友よ「今年も蝋梅が良い匂いだったね」
学校からの帰り路だった。なんということもない様子で幼馴染はそう言うが、園芸を趣味にするだけあって植物に詳しい幸村と違って、俺は梅と桃と桜の見分けもつかないので同意を求められたところで答えようがない。
「ばい、と言うくらいだから梅の仲間なのか」
「いや、別の種類だよ。花の時期はだいたい同じだけど」
「ややこしいな」
「それにしても、見たことないなんてもったいないなあ」
ふっくらと開く卵色の花ところころした丸いつぼみが愛らしく、香りは甘やかでありながら優しいのだと幸村は歌うように続けた。
「駅からお前の家までの道にも立派なのが植ってるのに」
「そんなことを言われても知らんものには気づきようもない」
「でも、あんなに良い香りがするんだから無視する方が難しいはずだよ」
食い下がる幸村に腹を立てつつ、蝋梅を知らずに冬を終えてしまったことがなんだかとてつもなくもったいないように思われてきてならなかった。これまでも幸村の問わず語りに耳を傾けてきたが、それでよし俺も花を育ててみようと思ったことなどないし、自分が研鑽を積み重ね過ごした時間に後悔もしていない、それなのに。
これはもしかしたら幸村が俺と異なるものを見、聞き、感じる人間なのだと改めて突きつけられたことへの動揺かもしれなかった。十年以上だ。同じ時間を共有してきたのは。そんな相手と分かち合えないものがあるという事実はいがいがとつっかかっていつまでも腑に落ちない。
「……チューリップくらいならわかるぞ」
幸村はぱちぱちとまたたきをして俺の発言の意味を考えているようだった。気まずくなって視線を外すと、しばらく間があってから「ああ!」と得心の声がした。
「お前が何も知らないって言いたかったわけじゃないんだよ」
「うむ」
「ただ、俺が素敵だなって感じたものをお前もそう感じていたらいいなって」
「ああ」
喉元のとげついた塊は幸村の言葉によってゆっくりと溶けていく。
「また冬が来たら今度は俺が教えてあげるよ」
「ふっ」
思わず笑みがこぼれた。この男にとって来年も再来年も俺のそばにいるのが当たり前なのだということが愉快だった。浮かれた気分が胸のうちでぱちぱちと弾ける。
「信じてないね?」
疑ってはいなかったが子供みたいに唇をとがらせてすねる幸村が可愛らしくていたずら心が込み上げる。
「ふむ。では手始めにこの花について教えてもらおうか?」
俺は足を止め、枝いっぱいに大きな白い花をつけた木を指さした。
「簡単」
春の日差しのように幸村は得意満面で答えた。
「これはね、木蓮。ほら、見て、花が上向きに咲いているだろう」
その通りだった。まろやかな乳白色の花が青く澄み渡った冬の空へその身をさらしている姿は俺の目にどこか健気に写る。
「花の盛りは短いけどこの後に芽吹く鮮やかな緑の葉も綺麗だよ」
「それは楽しみだ」
慈しむような横顔を見つめながら、すぐそこに近づいた春を思う。季節が移ろっても同じ道を俺たちは並んで行くのだ。
「お前が俺に」
我知らず伸ばしていた指先が羽衣のような花びらをかすめる。瑞々しくすべらかで予想していたよりずっとしっかりとした質感だった。
「花の名前を教えてくれるから……それが一方的なこともあるが、まあ、そのおかげでただそこにあるだけだと思っていた花や木が確かに生きていると思えるのだ」
今度は幸村が俺を見つめる番だった。その眼差しがあまりにも強くひたむきなので照れくさい。
「俺もだよ」
ためらうような一瞬の後、幸村はきっぱりと言い切った。
「お前がいると全てが力強くいきいきとして見える。ねえ、俺たちって最高の友達だよね」
「今更か?」
「何だいそれ!」
「俺はずっとわかっていたぞ」
テニスクラブでラケットを抱えていた俺に幸村が声をかけてきたあの瞬間はくっきりと脳裏に焼きつき時を経てもなお褪せず、より一層その色濃さを増している。
「出会った時からな。ずっとだ。こうなるのは必然だったと!」