寒さに弱い七海の七灰.
冬はあまり好きではない。
低温の中ではどうしても身体は動きににくくなるくせに、体温調整の為に消費カロリーは増えてしまう。それに、冬季うつと呼ばれる季節性感情障害から生じる人間の陰気は、呪術師にとっても大いに関係してくる部分である。生理的な面からも精神的な面からも、効率を考えると恒温動物である人間も進化の過程で冬眠というシステムを取り入れるべきだったのだ。
なんて馬鹿げた理論を展開したくなるくらい、冬は憂鬱な時期だった。
けれど。今年の冬は、今までと少し違っていた。
ふと、意識が浅いところまで浮上した。
頭はまだ目覚めきっていないが、キンと冷たい空気が鼻を抜けて反射的に身体がこわばった。どうやら、しっかり被っていたはずの掛け布団がずれているらしい。高専の寮は築年数が古く、木造ということもあって隙間だらけ。本格的な冬が訪れてからというもの、隙間風と底冷えの影響で朝方に吐く息が白くなることも日常茶飯事だった。
もぞもぞと手探りで布団を引き上げ、冷えてしまった鼻先まで完全に覆い隠す。だが、布団の中に何か足りないような気がして、七海はようやく重たい瞼をほんの少しだけ開けた。
寮に備え付けのシングルベッド。育ち盛りには一人でも少々手狭に感じるベッドの、さらに右半分。
そこにあるはずのぬくもりがなくなっている。正確にはまだ温かさはあるのだが、そのぬくもりの主である灰原がいなくなっていたのだ。
昨晩、寒さも忘れるくらい夢中になって灰原と抱き合った。唇が腫れぼったくなるまでキスをして、しっとりとした素肌にくまなく触れて、温かくて柔らかな場所へと己の熱を埋めた。
──ななみ。
熱っぽい吐息の合間に頬を真っ赤にした灰原から名前を囁かれた時は、普段の自分では考えられないくらい全身が燃え上がるように熱くなって、必死に灰原を求めてしまった。
ことが終わってからはお風呂に入り直し、湯冷めしないうちに再び二人して狭いベッドへと潜り込んだ。湯船に浸かっていた時から半分眠っていた灰原は、布団を被るとすぐに気持ちよさそうな寝息をこぼし始めた。
同じように温まったはずが灰原はまるで湯たんぽのようにホカホカで、そんな灰原をしっかりと腕の中に閉じ込めて眠りについた。そのはずなのに。
布団の中での居場所がなくなった腕を引いた七海は、鼻先まで布団を被ったまま視線だけを動かして現状を確認した。部屋の中はまだ暗いが、カーテンの向こう側はほんのりと明るくなっている。日の出の遅いこの時期なら、そろそろ起き出す時刻になっていてもおかしくはない。
だが、今日は休日だ。任務も課題も先輩たちからの誘いも何もない、正真正銘のオフ。流石に一日ベッドの中で、なんて思ってはいないが、熱い夜を過ごした翌朝なのだから多少寝坊してゆっくり余韻を楽しんでもいいはずだ。
それなのに、一体灰原はどこへ行ったのだろう。
鼻先まで引き上げた布団の中は温かい空気に満たされている。だが、手持ち無沙汰の腕の中は、まるですきま風が入り込んでくるかのようにどうにも落ち着かなかった。
正直、二度寝はしたい。だが、隣に灰原がいないまま眠るのはなんだか物足りない。
仕方ない。寒いが、起きるか。
そう決意を固めた時、廊下へ続く建付けの悪い扉の開く微かな音が七海の耳へ届いた。どうやら、部屋を出ていたらしい。台所と居室を隔てる引き戸も小さく軋みながら動いた後、薄暗い部屋の中に灰原の気配が戻ってきた。
そろりそろり、と。極力足音を消して灰原がベッドの方へ近づいてくる。このまま素直に布団を捲って「おはよう」と声をかけようか。だが、きっちりした姿を見せるよりも、手持ち無沙汰の腕の中を満たしたいという欲求の方が勝ってしまった。
様子を見にきたのだけかと思ったが、灰原ももう一度眠るつもりだったらしい。静かに布団の端を捲った灰原がベッドの中に潜り込んでくる。好都合だと内心ほくそ笑んだ七海は、モゾモゾと体勢を整えていた灰原を少し強引に抱き寄せた。
「わっ!え?七海?」
驚きながらも大人しく腕の中に収まった灰原を、ぎゅうっと力一杯抱き締める。寝巻きのスウェットの表面は想像していたよりもひんやりとしていて、頬に触れる灰原の首筋の素肌もいつもより少し冷えていた。
「ごめん、起こしちゃった?」
「……いや、さっき起きた」
「そうなんだ。いつもよりちょっと早起きだね」
ふふ、と吐息だけで笑った灰原の腕が背中へ回る。ぽんぽんと、褒めるような手つきがなんだかくすぐったい。それを誤魔化すように、七海は灰原の首筋から少し顔を離した。
「どこ行ってたんだ?身体、少し冷えてるけど」
「自分の部屋の炊飯器セットしてた」
「炊飯器……?」
「炊き立てご飯食べたいなぁ、って」
そこまで聞いて、七海は今の今までベッドの中にいた自分を恥ずかしくを思った。昨夜のことを踏まえると、率先して自分が動くべきだというのに。
「すまない。そこまで頭が回っていなかった」
「いいよ。七海、朝も寒いのも弱いし。ていうか、七海の部屋炊飯器ないし」
「でも、そういうのは私がやるべきことなのに」
甘えるように灰原の背中へ回していた腕を緩めて、腰をそっと撫でる。その意味を理解した灰原はほんのりと頬を染めてはにかんだ。
「じゃあ、おかずは七海が作って。僕、だし巻き玉子食べたい。あとは……具沢山のお味噌汁も」
「分かった。ウインナーあるけどそれも食べるか?」
「食べるっ」
皮がパリパリのやつだぞ、と付け加えると灰原は「やったぁ!」と破顔して、ぎゅうっと抱きついてきた。
顔面に胸元が押しつけられて少し苦しい。だが、服の向こうから灰原のぬくもりと鼓動が伝わってきて、七海は灰原の腰に回した腕へもう一度力を込めた。