れた髪を手で梳いてから、その仕草に目の前の人を重ねて少しだけ気恥ずかしくなる。
    ソファの後ろを通り抜けてキッチンに向かうと、今日は何にするの?朝ご飯。と、問いかける声が飛んできた。スクランブルかベーコンエッグで悩んでますと伝えれば、服部は興味を失ったのか、彼の簡単な相槌をもって会話は終了した。今日は、久々の休日だった。
    「出掛けたりしないの?」
    「そうですね、せっかく晴れてますから散歩にでも行こうかと」
    「それならいつもの公園がいいんじゃない。ちょうど桜も見頃だし、クライナー連れた司に居合わせるかもよ」
    季節はうららかな春。春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、穏やかに眠気を誘う空気に、服部は案の定欠伸をし、目に涙を浮かべている。完食した朝食の皿を片付けながら、今日の散歩は一人か、と思ったところで、服部は徐にソファから立ち上がり、玄関で足を止めた。泉が洗い物の手を止めてそれを眺めていると、「行くんでしょ。早く準備しんさい」と急かされるものだから、泉は面食らったような、面映ゆいような心持ちで、いつもに増して跳ねる水滴も無視して洗い物を終えた。軽い気持ちで言った予定が思わぬ方向に転んだ事で、泉は着る服をきちんと考えておかなかった自分を少しだけ恨んだ。
    「大変お待たせしました!」
    「いいえ。時間はたっぷりある事だし」
    泉が身支度をしている間、服部はじっと玄関で待ち続けた。リビングの向こうから、春らしい可憐な装いで現れた泉を見ながら、服部は柔く微笑む。パタパタと駆け足で服部の元に向かう泉は、一瞬足を滑らせて、かくり、と体勢を崩した。
    「う、わぁ!?」
    「マトリちゃん、」
    それは、言ってしまえば条件反射だった。服部は倒れ込む泉を支えるために、咄嗟に手を出す。…それは、無駄な行為だった。
    差し伸べられた服部の手を、前方に雪崩た泉の身体は音もなくすり抜けていく。
    べしゃ、と盛大な振動と共に床に崩れ落ちる泉と、己の両手を交互に見ながら、服部は深くため息をついた。床に手をついたまま俯いた泉の顔は見えなかったが、どんな表情をしているかは、服部には容易に想像がついた。…きっと傷ついているだろう、泉が今の服部を、初めて捉えたあの日と同じ。
    そう。服部耀は、泉玲に触れることが出来ない。
    「…あはは、やっちゃいました。すみません」
    「…怪我は」
    「ついた手がちょっと痛いくらいで、他は何も。私は大丈夫ですから、行きましょう!公園!」
    せめて気まずさだけは感じさせまいと明るく振る舞うように努める泉が、少なからず無理をしていることは明らかだったが、無理をさせている立場の服部が泉にかける言葉など、何もありはしなかった。

    服部が殉職したとの報せを泉が受けたのは、数年前の夏の頃だった。犯人グループと乱闘になり、その際に頭部を強く打ち付けた服部は、当たりどころが悪くそのまま帰らぬ人となった。当時、泉が悲しみに暮れる日々を送っていたかというと、そうでもない。実感が全く湧かなかったのだ。服部という人間の死がこうも呆気ないのだということが、俄には信じられなかったのだ。
    泉が呆然と立ち尽くしている間に、服部は骨と灰になり、墓に入り、泣くことすら出来ないまま三回忌が過ぎた。仕事は恐ろしいくらい捗り、気を張りすぎだと関に窘められたことも何度もあった。しかしながら、課の人間に泉の永遠に叶うことのなくなった想いを知るものは誰一人としていなかったために、多少無理をしているように見えても、時が経つにつれて泉を窘め心配する声もなくなっていった。
    服部と泉は、特に特別な名前がつくような関係ではなかった。泉が一方的に慕っていた、と言ってしまえばそれまでで、それでも、合同捜査が無事解決した際にご飯に誘われるようになったり、ふらりと姿を消す服部の居場所を探し当てることも少しだけ上手になったような気がしていた。だからこそ、訃報を受けた際に漠然と滲んだかなしみが、水を吸ったデニムのようにずしりと肌に纏わりついて、未だに消えないままなのだった。
    公園の桜は満開だった。足をつける度に、落ちた花弁がふわりと舞うのを楽しみながら、泉はブランコの近くにある小さなベンチに腰掛けた。服部のためにと少しだけ空けたスペースは、その意図通り隣に静かな風を通す。泉の隣に座った服部は、すっと泉の顔を覗き込んでから、ベンチの背にもたれるようにして空を見上げた。
    「…おや、泉さんですか」
    ちょうどその時だった。公園に立ち入る人影を認めて、それが予想の人物と一致していたことに、泉は嬉しくなった。服部さんの言う通りだ、とは、間違っても口には出さなかったが。
    「朝霧さん。こんにちは、いいお天気ですね」
    「本当です。毎日このくらい穏やかであってくれれば良いのに」
    愛犬クライナーを連れて散歩に訪れたらしい朝霧は、泉の姿を認めてベンチの近くまで足を運んだ。クライナーは飼い主が足を止めると大人しくその場にお座りをして、緩やかに尻尾を振った。ふと、朝霧が桜を見上げる。その所作が凛然としていて、平和であって欲しいという言葉の内に込められた決意を垣間見たような気がした。
    「…休めていないんですか?」
    「へ?」
    「少し、やつれた顔をしています」
    桜から視線を戻した朝霧と目が合う。眼鏡越しにも伝わる力強い視線が、今はどこか泉を慮るような色を帯びていた。もちろん朝霧には、泉の隣で呑気に伸びをする服部の姿は見えていないようだった。
    「…そう、かもしれません」
    「自己管理も仕事のうちです。それに、貴方が鬱いでいては、マトリの面々も気が晴れないでしょう」
    彼なりに気遣ってくれているのだろう、その事に嬉しくなって「ありがとうございます」と頭を下げれば、「礼を言われる事ではありません。休める時にきちんと休んでください」と言い残して、朝霧は愛犬と共に公園を出ていった。指摘されるまで、疲労や憂いが表に出ていたことさえ気づかなかった泉は、朝霧の背を見送ったあと、自己管理か、と小さくため息をついた。
    「マトリちゃんはさ」
    「はい?」
    それまで一言も声を発することのなかった服部が、泉の名を呼んだ。名と言っても、いつものあだ名だったが。
    「俺に会いたくなったら、桜じゃなくて、彼岸花を見に来るといいよ」
    その言葉の真意がわからず、泉はぼんやりと服部の顔を見上げた。こちらを見つめ返す瞳の奥はどこまでも凪いでいるのに、泉は何かを掻き立てられるような、ちりちりとした焦燥感に苛まれて、その気まずさからそっと目を逸らした。


    恐らくそれは、未練のようなものだったように思う。
    気づいた時には、寄る辺とするべきものは肉の塊ですらなくなっていて、日常は、服部の不在に少しずつ慣れ始めているようだった。無論、自分が消えたところで回らなくなるような部下に育てた覚えはないので心配はしていなかったが、彼らの心に少なからず滲みを残したのだろうと自惚れるくらいには、服部は彼らに慕われている自覚があった。居なくても仕事が回ることと、居ないと困ることは別だと言ったのは誰だったか。その答えを、服部はよく知っている。
    天国も地獄も信じてはいなかったが、まさか自分が肉の体を失っても死ぬ事が出来ないなどとは想像もしなかった。生前から霊感の類には縁がなかった服部だったが、誰にも気づかれず、触れられず、自身の所在を証明するものが何一つないまま存在することの虚無を嫌というほど理解することになって、こうして悪霊というものが生まれるのか、と思った。だからと言って、嘆き悲しむような質ではなかったが。
    暇を持て余した服部は、時に街を巡回し、時に捜査一課に足を運んで、悪戯程度に場を弄って去った。例えば、菅野が探していた資料を目立つように少しだけずらしてみたり、荒木田が落とした栞を机の上に戻しておいてやるとか、そのくらいの。所謂念力のようなもので、触れることは叶わずとも、無機物を少し動かすくらいのことは出来たので、これがポルターガイストと言うやつか、と服部は呑気に考えた。そのくらいは出来たが、そのくらいしか出来なかった。
    巡回は、主に泉の体質を狙って動く人間に焦点を当てた。これは後から分かったことだったが、服部の死因となった事件に関わったグループの構成員が、薬物の製造と開発に関与する組織に与していたからだ。もし、事件がマトリとの合同捜査に切り替わっていたなら、何か変わっていただろうか。そんな風に思い悩む泉の姿を、服部は一度だけ見たことがあった。
    二年の月日を経て、組織の大元を潰すことに成功した後輩たちのおかげで、泉の周囲を取り巻く環境は少しだけ穏やかに変わった。本人は、そのことに気づいてはいないようだったが。けれど、なんとなく癖になってしまった巡回も、泉を見守る夜も、服部にとって拠り所となっていたのもまた事実だった。
    気づかれない距離で見守っていられれば、それで良かった。のだが。
    何の変哲もない、ある雪の日に。泉が住むマンションのエントランスで、いつものように無事を見届けるため、彼女の帰宅を待っていた時だった。
    「……は、っとり…さん?」
    掠れるような声で、名前を呼ばれた。目をやれば、服部の姿を明確に捉えた泉は動揺の中で、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
    その時、服部は自分がどのような顔をしていたか分からなかった。
    ただただ、こんな残酷なことが、あるのかと。呆然と、そう思った。

    泉が状況を飲み込むのは、存外早かった。その順応力の高さは、自身が薬効体質であることから目まぐるしく変わった生活環境の中で培われたものだろう。二人は、他愛のない話をたくさんした。行きつけのカフェにできた新メニューのこと、パン屋に新しく入ったバイトの店員がえらく美人だということ、頂き物の紅茶が美味しくて、自分でも継続して買うようになったこと。巡回だけでは見えてこなかった泉の日常が、彼女が見ている世界が近づいたような心地がして、服部はそれを素直に喜んだ。泉は度々仕事の話題もあげたが、服部はそれに対して叱責や助言の類を与えることはしなかった。仕事という責任の伴う場で彼女を導き、気づきを促すのはもう自分の役目ではない。何より、今の状況だから許される、そういった話を抜きにしたプライベートな距離感は服部にとって心地が良かった。
    服部は、次第に泉の家に入り浸るようになった。どうしてかと問われれば、存外簡単に答えられるような単純な理由だったが、それを泉に伝えるのも、そしてそんな理由で我儘を通すのも、彼女にとって残酷なことだと誰よりも理解していた。今まで一切涙を見せなかった泉は、時折自室でひっそりと泣くようになった。
    服部は、泉が部屋にこもっている時、彼女に干渉することは極力避けていた。泣かせているのは自分なのだと、気づいていたからだった。けれど、朝霧が言ったように、本来見えるはずのない服部の姿を追うようになってから、泉は見るからに憔悴していた。そしてその原因が自分にあると分かりきっているのなら、いつまでも気づかない振りは出来ない。それは彼女のためにも、自分の為にもならない。そう、服部は理解していた。
    「…マトリちゃん」
    その日の夜、服部は音もなく泉の寝室に足を踏み入れた。日が落ちた部屋はベッドサイドのランプが一つ点けられただけで、随分薄暗い。思えば、寝室を訪れるのはこれが初めてだったな、と呑気なことを考えて、自身を呼ぶ声に気づいた泉の様子を伺った。泉は、声もなく泣いていた。
    「服部さん、どうして」
    「…流石にもう、放っておけないでしょうよ」
    「…みっとも、ないので。あまり見ないでください」
    「やだ」
    泉が体育座りで蹲っているベッドに、服部は腰掛けた。「やだって…」と困惑の表情を浮かべる泉の頬をぽろぽろと零れる雫を、すくいあげられたらどんなに良かったか。
    泉は、服部と行動を共にする時は、努めて明るく振る舞うようにしていた。それは服部への気遣いだとか、そういうものではなくて、ただ泉自身が服部との思い出を明るいまま取っておきたい、その一心だった。答えにたどり着けない謎掛けの類も、こちらを翻弄するような言葉も、泉が知らない多くのことを教えてくれる博識さも、泉がよく知る服部耀という人物が隣に存在する証明だった。
    ただ。無駄だと分かっていても、繋ごうとした手がすり抜けたりとか、髪を撫でられなかったりとか、反射する窓ガラスに姿が映らないとか、そういうもので。この人はここに生きていない、そのことに打ちのめされる瞬間がある。
    この人は、確かにここにいるのに。共に歩める未来がないのだと、漠然と感じた時に。泉は、言いようのない悲しみに襲われて、どうしようもなくなってしまうのだ。
    「俺もいい加減、マトリちゃんの傍からいなくなった方がいいかねえ」
    それは今この場で、と言うよりは、ここ数ヶ月での言動に対する問いだった。泉もそれを理解した上で、ゆるく首を横に振った。分かりきっている。泉が悲しみを内包して尚、服部と過ごす時間を求め、慈しんでいるであろうことなど。それがたとえ、幻だったとしても。
    服部は理解している。選ぶべきは、進むべきは泉ではなく、自分の方だと言うことに。けれどそのために、服部は泉に聞かなければいけないことがあった。服部は、泉を泣かせたくはなかった。
    「俺はこのままいつまでも君の傍にいられる訳じゃない。そうなった時に、どうしたら君は泣かずにいられる?」
    黙って消えることも服部には出来た。そうしなかったのは、泉が不運にも得てしまった服部との再会と、それに付随する二度目の喪失が、彼女にどれほどの影響を及ぼすかが未知数だったからだ。本来この逢瀬は起こりえないものだったはずで、そんなもののために、見てわかるほど憔悴している泉をこれ以上追い詰めることはしたくなかった。
    「…いいえ」
    泉は、ゆっくりと口を開いた。どことなく噛み合わない答えに、服部は視線で先を促した。
    「いいえ。多分、どうなっても辛いです。それで、辛い時は、泣きます。いっぱい泣いて、前に進みます。今までもずっとそうしてきました」
    ゆっくりと、丁寧に、泉は自分の思いを形にしていく。服部はそれに寄り添うように、何一つ聞き逃すことのないように、じっくりと耳を傾けた。
    「こうして服部さんともう一度会うことが出来て、良かったと思っています。それまで、私は泣くことも出来ませんでしたから」
    そう呟いた泉の表情は、掠れた声とは裏腹に穏やかで。泉は服部の再会とその実在をもって、彼の死を実感し、それを受け止め前に進む準備が出来たのだと、そう言って笑ったのだ。
    少しばかり、過保護すぎたのかもしれない。泉には、ちゃんと前に進む意志がある。服部は、その事実を深く噛み締めた。
    「服部さん」
    「うん」
    「好きです」
    「…知ってる」
    ずっと、言えずにいた言葉。服部はとっくに気づいていただろう、それでも。きちんと言葉にする前に、その手を取ろうとする前に、閉ざされてしまった未来。だから泉は、今目の前にいる服部の幻影に、この言葉を伝えるつもりはなかったのに。
    どうしようもなく溢れて、止めることが出来ない。
    服部さん、と何度も名前を呼んだ。好きです、と何度も告げた。同じくらい、涙はとめどなく流れた。服部はその間、ずっと彼女を見つめ、寄り添い続けた。
    次第に言葉も曖昧になって、泉はそのまま泣き寝入りのような形で意識を手放した。その様子を見て、服部は泉の頬に手を伸ばして、するりと肌を撫でるように手を掠めた。
    「…俺も、いい加減覚悟決めろってことかねえ」
    そう一人ごちて、服部は静かに寝室を後にした。泉の安らかな寝息だけが、薄暗い寝室を満たしていた。


    次の日、泉が目覚めた時には、服部は家のどこにも居なかった。酷い姿を晒した羞恥心を振り払って、腫れた目を誤魔化すためにいつもより念入りに化粧をした。
    休日明けの出勤ともあって、ここ数日の泉の様子を心配していた捜査企画課の面々からは、案の定腫れぼったい目を否応なく指摘された。泉は誤魔化すのはやめにしようと思い立って、「ヘコんでいたんですけど、泣いてスッキリしたのでもう大丈夫です」と正直に告げた。泣くほどの悩みを抱えていると本人の口から告げられたことに驚いた一同から、再三無理だけはするなと念を押されて、泉は自分のデスクについた。
    今日は、仕事の後に桧山と会う約束をしていた。情報交換のための資料届け、言ってしまえば伝書鳩のようなものだったが、仕事は仕事だ。思えば桧山含めRevelの人間とは久しく顔を合わせていないな、と思ったその時。
    「彼岸花の花言葉」
    入口の方向から、すっと聞き慣れた声が通った。勢いよく振り向けば、そこには服部が壁にもたれてひらひらと手を振っている。
    「泉?」
    その挙動を訝しんだ青山の声に、泉は我に返る。どうかしたのかと問われてしまえば、辛うじてなんでもないですと答えるのが精一杯だった。
    はっきり言って、泉は動揺していた。昨日の今日だったので、服部はもう自分の前には姿を表さないのだと思っていたからだ。それに、今まで泉の家や散歩、買い物などで行動を共にしたことは数多くあれど、服部がこうしてオフィスに姿を見せたことは一度だって無かった。
    「答え合わせ。花言葉だったら、桧山が詳しいから聞いてみたら」
    泉は振り向かない。けれど、その言葉はきちんと泉の胸に刻まれていく。服部は、泉が今日桧山に会う用事があることを知っていたのだろうか。どちらにせよ、末恐ろしいと感じさせるところは相変わらずだった。
    泉が言葉を汲み取ったと判断したのか、服部はしばらくの沈黙の後、
    「じゃあね。玲」
    そうして、静かに別れを告げた。
    泉はもう一度、今度は怪しまれないように、そっと入口を見やる。服部の姿は、もうそこにはなかった。

    「久しいな、お嬢さん。…少し痩せたか?」
    「お久しぶりです。そう見えますか?特に変わりは無いんですけど…」
    待ち合わせの場所は、桧山率いるRevel行きつけのバーだった。何度か会合場所として招待されたこともあり、場の雰囲気にはだいぶ慣れた。桧山は相変わらず場の空気に呑まれず華やかな、それでいてどこか落ち着いたような独特の空気を醸し出していて、その存在感を知らしめていた。
    泉の言葉は半分嘘で、半分本当と言ったところだった。喜ぶべきかは分からないが、特に体重が減ったということも無いが、かと言って何も無かった訳でもない。
    今日やるべきことは資料の受け渡しだけで、もちろんそれは時間をかけずにさっと済んだ。泉は少し逡巡してから、桧山を引き止めることに決めた。
    「仕事とは全く関係ない話なんですけど。少しだけお時間いいですか」
    「構わない」
    「えっと。彼岸花の花言葉を教えて頂きたくて」
    思い出していたのは、今朝の服部の言葉だった。彼岸花の花言葉。「答え合わせ」とも言っていた。仕事の合間に調べられれば良かったのだが、休日明けの積み上がったタスクを前に断念したのだった。
    「彼岸花、か。諸説あるが、代表される花言葉は情熱、独立、再会、諦め、悲しい思い出、と言ったところか」
    桧山は、理由や動機といった、問いに対するあらゆる情報の開示を求めてこなかった。恐らく桧山にとってそういうものを詮索することに意味は無いのだろう。泉にはそれが何より有難かった。
    「それから、」
    穏やかで芯のある声が、その言葉を紡いだ瞬間に。泉玲の恋は、随分呆気なく実ってしまった。気づいた時には、何もかもが手遅れだった。桧山を困らせると分かっていながら、泉は溢れる涙を止めることが出来なかった。

    以降、服部耀が泉玲の前に姿を表すことは、二度となかった。




    彼岸花
    花言葉:想うのはあなたひとり
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    物置部屋

    MOURNING伊田にまつわる小話三つ カップリング要素はないです
    伊田と未守 一線を引いた話
    伊田と服部 無自覚にかけた呪いの話
    伊田と宮瀬 先に進まざるを得なくなった話 の三つです
    ※加筆修正有
    在りし日の空の色日脚


    「今日の聴取、流石にやりすぎだったんじゃないのか」
    午前の聴取を終え、軽食を頬張る昼休憩。伊田は頼まれていた缶コーヒーを未守に差し出しながら、少し間隔を空けて左隣に腰を下ろした。左手に下がるビニールには、同じく缶コーヒーと切らしていた煙草、そしておにぎり数個が無造作に放り込まれている。対する未守は受け取った缶をすぐには開けず、そのまま床に置いてサンドイッチを食している。内容物はハムチーズに大量のキャベツ。栄養価の観点から言えば僅差で伊田の負けである。
    「悪事を働くことに躊躇いがない人間は、何度だって繰り返す。それも次々と手口を巧妙化させてね。巻き込まれる方はたまったものじゃない」
    パンくず一つこぼさずに昼食を終えた未守は、乾いた口内を潤すためか缶コーヒーを開ける。缶特有の空気音が響く。伊田は、コーヒーを飲み込む彼女の口から先刻まで発せられていた文言の数々を思い返しながら、静かに息を吐いた。
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