うちのクラスの降谷は赤井先輩と同棲してるらしい⑤初デート 遡ること十数時間前―――。
西島先生のDVDの呪いを解いた後、シャワーを浴びた僕を怖い顔をした赤井が待ち構えていた。
「えっ、どうしたんですか?僕のお風呂長かったですか……?」
「違う」
赤井は否定しているものの奥歯を食いしばる様な形相をしていた。
「お腹空いたなら何か作りますけど……」
「そうじゃない。とりあえずここに座ってくれ」
赤井にそう言われて僕はソファの赤井の隣に腰を下ろした。
「明日は同棲して初めて過ごす週末だな」
「変な言い方はしないでって言ってるでしょう?ルームシェアですから」
しつこいぐらいに否定しているのになぜか赤井は頑なに僕とのルームシェアを同棲と言いたがる。辞書によると結婚してないひとが同じ家に住むことを指すようなので厳密にいえば間違いではないのだが、それでも人が聞いたらどう思うかは想像にたやすい。
「まあ、週末らしい週末という意味ならそうですね。先週は僕の引っ越しでバタバタしてましたし、赤井もバイトでしたよね。今週末はバイトないんですか?」
「なくはないんだが……」
「ふうん。あ、僕は外泊しますから。戸締り気を付けてくださいね」
「は?」
赤井はがばりと音がしそうな勢いでソファから立ち上がった。
「な、なに……?」
「どこに泊まるつもりだ……」
「どこって……友だちの家ですけど?」
「名前は?」
「あなたが知らない人ですよ……僕のクラスメイト」
「諸伏くんか?」
「違います。だ、誰でもいいでしょ……」
「良くない。なぜ今言い淀んだんだ?何か後ろめたいことがあるのか?」
「そ、それは……」
赤井がじりじりとにじり寄るので、僕はソファの背もたれに背中を押し付ける形となった。このままでは赤井に全部喋らされてしまう。そう思った僕は咄嗟にハロの名前を呼んだ。
「ハロ!!赤井が散歩しようって!」
「アンっ!」
すると、どこからともなく現れたハロが赤井の胸に飛びついた。
「こら、ハロはズルいぞ!ちゃんと話を……!」
「おやすみなさい!!」
僕はそう言って自分の部屋に駆け込んだのだった。
そして今日。僕はクラスメイトの飯島の家に遊びに来ている。なぜそのことを赤井には話しづらかったと言うと……。
「それで、俺と親父は慌てて車に戻ったんだ。エンジンをかけてすぐに車を発進させようとしたんだけど、誰もいないはずの後部座席から子どもの声がしたんだ。『あ~そ~ぼ~』って」
「うわああっ……」
悲痛な声を上げて膝を抱えたのはヒロだった。ヒロは昔からこういう話が苦手なのに、なぜか飯島の家の怪談大会に参加していた。
そう、今日こうして飯島の家に泊まっているのは、オカルトに詳しい飯島に幽霊の話を聞きたかったからなのだ。
飯島は子どもの頃は霊が見えていたそうで、それをきっかけにオカルト的なものに嵌まったものの、興味を持った途端に見えなくなってしまったと言う不運な霊感の持ち主だった。
それでも怪談やホラー映画は今も大好きだそうで、僕が心霊現象に興味があると話したら、それなら怪談をやろうということになったのだ。
「諸伏は怖がり過ぎだけど、飯島の話はさすがにリアルだよな。俺も鳥肌たったもん」
そう言って自分の腕を見せたのは田中だ。田中とヒロと僕、そして飯島が今回の怪談大会の参加者だ。大会というには人数が少ないが、本当の大会前の前哨戦のようなものだと飯島は言っている。
というのも、飯島はオカルト研究会、通称オカ研に所属していて、オカ研では毎年夏休みに全校生徒から有志を募って怪談大会を催しているそうで、すでにその準備の真っ最中なのだ。
「最近は怪談を話すよりも大会の準備のことばっかりでさあ。降谷が誘ってくれてすげえ嬉しかったんだよ!」
「そうなんだ……」
同じ視えるひとでも色々なタイプがいるんだな。飯島は話したくてうずうずするタイプのようだが、赤井は聞いたことに最低限のことしか答えてくれない。最初は馬鹿にされてるような感じがしたが、最近は僕を怖がらせないための配慮なのかもしれないとも思うようになった。
「飯島は初めて見た時からそれが幽霊だってわかったの?」
そう聞いたのは、僕が見た二つの幽霊は一見すると人間のように見えたからだ。普通の人間だと思って通り過ぎてしまうひともいるのだと赤井は言っていた。
「いや……最初は幽霊だと思わなかったよ。だから、俺は怖い『人』がいるってよく泣いてた」
「怖い人……」
「ああ。この世のものじゃないってわかってからの方がホッとしたぐらいだったな」
「なるほど……なんとなくわかるかも」
僕は西島先生の呪いのDVDのことを思い出していた。あのDVDは確かに呪いがかかっていたけれど、霊感がない僕からしてみれば、あんなものを自分の友人に手渡した『人』がいることのほうが怖かった。
この話はさすがにヒロには言えないし、幽霊が見える赤井に『人』のほうが怖いなんて言うのは憚られたから、ずっと胸の奥に痞えたままになっていた。
「なに?降谷も心霊体験したわけ?」
「あ、うん……ちょっと前にね……」
「えっ、マジで!?」
僕はハロと出会った時のことを掻い摘んで飯島と田中に話した。その間ヒロは一度聞いた話だと言うのに、ずっと飯島の家のクッションに顔を押し付けていた。
「うわ……マジかよ。この近所じゃん!?」
「うん……」
「そういえば、小学生の頃、友達から聞いたことがあったな……。喪服を着た口裂け女の話」
そうか、あれがかの有名な口裂け女だったのか。赤井とハロによって除霊されたけれど、彼女の禍々しさは年季が入っている感じがした。俳優や有名人と同じで、幽霊や妖怪もより多くの人に語り継がれていると貫禄が出てくるものなのだろうか。
「飯島は見たことないのか?」
「だから俺は泣き虫だったんだって。幽霊が出るって聞いたらそっちの道は絶対に通らないようにしてたよ」
「不思議だよな……そんな飯島が今は人を怖がらせる方にいるんだから……」
ヒロがクッションを抱えたまま恨めし気にそう言うから僕と飯島と田中は声を上げて笑ってしまった。今はもう夜の十時を回っている。今日は飯島の家族が親戚の家に出掛けていてよかったなと僕は思った。
「そろそろ諸伏が可哀想だから他の話にするか」
「ありがとう、飯島……!」
「よおし、怪談の次って言ったらあれだな!」
そう言うと田中はなぜか腕まくりをし始めた。
「あれって?」
「猥談だよ、猥談!!」
「ええっ」
そう言って顔を顰めたのは僕と飯島だった。ヒロは怪談よりは全然いいと言って、ようやくクッションを膝から下していた。
「なんだよ、ふたりともノリが悪いなあ」
「俺は別にいいけど……俺、あっちだよ?」
「えっ、そうなの!?」
田中が驚いていたが、僕は何のことなのかわからずヒロの方を見た。ヒロはそんな僕を見て苦笑していた。
「あっちって??」
「だから……俺、ゲイなんだよ」
「ああ、そうなんだ」
「いや、反応が普通過ぎるだろ?」
田中に突っ込まれても僕はそれ以上なんと言ったらいいかわからなかった。ゲイってことは男性が好きなんだろう。飯島から聞いたのは初めてだけど、そう言う人もいるということは知識として知っていたから、存在しないと思っていた幽霊を実際に見た時ほどの衝撃ではなかった。
「もしかして降谷も……?」
「僕?僕は……う~ん、わかんない。でも初恋は女の人だったな」
「わかんないって!わかんないもんなのか?」
田中はそう言うとなぜか僕ではなくヒロの方を見た。
「ゼロはこう見えて女の子と付き合うとか全然なかったから。ピンとこないのかも」
「ええ、マジかよ!?」
「よくぞ今まで無事だったな……」
「え?」
僕は飯島と田中からしげしげと眺められてちょっと居心地が悪かった。
でもその後はお互いの好きなタイプの話とかをして、結局はあっちもこっちもなく、男子高校生らしい猥談に盛り上がった。
一緒に笑い合っていたけれど、僕の頭には時折ふわふわっと赤井の顔が浮かんでいた。あのなんでも見透かしていそうな緑の瞳とか、僕の手を掴む僕より大きな手だとか、紅茶の香りがする唇だとか……。そうなるたびに顔を何かで隠したい衝動に駆られて、僕はヒロが使っていたクッションを膝に乗せ、にやけた顔を誰にも気づかれないようにそこに押し付けていた。
「ああ~なんか暑くなってきたなあ」
「俺もそう思ってた。なあ、これからコンビニに行ってアイスでも買わない?」
「いいね」
僕たちはそれぞれ財布だけを持って飯島の家を出た。
土曜日の夜ということもあって、人通りは少なくなかった。コンビニには僕たちぐらいの高校生が他にもいて、やはりアイスを買っていた。それを見て僕は夏が近いことを感じていた。
溶ける前に食べてしまおうと言うことになり、僕たちはコンビニの外でアイスにかぶり付いた。僕が買ったのはレモンのアイスバー。新商品のアイスにも惹かれたんだけど、昔から好きなアイスをやっぱり買ってしまった。ヒロが買ったのは僕が悩んだ新商品のバニラアイスだった。
「ヒロ、それ美味しい?」
「ん、結構うまいよ。甘いけど」
「一口ちょうだい」
「また?仕方ないなあ……ほら」
僕はヒロが差し出してくれたアイスにもかぶり付いた。
「ゼロはいっつも同じアイス買うくせに俺が買ったアイスを欲しがるんだよ」
「うわ、子どもかよ」
「うっ……新しいの買ってみたいと思うんだけど、このレモン味が好きなんだ……」
「それを見越して諸伏は降谷が食ってみたいやつを買ってるのか?」
「まさか、たまたまだよ……」
「ふうん」
「あ、飯島のはヒロのと味違いの新商品だよね?」
「俺のはやらないぞ」
飯島は妙にきっぱりとそう言った。
「まだ頂戴って言ってないだろ……」
「はは、でも、ダメって言われると食べたくならないか?」
「……なる」
「それなら、今度買うときはこれ買えよ。……俺は降谷が買ってるやつ買うから」
「え?うん、じゃあ、そうする」
僕たちは食べ終わったアイスのゴミをコンビニのゴミ箱に入れて、飯島の家へと歩き出した。田中とヒロが後ろを歩き、僕と飯島が並んで歩いていた。
「飯島はある日突然、幽霊が見えなくなったのか?」
「え?ああ、そんな感じだったな……まあきっかけはなんとなく覚えてるけど」
「そうなの?」
「うん……初恋をしたあとすぐに見えなくなったんだ」
「えっ……それは男の子……?」
「ああ、そうだよ。クラスの男子だった。そいつを好きだと思ったら急に幽霊が消えたんだ。世界がまるっきり変わったみたいだった」
飯島は僕を見て真剣な表情でそう言った。僕は彼の気持ちを推し量ることしかできないけど、そんな風に世界が変わってしまうような衝撃をつい最近味わったような気がした。
「なに、なんのはなし?」
田中に声を掛けられた飯島はいつもの表情に戻っていた。
「怪談の続き」
「ええっ」
「諸伏のその声いいなあ。そんな風に怖がられると話し甲斐がある」
「褒められても嬉しくない!」
「はは……あ、そういえば」
飯島はそう言うと住宅街の十字路で急に足を止めた。
「どうした?」
「この辺にさ、ずっと空き家になってる家があるんだけど」
「この辺!?」
ヒロは小さく悲鳴を上げると辺りをキョロキョロと見回した。
「ヒロ……まだ幽霊が出るとは言ってないだろ」
「そ、そうだよ。ビビりすぎだって」
そういう田中の顔が引き攣っているのを僕は見逃さなかった。飯島もそれに気が付いたようで、僕に向かってこっそりにやっと笑った。
「そこでは昔、ピアノ教室をしていたんだ……俺の同級生も通っててさ。だけどある日突然、引っ越しちゃったんだ。生徒たちに何の説明もなかったから色んな憶測が飛び交ってた」
飯島はそう言って再び歩き出した。
「そんな時、その家から夜中になるとピアノの音が聞こえるって言いだした奴がいて」
「ええっ!?」
「俺は空手を習ってたんだけど道場の帰り道にそこをどうしても通らなくちゃいけなくてさ……」
「お、おい、飯島?さっき来たときと道が違くないか?」
「ある冬の日、暗くなってから家に帰ろうとしていたらピアノの音が確かに聞こえたんだ」
「ゼ、ゼロ、飯島を止めてくれ!」
「う~ん……多分、もう止まるんじゃないかな……」
「「えっ」」
僕と飯島の後ろで田中とヒロが顔を見合わせた。
「降谷、よくわかったな!そう、ここがそのお宅で~~す」
「「ええっ!?」」
そこは一目で空き家とわかる家だった。門扉は完全に壊れてしまっていて、風が吹くたびにキイキイと音を立てている。庭の木は伸び放題で、玄関以外は外からでは見えなくなっている。
飯島はその家を見上げて耳を澄ませている様子だった。僕も、そして田中とヒロも口を噤んでピアノの音色を耳で探したけれど、どこかの家のテレビの音が聞こえるばかりだった。
「聞こえないな……」
飯島が少し残念そうにそう言うと、突然俺たちではない声がした。
「そこで何をしてるんだ?」
「えっ……赤井!?」
僕が振り返ると、僕たちの後ろに私服の赤井が立っていた。
「どうしてここに!?」
「君こそ」
「僕は友だちの飯島の家に泊まりに来ていて、それでコンビニに行って帰るところですけど……」
こんなところで偶然会うなんて思っていなかった僕はどうしたらいいかわからなくて思わずヒロを見た。ヒロは聞かれても困るといった様子で首を横に振った。
「赤井先輩……もしかして心霊スポットめぐりとかですか?」
そう言ったのは飯島だった。「そんなわけないだろ」と田中が慌てていたが、赤井は「まあそんなところだ」と言って、例のピアノ教室の門に手を掛けた。
「えっ、やっぱり!俺、三年の先輩に聞いたことがあったんですよ!前に怪談大会に赤井先輩が参加したとき、すげえ話をしてくれたって。それなのにオカ研には入ってくれないって残念がってましたよ」
「ふっ、そうか」
赤井は鼻で笑うと家の中に入って行ってしまった。
「ちょ、ちょっと!」
こんなところで堂々とバイトしてるところを見られて大丈夫なのか?先生には隠してたみたいなのに……。
僕の心配をよそに、赤井は僕たちを振り返った。
「君たちも来るか?」
「はい!行きます!」
そう応えたのは、もちろん飯島だった。
田中とヒロには外で待っていたらと言ったが、外で待っているのも怖いからと言って結局赤井も含めた五人でピアノ教室の家の中に僕らは足を踏み入れた。
内装は外見よりも綺麗で、当時の面影を残していた。壁には子ども向けのポスターが貼ってあって、飯島がスマホのライトをかざすと四分音符と八分音符と十六分音符が書かれていた。その隣には八年前の日付のカレンダーが掛けられていた。
「時間が止まってるみたいだな」
「そうだな……」
一体この家に何があったのだろう。子どもたちに理由も伝えずこの家を去らなければいけなかった先生は今どこで何をしているのだろう……。
「なあ、もう出ようぜ!!」
声を潜めてそう言ったのは田中だった。その隣に立っているヒロもあたりをキョロキョロと伺いながらうんうんと何度も頷いている。
「今入ったばっかだろ?」
「そうだけど……」
「降谷くん」
赤井に呼ばれてそちらを見ると赤井は至って無表情で二階に向かう階段に足を掛けていた。その姿をみたヒロがまるで幽霊でも見たように小さく「ヒッ」と声を上げた。
「少し手伝ってくれないか?」
「えっ、あ、はい……」
「君たち三人は一階を探してくれ」
「探すって何を……?」
恐る恐る尋ねた田中に赤井は意地悪そうな笑みを浮かべて「もちろん、幽霊だよ」と言った。
「まったく……あんな風に怖がらせることないでしょう?」
「はは」
階段を上り切った赤井は笑いながら階段から一番近い部屋のドアを開けた。
赤井がそこに入ったと言うことは、幽霊はそこにいるに違いない。僕は恐る恐る赤井のあとに続いた。一体どんな幽霊が出るのだろう。僕にも見えるタイプなのか、それとも見えないタイプなのか。僕が部屋の様子を伺っていると赤井が部屋のドアを閉めてしまった。
「やっと二人きりになれた」
「は……?」
何言ってるんだ、コイツ?僕が赤井の顔を見ると赤井は悪魔のような意地悪さ百パーセントの笑みを浮かべた。
たん、たんたんたん……♪
一階から聞こえてきたのは間違いなくピアノの音色だった。一瞬の間をおいて三人の「ぎゃーーー」という悲鳴が空き家の中に響き渡った。
「ヒロ!?赤井、お前……わかっていて二階に上がってきたな!?」
「何のことかな?」
「幽霊が一階にいるってことをだよ!」
この前西島先生の家に行った時、赤井は呪いのDVDが寝室にあることをすぐに当てていた。そんな赤井のことだからこの家に入った時点で幽霊がどこにわかっていたに違いない。それなのにわざとヒロたちに一階を探させるなんて……!
「信じられない!!」
僕が殴りかかると赤井はそれをひらりと躱した。
「避けるな!!」
「俺を殴ったら困るのは君と君の友人じゃないか?」
「なに!?」
「俺がいないと幽霊を成仏させられないぞ」
「くっ……わかってるなら早く一階に……」
「君からキスしてくれ」
「はあ!?ここで!?」
「キスしてくれないとヤル気が出ない。君、今日の分のキスをしないで俺が寝ているうちに出掛けただろ」
「そ、それは……午前中はバイトが入ってたから……」
「ホオ」
赤井がふんとそっぽを向くと再び一階から「ひいいいいっ」という悲鳴が聞こえて来た。どうやら家から出られない状況らしい。
「わかった!キスする!するから……!」
僕は急いで赤井に駆け寄った。
「一回だけですよ……?」
「状況が状況だから仕方ないな。明日は繰越で十九回キスするぞ」
「もう、わかりましたよ」
僕は赤井の肩を掴むと、その唇にそっと唇を重ねた。
「レモンの味がする」
「それは……さっきレモンのアイス食べたから」
「なるほど……よし、ヤル気が出た」
赤井は颯爽と階段を降りると迷うことなく廊下の奥の部屋のドアを開けた。それに気が付いたヒロたちが、僕たちに駆け寄ってきた。
「ゼロ、大変だ!玄関が開かない!」
「窓もだめだ!」
「ていうか、このピアノの音どこから……あっ」
そう言った田中の視線の先を見るとドアの先にグランドピアノがあり、その椅子に赤井が腰を下ろそうとしていた。
「「「赤井先輩!?」」」
赤井は僕たちの方を振り返ると、唇の前にすっと人差し指を立てた。
そしてひとりでに音を奏でる鍵盤に手を乗せた。
たんたんたたーん、たんたんたたーん♪
赤井の右手が加わると、僕も聞いたことがあるワルツに代わった。そうか、左手の部分しか聞こえなかったからわからなかったんだ。
一曲弾き終わったところで、僕は家の中の空気が軽くなるのを感じた。赤井はピアノの椅子から腰を上げると、顔色一つ変えずに僕たちの方へと歩いて来た。
「もう出られるぞ」
その言葉で僕は除霊が終わったこと察した。
「あ、あの赤井先輩!」
玄関の方へと歩いていく赤井に駆け寄ったのは飯島だった。
「もしかして幽霊が見えるんですか?」
そう尋ねられた赤井はすっとぼけた顔で首を傾げた。
「いや?」
「え、でも、今幽霊とピアノを弾いてたんじゃ……」
「ピアノは子どもの頃に習わされていたんだ」
「は、はあ……?」
「当時は嫌々だったが習っていてよかったよ。こうして幽霊と連弾できたんだからな」
赤井はそう言うと、飯島の肩をポンと叩いて玄関を出て行った。
「何だったんだ……?」
「さあ……」
三人がポカンとしていると、外から「ああそうだ」という赤井の声が聞こえた。何かと思って僕が玄関に出ると、それを見た赤井がにやりと笑ってこう言った。
「明日は早く帰っておいで、降谷くん」
「な、なにを言って……!?」
その夜、僕が二人から赤井とどういう関係なのかと追及されたのは言うまでもない。
翌朝。飯島が空手部の練習だったので、僕たちは朝の早い時間に解散した。
僕は赤井にどんな仕返しをしてやろうか、そればかり考えながら赤井の家にむかって歩いていた。
昨夜は赤井と僕がどういう関係なのかと田中と飯島から散々追及され、僕は寮を出た後、赤井の家に下宿していることは白状せざるをえなかった。
まったく赤井は一体何を考えているんだ!?
僕が勢いよく赤井の家の玄関を開けると、赤井の姿はまだなかった
もしやと思い僕は赤井が寝起きしている書庫へと忍び足で向かった。人に早く帰って来いと言ったくせにあの男は……!
こうなったら起き抜けからめちゃくちゃにキスしてやる。いくらキス好きの赤井でも寝起きからキスされたら煩わしいと思うだろう。
僕がドアを開けると赤井は静かな寝息を立てていた。ベッドサイドには分厚い本が開かれたままになっている。昨夜も遅くまで本を読みふけっていたようだ。
僕はベッドの横に膝を付き、赤井の顔を覗き込んだ。こうして黙っていればハンサムなのにな……。
「赤井……起きないとキスしちゃいますよ……?」
そう声をかけても赤井はまだ目を開けなかった。よおし、起きないお前が悪いんだからな……!
僕は首を伸ばして赤井の唇にキスを落とした。まだ起きない。それならもう一回。今度はちょっと長めにキスしてみたが、それでも赤井は起きなかった。朝が弱いのは知っていたけど、まさかこれほどだとは……。
僕はこれで最後にしようと、もう一度唇を赤井のに近づけた……。
「んんっ!?」
僕は唇を重ねたまま声にならない声を上げた。僕の唇の間に赤井が突然舌を入れて来たのだ。赤井が寝ていると油断していた僕は、驚いたはずみで体勢を崩してしまい、そのままベッドの上に倒れた。
「んんっ、赤井っ、やめっ、んん」
「おはおう、降谷くん。最高の朝だな」
「……この寝坊助野郎!ちゃんと早く帰ってきたのにまだベッドの中にいたんですか!」
「君が起こしてくれるのを待っていたんだ……」
赤井はそう言うとベッドから上半身を起こして大きく伸びをした。
「赤井のせいであの後大変だったんですからね!!」
「ん?」
「友だちにあなたとルームシェアしてるってバレちゃったから、どんな関係なんだって追及されて……」
ただのルームシェアだったら追及されたってかまわなかった。むしろ隠す必要もなかったんだ。それなのに赤井が僕にキスしたりするから。僕は赤井との関係に名前が付けられなくなったんだ。
「周知されたなら好都合だ」
「はあ!?」
「今日はデートしよう」
「えっ……?」
「君と出掛けてみたいと思ってたんだ」
そう言う赤井の顔はなぜかとても幼く見えた。まるで友だちに貸してた玩具が帰ってきたみたいな。どちらかというと大人びて見える赤井のことをそんな風に見てしまっている時点で、僕はもうダメなのかもしれない。
「それで、先輩と何処に行ったんだ?」
「近所のカフェでコーヒー飲んで、図書館で予約した本を受け取って、あ、あと献血した。ボールペンとお菓子もらったよ」
「うん。その後は?」
「博物館でプラネタリウム見て、移動販売の車で焼き鳥買って帰った……はは、デートっていうか散歩だよね」
「ふうん……大事にされてるんだな」
「ええ!?どこが?」
「だってゼロが好きそうなことばかりだから」
「あ……確かに」
「赤井先輩って結構お金持ちなんだろ?それなのにゼロが気を遣わないぐらいの金額で一日遊んでくれたんだから、赤井先輩はゼロのことをわかってくれてるんじゃないかな?」
「そうなのかな……」
僕はヒロの方を見れなくて自分の机の上に目を落とした。筆箱の中には昨日貰ったボールペンが入っている。赤井も同じように使ってくれているだろうか。
「あと……これは言うか言わないか悩んだんだけど」
ヒロは教室の中を見回した。放課後の教室には僕とヒロしかいなくて、外からは空手部が外周を走るときの掛け声が聞こえた。
「どうしたんだ?」
「あのさ……飯島がゼロのことを好きだって気が付いてた?」
「……えっ?」
「やっぱり気が付てなかったか~~」
「う、うん……じゃあもしかして、ヒロが怪談大会に参加してくれたのってそれが気になったから……?」
「まあ、そんなとこ。ゼロってそういうのに免疫ないからさ、飯島からアプローチされても気付かないんじゃないかって心配になったんだよ。まあ、結局、赤井先輩に全部持ってかれたけど」
「え、えっと……心配かけてごめん?」
「いいよ、俺が勝手に気になっただけだから。それに、飯島はこれでよかったって言ってたよ」
「え?」
「もし男だからって理由でゼロにフラれたら落ち込んだかもしれないけど、ゼロは飯島のカミングアウトを自然に受け止めただろ?それが嬉しかったって。あと、赤井先輩になら負けても悔しくないってさ」
「……え??それどういう意味なんだ?」
「はあ~~~~これだからゼロは……」
ヒロの長いため息を聞いてちょっと申し訳ない気持ちにさせたけど、それ以上に気に掛けてくれる人がいることに僕は安堵してしまったのだった。