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    いろいろ捏造

    兄上どんな人やろな、で捏造してる話(ケ4〜7)◯ケ・セラ・セラ 第四話

     「なにしに来たの?」
    「なにって……お見舞いだね」
    「君が?」
    「そうだね」
    ここで二人は視線を合わせたが、それだけで会話が途切れてしまった。
     日和はどこから取り出したのか、それともお見舞いのフルーツバスケットについていたのか、果物ナイフを手に持った。林檎を盛る皿も用意し、先ほどまで敬人が座っていた椅子に座る。足元にゴミ箱を持ってきて、剥いた皮はそのまま入れるらしかった。林檎をナイフと反対の手に持つ。林檎に近づけるナイフの角度からしてどうも皮を、くるくる回して剥こうとしているようだ。
    「あっねえ、日和くん……?」
    じっと動きを見ていた英智は、おずおずとした声で一旦呼び止めた。相手も顔を上げる。
    「なあに?」
    「林檎、兎の形にしてよ」
    日和は目をぱちぱちと瞬いたが、やがて「はいはい」と言った。
    「じぃー……」
    「目線の擬音を口に出して言わないでほしいね」
    「だっ、だって、こんな音も出そうだよ。なんで君が……ひょっとして、友達になってくれるの?」
    先ほど敬人に語った過去がもう一度思い出された。
    「……ううん……」
    しかし相手はかぶりをふった。なら本当に、なんでここに来たんだろうか。ただのお見舞いなはずないと思うのだ。そんなことを考えている間に林檎が剥き終わって、日和が林檎が乗った皿を英智の目の前に突き出した。
    「ほら、剥いたよ。どうぞ」
    「食べさせて」
    「なんなのきみ、甘ったれだね。まあいいけど」
    フォークがないので、手づかみで林檎を英智の口に近づけてくる。それが口に届く寸前に、英智は冷静に告げた。
    「むしろどこまで甘えられるか試してる。君の真意も検証したくて」
    相手も真顔というか、相変わらずにこりともしない。
    「可愛くないガキだね」
    「ガキって、同い年じゃないか」
    林檎を食べさせようとするのをやめて皿に林檎を戻した。ところが、英智はわざわざその林檎を自分で摘んで食べ始めた。日和は食べる音を聞いていたがやがて
    「……真意だっけ? ぼくもこれ以上時間を無駄にしたくないから言うね」
    と再び喋り始めた。
    「英智くん……きみの家からぼくの家へお金を貸して」
    「えっ? お金?」
    「後継ぎである兄上には悟られないようにしてるけど、またぼくの家はお金がなくなったんだって。だから少しでも足しになるように。こういう時、無神経なことを頼んじゃうのもぼくの役割だね」
     英智は相手の目を見つめてみた。しかし相手には顔の表情もないが、目からも何も読み取れない。ふと、これは彼が自分で考えてやっていることなのだろうかと疑問に思った。誰かの差金ではないかと思ったのだ。そんな疑問を頭に浮かべている間に、相手は「でもね」とさらに話を進めてきた。
    「ぼくは最低限の誇りくらいは守りたいの。だから、お見舞いもするし、林檎も剥くし、食べさせてあげる。それくらいの対価は払おうと思って来たね」
    「そうなんだ……」
    だんだん彼の仏頂面が真剣な気持ちの現れに思えてきた。だが英智にはやはりいまいち釈然としない。釈然としないので、それ以上何も言えなくなった。日和も何も言わなくなり、また病室に沈黙がおりた。
     英智はまた頭の中でふと思い立つ。とにかく今、分かることは、お金をもらうために日和くんは僕の言うことを聞いてご機嫌を取ってくれるということだ。
     我ながら不謹慎だとは感じつつ、心に何か甘いものが広がってきた。
     ――この子と、友達になりたいな。お金を払ってでも。
    「ねえ、巴さん家にお金が足りないってどのくらい? 夜逃げしそうなレベル?」
    「……それを答えることって対価になる?」
    「えっ、うーん、なるよ」
    英智はそそくさと適当に答えた。日和は真面目に「分かった」と頷く。
    「たぶん今回はそこまでではないね」
    少し不思議な返答だった。
    「未遂だけど夜逃げする寸前まで行った時は……ゆっくりと数ヶ月かけて家具が売られて減って、何かおかしいなと思っていたら……ある日突然、家の人が夜中に火がついたような大騒ぎをし始めたからね」
    不思議だなと思って聞いているうちに、なんとここまで赤裸々に語ってくれた。英智はなんだか胸がドキドキしてきた。
    「すごーい! 実体験がでてくるなんて」
    「…………」
    無邪気な英智の声が、日和の心にどう聞こえたのやら、彼ははっきりとは示さなかった。だが明らかに目が冷ややかなものになった。そのまま二人は随分と声に温度差がある会話をすることとなった。
    「お金、これだけの額をここに振り込むように、できればあまり多くの大人の人には知られずにできる?」
    「うん、できると思うよ」
    「入院中のくせに」
    「そう。入院中だからこそ。大人がこの病室の中を見張ってしまえばなくなるくらいのちっぽけなプライバシーだからこそ、守るために色々やってるんだ」
    「……やっぱりそうなんだ。前に会った時、ちらっとそんな話してたの覚えてるね」
    「わぁ覚えててくれたの、嬉しいな」
    「……ふぅん」
     笑っている英智の顔を、日和がじいっと見つめている。窓の外の日はもうかなり落ちてきており、顔が見えにくくなったことに気づいた日和は明かりのスイッチへ向かっていった。
     入り口のすぐ隣の壁についたスイッチで、パチンとつけたらそのまま帰ってしまいそうな予感がしたので英智は急いで声をかけた。
    「流石に僕一人じゃ振込は無理だから、信頼できる口の固い人に頼むよ。また来て。今日は会えて嬉しいな」
    「ありがとう……それじゃあ……」
    予想通り、やっぱり日和は帰ろうと扉を開けた。英智は慌ててその後ろ姿にさらに声をかけ続けた。
    「また来てね」

    ◯ケ・セラ・セラ 第五話

     巴家の執事が一人解雇された。給金が払う余裕がなくなってきてしまったので、暇を取らせたのである。
     日和はその執事と仲が良かったので、最後の出勤日にはわざとちょっかいを出してかまってもらったり、反面しおらしくプレゼントを渡したりした。そして彼を門のところまで見送ってお別れとなった。
     家の外の人間に〈巴さんの家の次男坊は遊んでばかりの能無し〉と思われ続け、家中に出入りする人達の半分くらいにもそう思われてる日和だが、もう半分くらいの人達は普通に接してくれていた。そして彼には自分でも(悪い癖だね)と思う癖があり、それは、自分にかまってくれる人がいるとつい自分の方もその人に好かれたくて心を砕き一生懸命振る舞ってしまうことだった。
     家の外の人間に能無しと思われるように仕向けているのは、兄を比較でより良く見せるためだ。だから家中の使用人にも自分は嫌われ兄だけ好かれるようにするのがベストなのではないか、たまにそう考えるのだが、どうにも、さすがにそこまで自分を演じることができない。
     そして、普通に接してくれた人達……最初こそ、兄弟で対応に差をつけるのはどうだろうとか、軽い気持ちで平等に接してくれ始めた使用人達というのは、最後には日和を随分可愛がってくれるようになるのだった。「好き」「愛らしい」口を揃えてそう言ってくれるのである。
    (ううん……。だってお家の中で毎日接する人くらい、仲良くしたいしね……。そもそも兄上にしろ、父上や母上にしろ、ぼくが家の外でお馬鹿さんにしてるの、ちょっと嫌そうにしてるし……)
    しかし止めもしないあたり、この立ち振る舞いが家にとって役立っているのも事実だろうと日和は考えている。ただ改善すべきところはあるかな、などとさらに思考を巡らせた。
     自分の部屋に戻り……本当のところは先程お別れした執事のことも悲しくてたまらないのを、誤魔化すように思考を続けているのである。机で頬杖をつきながら、とりあえず結論をまとめてみた。
    (外での立ち振る舞いも、ただの不真面目さんをやるんじゃなくて、行事なんか盛り上げたり、兄上の代理の時は頑張ったりしようかな。家の中は……いいや。身分の線引きをしっかりするなら誰と仲良くなったっていいね。最終的に、ぼくがいなくとも巴家はへっちゃらくらいのポジションをキープするように気をつければ大丈夫。この世界の誰にとってもいてもいなくてもどっちでもいい奴……をキープ)
     結論が出たので、再び部屋から出ることにした。小腹が空いたので何かおやつでも食べられないかと思ったのである。
    (まさか……ぼくのおやつ代と引き換えに、あの人は辞めさせられたって真相だったりして……)
    うっかりそんな考えが浮かんでしまい、頭を実際に振って、その考えも振り払った。
    (んもう。だいたいね、兄上はちょっぴり引っ込み思案なだけで本当は優秀な人なのに。あとは、ぼくと得意分野が違うだけなのに。それがいまいち人に伝わらないのがいけないね。どうにかできないかな)
     廊下を歩いていると客室のドアが開いており、ソファに、普段は別の家に住んでいる自分の祖父が座っているのが目に入った。
    「お爺様、こんにちは!」
    日和は部屋に入っていき、祖父にお辞儀をした。祖父はジロッと一瞥し、唸るような声で答えた。
    (うわー、相変わらず愛想悪いお爺様。そんなだからみんなに嫌われて……)
    内心そんなことを思いながら、向かい側のソファに座りたいと断りを入れ、そのまま座った。
    (ううん。逆だね。隠居されてから、みんなにどうでもいい扱いされて、だから愛想悪くなっちゃったんだと思う。ぼくと同じで、いてもいなくてもいい人。……寂しいね、ぼくは仲良くしてあげなくちゃ、家族だもん)
    日和はにこっと笑った。
    「この間、お爺様に頼まれたこと。やってきました。確認しましたか?」
    「天祥院の……ああ、確認した」
    「良かった。褒めてくれてもいいね、お爺様」
    「褒める? こんな恥知らずな真似、誰が褒めるものか。だがまた行ってこい。あの小僧の人となりも知りたいしな」
    「……あ。ははは……」
     あんまりな祖父の言葉に日和も言葉につまった。だがしばらくして脳裏に今日辞めていった……だけでなく、これまでに去っていった使用人達の顔が浮かんだ。売り払った家財も思い浮かんだ。結局、日和は首を縦に動かした。その様子に
    「……これを食べるか? お茶請けに出されたが、甘いものは好きじゃない」
    なにを思ったのか、祖父はむすっとしたまま自分に出されたケーキを日和に譲ってくれた。
     日和は心にモヤモヤしたものを残しつつ、一旦それを横に置いた。目の前にやってきたケーキは、愛想が悪い祖父がなんだかんだ自分に渡してくれたものだ。態度の裏にあるその気持ちはもらいたいのだ。屈託なく、美味しく、いただきたい。
    「ありがとうございます! いただきます」
     日和は手を合わせて心底美味しそうにケーキを口に運んだ。祖父は、孫の方へやっと少しだけ柔らかい表情を向けた。
     客室の扉がずっと開いているのを、日和の兄も通りかかりに気づいた。そっと中を覗くと弟が祖父からケーキを譲られて食べている。

     ぎょっとして兄はそのまま固まり、動けるようになるとすぐ、二人に気づかれないようにその場から立ち去った。
     何日か前の、天祥院英智が入院した頃〈天祥院の御曹司など病気でどうにかなってしまえばいい〉こんな言葉を、自分の目の前で吐き捨てたのは祖父なのだ。その祖父が、最近英智のところへお見舞いに行ったらしい弟と何をしているのだろうか。不安で胸がつまったが、引っ込み思案な兄はついにそれを飲み込み、何も聞けないまま去ることしかできなかった。
     客室からかなり離れたところまで逃げるように歩いてきて、ふと口からケホっと咳が出た。

    ◯ケ・セラ・セラ 第六話

     「聞いておくれよ。敬人は僕のお見舞いに来ているくせに、また『零ちゃん』のお話をするんだ。きっとあいつの中にある友達のランキング、僕の方が『零ちゃん』より下なんだ」
    「そんなの決めつけなくたっていいじゃない」
     真っ白な壁をした天祥院英智の病室に、今日も日和がお見舞いに来ていた。前回はちゃんと椅子に座っていたくせに、今回は英智のベッドにふてぶてしく腰掛けている。しかし英智はそこは全く気にせず、敬人の愚痴を意気揚々と聞いてもらっていたのだった。
    「決めつけなくていいって、どうして? 順位とか、上下とか、しっかりあった方がいいよ。何事も」
    「まあ、それは概ね同意するけどね」
    それから日和は少し頭を捻って、例えを探してみたようだった。
    「順位がつけられないものは存在するでしょう。父上と母上のどっちがより好きかなんてのは決められない、とかね?」
    しかし、その例は英智にとってあまり良いものではなかった。
    「いや、決められると思う。僕の場合はね」
    「ひょっとして英智くんって、家族好きじゃないの?」
    「好きな人もいるけど、そうでない人の方が多いかなあ」
    「へーかわいそう」
     かわいそう、という単語に嘲るようなニュアンスを感じる方が性格が悪いのだろうか。英智はそんな発想をしつつ、とにかくむっと気分が悪くなった。
    「君みたいに家族だからって無条件で大好きって言うのも短絡的だよ」
    「別に無条件って訳じゃないけど」
    言い返すと、日和もすぐ言い返してくる。向こうも何か気に入らないところがあったのか、眉を寄せていた。
    「やれやれ。別の角度から話そうかね」
    しかしそう言って、不機嫌そうな顔のまま話題を切り替えてしまった。
    「ようは、『僕と会ってるくせに別の人を話題にするから、僕の方が価値が低い』と英智くんは敬人くんの心を想像したわけだね」
    「うん」
    「こういう事例ね、全く反対の想像をした昔の人もいるんだよ。ぼく古臭いものって嫌いだけど、これはたまたま知ってたから話してあげるね。紫式部って知ってる?」
    「紫式部って、あの源氏物語を書いた?」
    英智からすると、源氏物語を書いたという事実と、社会の教科書に載っていた糸目に長い髪の女性というイメージしか浮かんでこない歴史人物だ。しかし日和が語るところによるとこうだった。
     うんうん。その源氏物語のね、あるシーンを使って話すね。当時は男の人には奥さんがたくさんいて、主人公の光源氏にもたくさんの妻がいた。その中でも特に大切にしていたのが、小さい頃から理想の奥さんになるように育ててきた紫の上なんだけど。
     ある日、源氏は紫の上におしゃべりしたね。これまでお付き合いしてきた女性のこと……実は源氏には密かにとても愛していた人がいて、亡くなってしまっていたからか、その人のこともさりげなく紫の上に話してしまったんだね。
     関係までは言わなかったはずなんだけど……その日の夜、源氏の夢枕に愛した女性が立ったんだ。そして言った『私のことを話すだなんて、私より紫の上の方が大事だったのね』って。だから作者の紫式部の価値観もこんな感じだったんだろうね。

     なかなかマニアックなことを知っているものである。日和個人は古いものが嫌いという話が本当ならば、巴さんのお家では教養として古典とか習わされるのかな、と想像してみた。自分の方は書庫にシェークスピアなど保存されていることもあって、それらの文学に親しんでいる訳だし。
     それにしても、やっぱり、日和は出来が悪いという評判は、見る目がない大人の偏見だったということか。英智は、そうだろうとは思っていた。敬人のことにせよ、自分のことにせよ、日和のことにせよ、大人はいつだって評価を間違えるものだ。
    「なるほど。でもそれは秘密がバレそうだから怒ったって線もあるけど」
    「まあね。だいたい、そういう考え方もあるってだけだし。今も、英智くんがぼくに敬人くんの話をしてるからって、ぼくの方が大事みたいなことはあるわけないよね」
    「うん……でも、敬人は『零ちゃん』より僕の方が好きってことになれば嬉しいな」
    英智が窓の外を見ながら呟く。その横顔を、(ひょっとしたら敬人くんが住んでいる寺の方角を見ているのかな)と日和は思いながら観察していた。一応自分も社交の場で、あの頭の良さそうな敬人という子を見たことがあるにはあったが、なにしろ英智がいつもべったりしているので、ほぼ喋ったことがない。

     思えば、あの社交の場には自分と同じくらいの子どもがいないこともないのに、ほとんど誰とも仲良くないのは英智くんと同じだね。ぼく、学校では友達作れたのに。
     まあぼくはあの場所を、一族のために、外の大人を騙す場所だと思っているから。だからついでに外の子どもも騙されている。ぼくは英智くんの話を聞いて、勝手に敬人くんって世話焼きさんなんだろうなと思ったけど、敬人くんは、大人の噂を聞いて、きっとぼくのこと、能無しだと思っているんだろうね。
     敬人くんも、か。そんなことをぼんやり思った。

    「勉強になったよ。ねえこれもお金に換えるの?」
    ふいに、英智から無邪気な声音が飛んできた。
    「……うん」
    「ふふ、そうだ。今日こそ僕たち友達になろうよ」
    そして変わらず無邪気な声で、気味の悪いことを提案してくる。日和は率直なところ(なにこいつ)という感想を持った。
    (ムカつくことばっかり言ってくる。そもそも、すぅごくやりづらいね。お金を取られてるんだよきみ。なんでぼくのこと嫌ってくれないわけ? 馬鹿にしてるの?)そう思いながら、とにかくきっぱり断った。
    「いや。あのねえ英智くん、友達からはお金なんて借りないものだね」
    「どうして? 僕、お金を払って欲しい人が手に入るならこの際払いたいのに。お仕事のお給料みたいに考えればいいよ」
    日和がいよいよ苦虫を噛み潰したような顔になった。彼の頭には、数日前から自分の屋敷で起きたあれやこれやが浮かんでしまっているが、もちろん英智は知る由もない。また、日和も絶対に言うものかと思った。代わりにもう一度断りを入れた。
    「だめ。それじゃあ友達っぽく見えるだけで愛がないね」
    「『愛』なんてよく分からない概念じゃないか」
    その返答が、日和にしてみればかなり意外だった。「えっ」という言葉が漏れて止まる。さっきまで感じていた英智への苛立ちも、一瞬にしてどこかへ消えてしまった。
     一番最初に動き出したのは目で、大きく見開き、うっすら涙まで浮かんできた。眉毛はものの見事に八の字になった。そのまま続いて、思わず口から飛び出たという様子で悲痛そうな言葉を英智にぶつけてきた。
    「……なんてかわいそうなの!」
    ぶつけられた方はきょとんとした。なんなら、また少し不機嫌になる。
    「かわいそう、かわいそうって言うけど。普通に腹が立つからやめてよ」
    今度は英智の方が(この子は僕を馬鹿にしているのか)と思う。
    「それなら今度は僕に愛を教えてよ」
    「あ、愛を教え……⁉︎」
    「理解できたらその分のお金払ってあげるから」
    このひと言で再び、そして完全に日和は怒った。ばっとベッドから腰を上げると、そそくさと扉へ向かって行った。扉を開けて出ていく直前に、一度だけ振り返って
    「……ぼく、今日はもう帰るね!」
    と言い捨てた。
    「あっまた来て。きっとだよ、ねえ」
    英智もさすがに日和を怒らせたことを理解できていたが、半分くらいはわざと能天気な態度で呼びかけながら彼を見送った。

    ◯ケ・セラ・セラ 第七話

     ダンスの練習はどうして鏡のある部屋でしなければならないのか。社交会にでる貴族の子どもたちは皆、週に何度かは自分のように、不格好な動きと、引き攣った自分の顔を鏡で見ながらダンスしているのか。巴家の長男はそんなことを思いながら、その日のレッスンを終えた。
    「社交ダンスの練習楽しかったですね兄上! つまんないお習い事はサボっちゃうけど踊るやつならいくつやってもいい、ぼく」
     隣で一緒に帰る日和は、今日も賑やかで楽しそうである。この弟はなんだかんだで自分大好きなので、鏡の向こうにいる自分自身にニコニコ笑いかけながら練習しているのが常である。確かにあの感じなら、ダンスの練習は楽しいだろう。
    「私はどうにも恥ずかしくって……本番は女性がペアだからなあ、あれ。練習の時みたく日和と踊れればなあ」
     手を取って向き合い兄弟で練習する時は、弟が満面の笑顔のまま兄を見上げてくるのである。さすがにそこまで笑われると兄も仏頂面ではいづらく、また気が楽だった。
    「社交会ばっかりはどうにもなりませんが、ぼくと踊るのはいつでもいいですよ! 今度どこかにお出かけしてそこで踊りましょう」
    「いやいや。わざわざ人目につくところで披露するのも普通に嫌なんだよ」
    「えー。踊りを見ていただいて、誰かに笑顔になってもらうことこそ真骨頂だと思うのに」

     踊りのレッスンは家から歩いて着く距離の教室で受けている。だから兄弟は歩いて通っているのだが、他の生徒、つまり他のお貴族の息子たちは距離に関係なく車で通っているようだ。たったそれだけの違いなのに、兄弟は歩く道筋を、あまり他の子に見られないようにそそくさと帰ることが多い。もちろん今日のように油断しておしゃべりしている日もあるのだが、同じようなことをしたある日に、車に乗り込むどこかのお家のお貴族くんの「貧乏人」とくすくす笑う声が聞こえてきたことがある。
     家の門まで辿りついた。使用人が迎えてくれるのに挨拶しながら、兄は笑われたあの日のことまで思い返していた。「麗らかな陽気に歩く楽しみを知らないきみこそ、心が貧相だねぇ!」と日和が思い切り嫌味を言い返しに行ってたなあ、そういえば。
    「兄上、兄上、まだ部屋に戻らないで。もうちょっとお喋りしましょう」
    兄の意識が現代に戻ってきた。そして考え事をしたまま部屋に行こうとしていたことに気づく。改めて弟の顔を見て、ついさっきのこの子が言ってたことも振り返った。踊りを見てもらい、みんなに笑ってもらいたい……みたいなことを言ってたはずだ。
    「ふふ。しかしお前はいい子だね。それとも目立ちたがりなだけかな?」
    「どちらか片方が答えと思う必要はないですね。たぶん両方とも正解!」
    自分がいい子だと胸を張って肯定する弟に、兄は呆れもしたがそれ以上に微笑ましい気持ちになった。
    「はいはい、いい子いい子」
    「ちなみにお出かけ自体も嫌ですか? 兄上」
    どうやらそこが聞きたかったらしい。そういえば日和はどこへ出かけるにも一人は淋しがる子でもあるよな、と兄は思った。自分は一人でいることは気楽なのだが、とも思う。しかしそれは弟と出かけるのが嫌という意味ではない。もちろん楽しいことだ。なので、こう答えた。
    「あーそうだなあ。それはいいかな、ピクニックでもしようか」
    「ピクニック!」
    「うん。場所はそうだなあ……ケホ……」
    「あれ……大丈夫ですか、風邪……?」
    心配そうに顔を覗き込む弟の視線を外すように兄は顔をそらした。適当に「そうだよ」と答える。
    「本当に……?」
    「お兄ちゃんをあまり疑わない。そう言えば、お前最近は天祥院さんとこの子へお見舞いに行ってるそうじゃないか。また行くのかい?」
    話を変えるためと、この間の祖父と一緒にいるのを見た時から疑問に思っていることを聞くのも兼ねて問いかけてみた。
    「うっ。ええとまあ。行かなきゃいけないんでしょうね」
    すると今度は弟が兄からの問いかけに顔をそらして適当に答えた。
    「それより兄上。風邪が治ったらピクニック行きましょうね。場所はどこにしましょうか?」
    「そうだなあ」
    兄は、なんとなく今度は顔を上げて空を仰いだ。兄弟はまだ屋敷に入らずに庭で立ち話をしていたのである。自分はどこに行きたいのだろう、兄は雲の形が少しずつ細く変わりながら流れていく姿を見ながら、想像をしてみた。
    「山を登って、森林限界をしたてっぺんにある、天国みたいな花畑」
    「ちょっと待ってやだやだ兄上! 山をてっぺんまで登るなんてキッツいね!」
    おい、麗らかな陽気を歩く楽しみはどうした弟よ。そう思いながら兄はあははと笑った。
    「まあそう言わないで。『森林限界』って言葉知らない? 山によって細部の条件は違うけど、ある程度の高さになるとそういう木が生えない環境になるんだ。その先には花畑が広がっているんだよ。きっと幻想的で、美しい」
    説明しながら、兄は「きついなら日和は途中で帰ってもいいからね」と付け足す。
     森林限界を超えた先の山。本当のところは、ただ木が生えなくなって、他に何もない荒れ地かもしれない。天国ではなく、地獄のような風景かも。それでもいいと兄は思った。天国でも地獄でも、とにかくこの世っぽくないところが見たいのだ。だって正直、この世がそこまで楽しくないから。
    「兄上が行くなら、絶対ぼくも最後まで頑張るけど〜。うーつらいね、きっと」
    弟が隣でぶつぶつ言っている。本当につらいのなら苦労する前に、お兄ちゃんのことなんか置いて帰ってくれた方が嬉しいのに。
    「きっと空気が薄いね! そんなところじゃ苦しくてダンスが難しいね!」
    「おやおや、やっぱり踊る気だったの。ははは」

     そこじゃ誰も見てないだろうと兄が言うと、なら兄上は見る側になってくださいよ披露しますね、と弟は言う。なんだか最初の話から変わってきちゃったなあと、兄はまた笑った。

    (続く)

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