捨て猫①「今日のサークルの後、小平太の家行っていいか?」
同期に言われて私は躊躇った。
「ん~、今はな……」
「なんだ、彼女でも泊まってるのか?」
「いや、猫がいる」
「は?え?ちょっと前に行ったときはいなかっただろ」
「最近拾った」
「へえ……別に動物好きじゃないだろ」
「まあ。懐かれてもないし」
「想像つくわ」
「なんかさ、私が部屋にいるときはケージから全然出てこないんだよ。餌も、私が出かけてるか寝てる間しか食べないし」
「お前の声がデカいから怖がってるんだって」
「いや、家で一人で喋ったりしないぞ」
「それは意外」
失礼なことを言う同期を小突く。
そう、別に怖がられている感じはしないのだ。なのに全く私には近寄ってこようとしない。
「家に連れ帰ったときは、そんなことなかったのになあ……」
そうひとりごちながら、私は自分の指先を見つめた。
腹が減った。ひたすらに腹が減った。とにかく私は震えていた。震えていれば少しは空腹が紛れるからだ。体に触れる柔らかいものを咥えてちゅうちゅうと吸うと、これも多少の気休めにはなった。そうしてぼんやりと考えを巡らせる。なんでもいいから食べられるものの匂いはしないだろうか。さっきまでいた飼い主はどこに行ったのだろうか。なぜ母と兄弟たちはいないのだろうか。私のような路上生活の経験のない若輩が下手な思案をしたところで何も解決するはずがない、といううっすらとした絶望を抱えながら私は先ほどから同じことをぐるぐると考えている。
「なんだろうこれ」
声を上げて、通りすがりの人間が私のほうに近寄ってくる。
「わあ、猫だ、ちっちゃいね」
もう一人の人間が言った。飼い主とはずいぶんと大きさが違うが、頼めば食べ物を分けてはくれないだろうか。力なく、みう、と鳴くと、最初に私に気づいた方が私の頭を撫でた。
「ごめん、動物飼えないから」
「うちも。……この子、顔にすごい傷がある。そのせいで捨てられたのかな……」
何もくれないのか?の気持ちを込めて、頭を撫でる指に吸いつく。
「お腹減ってるんだ。でも、ノラネコに餌、あげちゃダメだから」
人間たちが離れてゆくのを私はぼんやりと見つめた。なるほど私はここで野垂れ死ぬ運命であるようだ。半ば諦めのついた私はなるべく小さく、ぎゅうっと丸まる。傷のついた顔が見えないように。そうすれば誰かに拾ってもらえるかもしれない。目を閉じると母の腹の下と変わらない暗闇だった。
何かの気配を感じてうっすら目蓋を開くと、また人間が私を覗き込んでいた。頭がぼうっとして、ゆるゆると瞬きを繰り返す。ふわっと体が宙に浮いた。先ほどの人間に抱え上げられたらしかった。
後から知ったことだが、人間は小平太という名前だった。
私は意識がぼんやりして、自分がどこにいるかもよくわからなくなっていた。小平太が指につけて差し出した乳を、ひたすらに夢中で舐めた。
私はもう、この人間のことが大好きになっていた。小平太には絶対に捨てられたくないと、そう思った。
この顔の傷を小平太に見られてはいけない。どんなに小平太の膝に乗りたかろうが、喉の下を撫でてもらいたかろうが、絶対に近づかない。そうすればきっと、ずっと一緒にいられる。
小平太には近づかない。
当の小平太に散々阻まれることも、とっくに傷に気づかれていることも知らず、私はそう決意したのだった。