年劫の兎この時期、姑蘇の街にも月餅と並んで兎をかたどった菓子がたくさん並ぶ。
最初は夜狩りから帰った子弟が土産として持ち込んだのだが、そのあまりの可愛らしさに年若い子弟の間で買って帰るのが流行り出した。そうなると年嵩の子弟たちも流行りものは気になる。
思追と景儀が、土産として買いこんだ兎の菓子を静室に届けるのに、そんなに時間は掛からなかった。
「藍湛、みろよ、この菓子、兎のヒゲまで描いてある。こっちは飴菓子だ。飴を流してこりゃ見事な一筆書きだ」
菓子箱にきれいに収められた兎菓子をひとつひとつ取り出してはひとしきり感嘆して、魏無羨は藍忘機の前に幾つも皿を並べた。
「さて、どれから食べる?」
「あなたの好きなものから」
「藍湛はいつも俺に選ばせてくれるけど、今夜はお前が選ぶ番だ。こいつはどうだ? 蓮の実餡の月餅に兎の模様が型押ししてある」
「では、それを」
「ダメだ、ダメだ、ほらやっぱり俺が選んでる」
「あなたと食べるものなら、私はそれが好き」
魏無羨のつくる表情ひとつも見逃すまいと、菓子そっちのけに、ひたと据えられた藍忘機の淡色の瞳。その瞳の奥に熱を感じて魏無羨はもぞもぞと居住まいを正す。
(藍湛はこういうことを言う前には、ちゃんと警告してくれなきゃダメだろ。あー、なんか鼓動が跳ねてるし、顔も熱くなってきた。毎回こうだ!胸苦しくて俺が死にそうになってもいいのか!)
「わかった、わかったから。じゃあ、どれも少しずつ俺と分けるってのでいいか?」
「嗯」
「切るもの、切るものっと……さすがに随便はだめか」
「必要ない」
藍忘機は皿の菓子をひとつ手に取ると、魏無羨の口元にそっと差し出した。
「食べて」
琴の修練で固くなった指先ときれいに切りそろえられた桜の花びらのような爪、最上級の玉から削りだされたような、瑕疵ひとつ見つけられない手。その手につままれた菓子は蓬莱山の仙果にも劣らぬ逸品にみえる。
「わかった、わかった。ほら、魏哥哥がいま半分に割ってやるから」
「違う」
「うん? 魏哥哥はお気に召さなかったか。それじゃあ、藍二哥哥、羨羨が割ってあげるからほら、こっちにちょうだい? これでどうだ?」
ふわりと藍忘機の耳が薄紅に色づいた。魏無羨に気づかれないほどかすかに奥歯を噛みしめて、ともすれば揺れそうになる瞳をじっと相手を見つめることで押さえ込み、藍忘機は手にした菓子を今度こそ、魏無羨の唇に押しつけた。
「食べて。あーん」
驚きのあまりぱかりと開いた口に押し当てられた菓子を無意識のまま一口かじり、次の瞬間、頭から湯気を吹き上げんばかりに真っ赤になった魏無羨は口を押さえて、ふるふると身を震わせた。
「ら、ら、藍湛! お前どこでそんなことを覚えてきたんだ⁈ はあ⁈ なんだって俺がこんなに動揺しなくちゃなんないんだよ!おい!藍湛!何食ってんだよ!それは俺の食べかけの!」
やいやい騒ぐ声を聞きながら、魏無羨の歯形のついた菓子をそっと口に運んで、藍忘機は満足そうにため息をついた。
「おいしい」