「俺だったら、とっとと子供作っちゃってたかな」
そう言った巡が持っていたのは、色褪せた可愛らしい絵本で、タイトルには「シンデレラ」と書いてあった。舞奏社に落ちていた、誰かの忘れ物だ。佐久夜は絵本の愛らしさにそぐわないコメントに思わず顔をしかめた。巡は笑う。
「いやー、違うよ? 王子様とシンデレラが運命だって分かりきってたら……って話! つま先や踵切るような人たちに彼女の靴履かせるくらいなら、逃げられる前に子供作っちゃうよ」
「お前は自重を知らないのか? ……いや、知らなかったな。覚えろ」
釈明が釈明の役割を果たせていない。佐久夜はさらに苦い顔をした。仮定の話としても軽薄すぎるそれを許容するわけには行かなかった。
「うわ、不満そうな顔……佐久ちゃんはお堅いからなー。でもほら、なんか漫画みたいにさ、シンデレラ探してる最中の王子が舞踏会の夜に戻ったりしたらどう? 絶対に運命だって分かりきってて、絶対に逃げられちゃうって分かりきってる夜」
なぜ巡はこんなにもシンデレラの話に執着しているのだろう。佐久夜は不思議に思った。いつもだったら『はいはい、お堅くてやだなー』なんて言ってさっさと終わっているような話題だ。
佐久夜に、言わせたいのだろうか。運命を取り逃しかけた夜に、何をするのが最適解なのかを。佐久夜の正解を引きずり出したいのだろうか。
「……俺だったら」
口を開く。そうしないと終わらないのだろうから。佐久夜は巡の言いなりではないけれど、大抵のことは拒まずに請けてきた。
「そんな不確実な手段は取らない。なんとかして素性を聞き出すか、靴など拾わずに追い続ける。一晩で子供ができる確率よりは高いだろう」
佐久夜なりの偽らざる答えだった。一夜孕みは八百万たちの領分だ。人間が手を出そうとすべき場所ではないだろう。
この回答で巡は満足だろうか、と様子を伺う。巡は相変わらず笑っていた。腹の底が見えない顔で笑っていた。
「ばっかだなー、佐久ちゃんは」
巡は何故か佐久夜へと近づく。手を伸ばして、佐久夜の腹に触れた。布の向こうにあるものを探るように、撫でる。
「一晩って、ずっと起きてると結構長いんだよ」
それくらい知っている、と佐久夜は言おうとして、何故か喉が詰まって言えなかった。