Episode鬼の雪
男がか細い少女の手を引きながら山を歩いてきた。ぶつぶつと何か呟きながらあるくその姿は異様で正常とは言い難い。
少女はそんな男に連れられているというのに無表情で、まるで感情等ないようにただ手を引かれるがまま歩いていた。
どのくらい歩いたであろうか。数日…いや、数時間だったのかもしれない。
ふと視界が開ける。
山の中とは思えぬ邸宅、チラチラと舞い散る季節外れの桜。そこかしこに雪が残っているのにそこは確かに“春”だった。
リン…と静かな邸宅に鈴の音が鳴る。
邸宅の中に“それ”は確かに居た。
男は反射的にひれ伏すと同時に叫ぶ。
「此処に御坐す“鬼”様!!どうか、どうか此処まで辿り着いた私めの願いをお聴きください!!」
『…願いにはそれ相応の対価がいる』
「えぇ、えぇ!もちろんですとも。この日の為だけに育て上げました!村1番の…いえ、国1番の器量良しの娘でございます。この娘を捧げます故、どうか、どうか…っ!我が妻を、生き返らせてくださいませっ…!!」
男は額を地面に擦り付けんばかりにひれ伏す。
捧げると言われた娘はその隣でただ静かに頭を下げていた。
そうされる事がわかっていたかのように。
『その娘はお前の娘ではないのか?亡き奥方の産んだ最愛の娘だろうに。お前は本当にそれで良いのか?』
「…妻以外は、要らぬのです」
鬼は笑った。男を嘲笑うかのように。
『良かろう。その願い、聞き入れた』
ふわりと男の目の前に人形が現れた。
男は目を見開き、そして泣きながらその人形を抱きしめた。
ーーーー亡き妻の名を言いながら。
それが最後に見た男の姿だった。
「さぁて…いつまでそこに居る?こっちにおいでな。おぉ可哀想に、こんなに痩せて…ほれ、菓子でもお食べ。」
鬼に招かれ邸宅にあがる。
そこには不気味な姿をした鬼が笑って手招きしていた。確かに菓子もある。
鬼に言われるがまま口に含めば、優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「鬼様、鬼様は私をお食べになるの?」
「ふぅむ…その身体を裂いて食うても良いが、鬼の好物は魂の方よ。お主は感情が薄い…そのままでは美味しゅうないからな…」
「鬼様のお口に合う魂となればいいのね。けれど困ったわ。感情というものは、如何すれば育つのでしょう」
鬼を前にしても物怖じしないその姿は確かに感情が欠如していた。壊れた心は戻らないが、これは心が育っていない。
鬼は目を細めて楽しそうに笑う。
新しいオモチャを見つけたかのように。
「…鬼は暇での、しばし相手せぇ。ほれ、こっち来ぃ。遊んでやろう」
か細い手を引いて庭に出る。
先ほどまで咲き誇っていた桜はなくなり今は粉雪がチラチラと降っていた。
「待雪、待や。お主は愛いのぅ。ほれこれがお主の名にもある雪よ。綺麗じゃろうて」
「……綺麗」
その少女の黒い瞳に映る雪はチラチラと輝き、少女の心に降り積もる。
はて、いつ名乗ったであろうか。
「待、こちらに来ぃ。球遊びとしよう」
「……はい、鬼様。すぐに参りますね」
鬼は笑う。
少女は知らぬうちに微笑みを浮かべていた。
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「……待や、待雪」
「はい、鬼様。待はここにおりますよ。すぐに参りますね」
てとてとと走り寄り鬼に抱きつく。
鬼は可愛がるようにその頭を大きな手で撫で笑った。
「……たった一つの魂ではコレが妥当であろうよ。なぁに、あの男も笑うておる。めでたし、めでたし」
その後父であったあの男は人形を妻だと思い込み歪な笑みを浮かべたまま衰弱死した。
その魂を飲み込み鬼は笑う
「…ふっ、ははは!稀に見る不味さよの!松雪や、オヤツにしような。甘い焼き菓子で口直しとしよう」
「はい、鬼様。これはとても美味しゅうございます」