なんでも無い日だって部屋にくらい行くよ。 自分から出向かないと顔を出すまで部屋の扉を叩かれるから。他の賢者の魔法使いは声をかけているのに、一人だけ無視をするのは気が引けるから。理由はいくらでも思い浮かんだけれど、結局の所、僕が伝えたいだけなのだ。
四百年の間、誕生日という日を特別に感じた事は無かった。それもそうだろう、依頼人くらいしか他人と接する機会が無かったのだ。すると自分の誕生日も有って無いようなものになる。ふと、そういえば今日は自分の誕生日だと思い出す事もあるが、王族の気まぐれで作られる国民の休日と同じくらいどうでもいいものだ。
それなのに、この魔法舎で暮らし始めてからはどうだろう。二十一人の魔法使いと賢者、それからクックロビンやカナリアの誕生日の度に、ここはおもちゃ箱をひっくり返したような有様になるのだ。自分の誕生日には一日中誰かから祝いの言葉を贈られて、特別なプレゼントを用意されたりして、自分らしくもなく浮かれていた。それは他人が僕のために祝ってくれる心があってはじめて成り立つもので、少なくとも僕はその気持ちを嬉しいと感じた。僕が何か行動を起こしても相手は喜ばないかもしれない、もしかしたら怒らせる可能性だってある。受け取る側の気持ちを強制は出来ないけれど、僕が他人を祝いたいのだ。気持ちを伝えたいだけ、あわよくば喜んで欲しいけれど。
だから、六月五日の昼前にフィガロの部屋を訪ねに来た。
気の利いたプレゼントなんて用意していないし、贈る言葉も考えていない。まるで考え無しだが、フィガロの顔を見れば言葉は出てくると思っていた。しょっちゅう断ってしまう晩酌の相手をしても良いし、望む物があるなら後日でも良ければ用意するつもりだ。
しかしフィガロの部屋の前には南の魔法使い達が集合していて、本日の主役を囲んでいるのは想定外だった。
よく考えれば分かる事だが、丁度この時間はフィガロが起きる頃合いだ。いの一番に祝いの言葉を贈りたいのだろう南の国の連中が部屋の前に居るのは当然の事だ。和気藹々とした様子の彼らの輪の中に入り込む気はさらさら無く、出直そうと踵を返した。が、一歩踏み出した所で目の端に入ったものを見逃さなかったレノックスが「…ファウスト様?」と名前を呼ぶからどうしてくれよう。すぐにしまったという顔をされたが、彼に悪気は無くとも口に出したものは元には戻らない。
南の国特有の空気の中に出て行くのは気が引けるのだが、ここで逃げ出す方が可笑しな話だ。通りかかっただけだと告げるのは簡単だが、また後でフィガロの元を訪ねるハードルが上がる事だろう。
僕が何も口にする前にフィガロはお礼の言葉を言ってくるし、ルチルとミチルの穏やかな視線が痛い。
ああもう、どうにでもなれ。そんな気持ちで伝えた単純な祝福の言葉に、フィガロは笑みを深めた。
去年よりはまともに言えただろうか。その前なんて本当に酷かった自覚がある。それでもフィガロは「ありがとう」と笑っていた。それがいつもの嘘まみれの笑顔じゃなくて、心から嬉しそうに見えたから……今年こそはちゃんと言おうと思っていた。フィガロの喜びと同じだけの気持ちを伝えられただろうかとフィガロの様子を窺うと、こてんと首を傾げられる。
「……いや、何でも無い」
西の魔法使いみたいにユーモラスな祝い方は出来ないし、だからといって昔のように素直にはなりきれない。結局の所それだけで、体当たりが失敗した気持ちになった。
こんなにも身にならない時間を待たせている南の国の三人を横目に見て、用は済んだし早めに立ち去ろうと思ったのに、それを察したのか伸ばされた手が僕の手首を掴んで引き留めた。
「何……?」
「一つ、君におねだりをしても良い?」
フィガロの方から要望を言ってくるなんて願ったり叶ったりだ。子供達の前だし、無茶な事は言わないだろうと考えて頷くと、フィガロは笑顔の種類を変えて顔を近付けて来た。少しだけ声のトーンを落とした声は何度となく聞いた色をしていたが、耳元で囁かれると否応なしにゾワリと肌が粟立つ。
「後で、君の時間が欲しい」
「後って、いつの事だ」
応えた声は震えてはいなかっただろうか。僕の動揺を知っている男は、触れている手を滑らせて手の平を指先で撫でてくる。
「子供達が寝静まった頃に。待ってるから」
まあ、という顔をしたルチルは先生同士が仲良さげに会話をしている事を喜んでいるのか、それとも別のニュアンスを感じ取ったのかは定かでは無い。
三人を引き連れて食堂に向かう男の背中を見送っていると、ミチルが「ファウストさんも一緒に行きませんか?」と声をかけてくれたがどうにか断った。レノックスが控えめに会釈をするだけで立ち去ってくれたのは、今の僕の顔が平常時とは大きくかけ離れていたからに違いない。
「くそ……」
真っ昼間から聞く声じゃない。どうしたって思い出すのはベッドの上の記憶だ。
レノックスと、もしかしたらルチルも気が付いたかもしれないのに、今夜フィガロの部屋を訪ねなくてはならないなんて――。いつもなら怒りで手が出る場面の筈なのに、顔が熱くて適わない。羞恥が怒りに勝ったのは、嫌では無いからだと知っていた。
フィガロの誕生日が終える頃、僕はあの部屋の扉を叩くだろう。
特別な日だから。おねだりを聞いてやると言ってしまったから。そんな言い訳をしたって、結局の所、僕がフィガロと過ごしたいだけなのだから。