【再掲】Round1000まで長生きしよう 三井寿の場合三日前、はじめて水戸と喧嘩した。
アイツからしたら俺が悪いとでも言いたいんだろうけどそれは違う、俺は絶対悪くない。
じゃあ誰が悪いかと言えばアイツ、水戸洋平十五歳が悪いに決まっている。
きっかけはこうだ。
久しぶりに土曜日の部活が丸一日休みとなった俺は真っ先に水戸へ声をかけ、バイトが無いのを確認した上でデートに誘った。
どうだ、もうこの時点で俺の恋人に対する愛情に溢れた心温まるエピソードじゃないか。
真っ先に、だぞ、真っ先に。
誰よりも何よりも優先して貴重な休日を恋人である水戸と過ごそうと思って俺自らデートに誘ったんだ。
アイツだってそれを喜んだし、喜ぶ姿に俺もまた嬉しくなるという心温まるエピソード第二弾だ。
デートプランはファミレスで昼食を済ませてから街でも散策しようと決め、水戸が日頃から利用しているお勧めの古着屋を教えてもらう約束もした。
だから俺は当日を楽しみにして学業と部活に励み、前日の夜はどんなファッションで、どんなヘアスタイルにしようかと鏡の前で悩みもした。
付き合う前から俺の最優先はバスケだと伝えていたものの、それをまだまだお子様なアイツに強要するのは申し訳ないと思っていたし、その埋め合わせになれば良いなとも思っていたんだ。
そんな慈悲深く愛に満ち溢れた俺の気持ちも知らずあの馬鹿はデート開始から三十分でキレやがった。
デート当日、待ち合わせ場所へほぼ同時に到着した俺達はそのままファミレスへ行った。
土曜日の昼時なので当然店内は混み合い、スムーズに席へ案内されても料理が運ばれるまでに随分と時間がかかった。
その間に俺はメニューと一緒に立て掛けられた間違い探しを手に取り、テーブルに広げて水戸へ競争しようと勝負を提案した。
俺の提案にアイツはまた子供みたいなこと言って、と笑いながらも楽しんでいた、これは絶対に間違いない。
アイツはやけに俺を子供扱いしたがるけれどそれはただ自分が背伸びをしたいだけ、というのを俺はよく理解している。
あえてそれを指摘しないのは俺が理解力のある大人であり、またお子様なりに背伸びをして俺の恋人であろうとするアイツの健気さを可愛いと思っているからだ。
お互いの料理が運ばれるまでを制限として、勝敗は引き分け。
どう頑張っても残り一つが分からず、諦めて料理が冷める前に食べることにした。
子供向けのイラストなのに難し過ぎる、そもそも制作側があと一つ間違いを用意するのを忘れているんじゃないかと話している内にふと、以前付き合いのあった不良仲間の中にこういうのが得意な奴が居たと思い出した。
個人的に親しいわけではなく、誰かの友達の友達という曖昧な繋がりだ。
名前も顔もはっきりと思い出せず、そもそもきちんと会話をしたかも記憶が怪しい。
ただソイツがやたらとその間違い探しだけは得意だったから印象に残っているだけで、個人的な興味は一切無い。
何も後ろめたい気持ちも無いから過去にそういう奴が居た、ちょっと地味に羨ましい才能だよな、と笑い話として話題にすると何故かアイツは機嫌を損ねた。
露骨にムスッとしたアイツはへえ、ふうん、と全く耳を貸さずいい加減な相槌ばかりでろくに話を聞きもしない。
試しにピンクの河童に追いかけられたことがあるとデタラメな発言をしてもあっそ、と冷たく返され流石の俺もこれには腹が立った。
何だお前、人が話しているのにその態度は無いだろ、と俺まで不機嫌になり、テーブルの下でアイツの足を軽く蹴ってやった。
するとアイツはもっとまともな話は出来ないのと挑発してきやがった。
いくら理解力があり心が広く年下に優しい大人の俺でもこればかりは許してやれんと心を鬼にしてアイツに反省させようと頭を働かせた。
そもそもアイツは俺がグレていた頃の話を嫌う傾向にあり、特に当時の交流関係については両手で耳を塞ぐほどだ。
正直なところ、それをうっかり忘れてさも楽しい思い出話のように口にした俺も少しは、ほんの少しは悪かったかも知れない。
だとしてもアイツのあの態度は無い、あれは俺のうっかりミスを上回るレベルの重罪だ。
言いたいことがあるなら言えよ、じゃあ言うよと空気は悪くなる一方で、最悪このまま喧嘩別れになるかも知れないと不安を覚えた。
しかし次の瞬間、意を決したように深呼吸をして放った水戸の言葉に俺は大笑いした。
「デート中に他の男の名前を口にするアンタが悪い」
馬鹿かアイツ、名前は思い出せねえって言っただろうが。
これがいつもの楽しいデート中に放たれた一撃なら俺は世界一可愛い十五歳が生意気な発言をしていると感極まってごめんな俺が悪かったなと謝罪にキスの一つや二つでもくれてやっただろう。
実際には一触即発の険悪ムードだったのでここぞとばかりに笑ってやり、一通り笑い終えると呼吸を整えてからバスケ部は勿論、クラスメイト、同級生、小学校から中学校、安西先生と記憶にある限りの男の名前を五十音順に口にしてやった。
ここだけの話、これは少々大人気なかったかも知れない。
相手は齢十五のお子ちゃまだ、何もあそこまでする必要は無かっただろう。
お子ちゃまにはお子ちゃまなりのプライドがあるだろうし、自分の知らない恋人の過去の交流関係が面白くないというのも分かる。
あの場は俺が大人として一言ごめんなと謝罪して楽しくデートを続行するのが正解だった。
だけど俺はやってやった、そりゃあもう容赦なく。
その間、水戸は両腕を組んでただ俺を凄んでいるだけ。
かと思えば突然立ち上がり、身を乗り出して俺の顔を鷲掴みにしやがった。
そして俺の耳元に顔を寄せ、他の客に聞こえないほど小さく、かつ怒りで震えた低い声で一言。
「泣かされなきゃわからねーのか」
キュンときた。
訂正する、カチンときた、だ。
バスケ部を潰そうとしたあの一件は別として、この俺がお前のようなお子ちゃまに泣かされるわけがないだろ。
と言うか日頃から俺の笑顔が好きだの笑顔でいてだの言ってるくせして何が泣かされなきゃわからねーのか、だふざけるな。
俺が本気出せばお前なんて瞬殺…ってのはまあ、まあ、あれだ、俺は二度と喧嘩はしないと安西先生に誓った身だからな、物理的な攻撃はしないでやろう。
ただし俺が一言、もしも別れたいとでも言えば泣いて地面に額を擦りつけて許しを請うのはお前の方なんだぞ。
冗談でもそんな言葉を使えばお互いが傷付くだけだと理解してあえて言わないでくれる俺の寛大な心に感謝しろ。
そう、俺は大人だ。
ありとあらゆる初体験を水戸にペロリと食われたがそれだって大人として食わせてやったんだ。
もしかするとそれが原因でここまでつけあがるようになったのだろうか。
恋人として大切にされて悪い気はしないし、同じ気持ちであるからこそ嬉しくも思う。
だけどアイツの過保護ぶりは異常じゃないのか
俺もお前のバイクの後ろに乗りたいと言えば原付の二人乗りは危険だから駄目、もしも転倒したら怪我をするから駄目。
じゃあバイト先の雀荘に行ってみたい、麻雀を教えてくれと言えば治安の悪い場所だから駄目、悪い遊びを覚えるのは駄目ときた。
自分は俺の知らないところで喧嘩だパチンコだと好き勝手しておきながら俺にだけあれは駄目これは駄目と制限を設けやがって何様のつもりなんだ。
…ああ、お子様か。
ともかく、多少の背伸びは可愛げがあるから良しとして、過度に生意気な態度は目に余るものがある。
ここは俺が恋人として、大人として徹底的に再教育してやらなくてはならない。
そう決意して今後の策を練りながら食事に集中しているとこれまたアイツは余計な一言を放った。
「…ほんと、ガキじゃないんだから」
アイツは駄目だ、手遅れだ。
あくまでも俺が大人だから穏便に済ませてもらっているのだと感謝もせずよくもまあそんな言葉を言えたものだ。
いよいよ限界まで腹が立った俺はアイツが素直に謝罪するまで口をきかないと決め、そこから何を言われても無視を徹底した。
するとアイツも俺の意図に気付いてだんまりだ。
結局楽しいはずのデートはファミレス以降の会話ゼロで何処へ行くにもしかめ面のままジェスチャーで会話するはめになった。
折角お揃いのバケハまで買ってもその場で被る気にはなれず部屋の隅で紙袋に入ったまま。
別れ際にキスする時だってお互いに不機嫌なままで後味が悪いったらありゃしない。
あのクソガキめ、いったいどこまで図に乗っているんだ。
しかもそのデート以降、アイツは学校でも俺を無視している。
廊下ですれ違っても無視、食堂で遭遇しても無視、俺自ら屋上へ出向いてやっても無視。
バイトが無い日は必ず一緒に下校していたのにそれも無しとなって俺がどれだけ寂しい思いをしたか分かっているのか。
「よおクソガキ、元気にしてたかよ」
「クソガキって…どっちが…」
だから今日、ついにキレた俺はアイツの教室に一人で乗り込んでやった。
昼休みとは言え突然三年生が乗り込んできたことでクラスはざわつき、事情を知っている桜木は巻き込まれまいと一目散に脱走した。
着席したままの水戸は一瞬だけ驚いて表情を崩したがすぐにいつもの平然としたものに戻り、向かい側の空いている席に腰かけて向き合えば大袈裟な溜息までつきやがった。
情け深く寛容で大人なこの俺が来てやったんだ、背伸びがしたいならご足労おかけしてしまい誠に恐縮ですくらい言ってみろ。
今まで散々甘やかしてきたが今日という今日は大人としてきっちり言い聞かせてやる。
喧嘩か痴話喧嘩だいや夫婦喧嘩だと煩いギャラリー共にもこれぞ大人ってものを見せてやろう。
遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、俺こそが湘北一の出来た大人三井寿よ。
「デート、やり直さねえ」
「…っほんと、三井さんさあ…」
いつぞやの水戸を真似して深呼吸をし、放ったのはたった一言。
効果は抜群で、てっきり叱られるものだろうと警戒していた水戸の力が抜けて笑いながら机に突っ伏しやがった。
震える肩を指先で突きながら返事を促すと分かった分かったと降参したように両手を挙げて体を起こし、久しぶりに俺の好きな優しい目をした水戸と向き合えた。
俺の聖母ぶりはどうだ、これぞ完璧な年上彼氏の理想像そのものだろう。
別に、いざ本人を前にすると可愛いが勝ったとか、つい甘やかしたくなったとか、そういう情けない理由じゃあない。
あくまでも俺は年上、大人としてお子様にお慈悲を与えてやったんだ。
見てみろこの水戸の嬉しそうな表情を、やっぱりお子様には優しくするに限るんだ。
「絶対時間は作るし…折角買ったバケハが勿体ねえだろ」
「そうだね。あと、なるべく明るい時間帯にゲーセンで良かったら麻雀の打ち方教えてあげるよ」
「本当か嘘じゃないな」
「ほんとほんと」
どうよ、すっかりご機嫌な水戸が初めて妥協したぞ。
仲直りに続けて次のデートの約束までした俺の腕前は見事なものだろう。
今じゃ頬杖をついてニコニコと嬉しそうにしているのは全て俺の手柄だ。
やれやれ、まったく本当に手のかかるお子様だ。
その単純ぶりに呆れるより先に可愛いと思ってしまうのは大人である俺の心に余裕がある証拠だろう。
これからも些細なことで揉めるだろうがその度に俺が優しく指導してやろうじゃないか。
「三井さんも反省したようだし、今回ばかりは許してあげるよ」
「あ」
恐らく、第二ラウンドはもう間もなくだ。