北風も太陽も「僕はねぇ、風にも太陽にも雨にもなりたくなかったんだ」
「ほうか」
「そうなんだよ」
「で、お前が今なったはなんじゃ」
「なんだろうねぇ…」
龍馬は星を見上げている。少なくとも、坂本龍馬は星にはなれなかった。ただ人々の目に写り、時折導いていく存在では決してなかった。
「以蔵さんは何になりたかったの」
「わしかぁ?」
「うん」
「わしは…」
以蔵にはなりたいものはなかった、何かになりたいという大志を抱くには、彼は愚かであったし、また、何かになれると思えないほどに頭がよかった。
「わしは剣の天才や、何かになりたい思う必要はない」
「そうか…僕もそうだったらよかったな」
「馬鹿にしちゅーのか」
「えっ、なんで怒るの」
「嫌味なやつめ」
「えぇ…ごめんね」
以蔵は鼻を鳴らした。以蔵には剣の才能があった、それ以外を彼から奪うほどにあった。他に何も受け入れられないほど、余りある才能だった。岡田以蔵は結局、人生をかけて一振りの刀となり、そして折れて逝った。
「僕は今じゃ、風でも太陽でも雨でもない…」
「当たり前や、坂本龍馬が坂本龍馬以外になれるか、坂本龍馬をやめるな、龍馬」
「以蔵さんの言うことは難しいや…」
龍馬は屋内だというのに帽子を目深に被り直した。以蔵は馬鹿だと思った、なんにでもなれたのに、なんにでもなれるほど頭がよかったのに、どんな才能もあったのに、結局この男はなんにもなれなかった、馬鹿なのだと思った。