8月新刊冒頭「俺とあいつが? ないない。いや、本当、全然そういうのじゃないって」
そんな言葉を笑いながら言ったのも、もう何度目になるだろうか。なんとか納得して去っていった後ろ姿を見送って、ネロは大きく息を吐いた。
ブラッドリーとネロは、かつて死の盗賊団のトップとナンバーツーとして、北の国で過ごしていた。猛吹雪の中くたばりかけていたネロをブラッドリーが拾って、頭領と部下の時代を経て、果ては相棒に。
その頃から、度々こういうことはあった。有り体に言うと勘違いする人が居るのだ。ブラッドリーとネロの関係を、文字通り相棒ではなく、もっと懇ろな其れに。
四百年近くも一緒にいたせいか、他人よりも気安い関係だという自覚はある。百歩譲って盗賊団に居た頃ならまあわかるのだ。そうでなくともあのブラッドリーが相棒と呼ぶ存在が居るらしい、と好奇の目に晒されてきたのだから。面と向かって「ブラッドリーのダッチワイフか?」と聞かれた時には流石に反射で相手を半殺しにして当のブラッドリーに止められたりもしたが。
──それでも、まさか魔法舎で再会してからもこのような機会に見舞われるとは。
魔法舎での二人はボスと子分ではなく、はたまた相棒でもなく、北の魔法使いと東の飯屋なのだ。昔の関係を隠してくれとブラッドリーに言ったのはネロのほうで、ブラッドリーも渋々ながらそれに付き合ってくれている。
だから、こんな風に聞かれる筋合いはない。そう、ないはずなのに。
「その、ネロとブラッドリーってなんだか特別な雰囲気がありますよね」
そう賢者に切り出された時、久しぶりの感覚に手元が狂いそうになった。洗っていた食器を落とさなかったのは幸いだ。額を冷たい汗が伝う。
「えっと……賢者さん。それは、どういう」
隣で洗い物を手伝ってくれている賢者は、そんなネロの焦りにはまるで気づいていない顔をして、さらさらと言葉を続けてみせる。
「ほら、ネロってブラッドリーに対しては良い意味で遠慮が無いというか……結構強気なところがある気がします。ブラッドリーも、ネロと話している時は機嫌が良さそうなことが多いですし」
「それはさ、賢者さん。あいつは俺の作る飯が好きだから。それに、あいつは北の魔法使いだろ? 俺みたいな東の大して強くもない飯屋を特別構うわけもないよ」
「うーん……そうですか?」
納得しきっていない、と賢者の顔に書かれている。ネロが慌てて重ねた様々な言葉たちも、どうしても言い訳のように聞こえてしまう。
最終的に賢者が「わかりました。そういう事にしておきますね」なんて折れてくれたから良いものの、ネロはどっと疲れてしまった。
洗い物をはじめとした後片付けを終え、自室に戻って寝台に横たわる。何かと考え込んでしまう前にひと眠りしようという魂胆だった。しかし、瞼を閉じても余計なことばかりが頭の中を渦巻いて、一向に眠気はやってこない。
──もし、もし本当に周りが言うように、あいつとそういう関係になったとしたら?
もう何度目かもわからない、そんなことを考えて、ネロはふっと苦笑した。
恋人同士だとか、そんなわかりやすい名前で示せるような関係ならば、こんなに拗れることもなかっただろう。
かつて魔女と連れ立って盗賊団をあとにした男の言葉を思い出す。
『小っ恥ずかしい話なんですけど、運命だと思ったんです。俺の人生にはこの人が必要で、この人じゃなきゃいけないって』
そうだ。恋というのはそのように、うつくしくも盲目なものである。
かつてはこの人が俺を導いてくれると、北の空にひときわ輝く一等星のように、ブラッドリーという男を見ていた頃もあった。
だが、ネロにとって他人と生きるということは、己も相手もすり減ることなくぴったりとくっつきあえるような、そういうことを指すものだった。そう在りたかった。
己の矜持のためならば、多少の無茶も厭わない、そんなブラッドリーの生き方を否定するつもりはない。ただ、ネロは其れに最後まで馴染めなかった。ネロにとっては宝石よりも矜持よりも、大事な人が生きていてくれるほうがよほど大切だったので。
──まあ、無理だろうな。そんな言葉をのみこんで、ネロはくたりと硬いマットレスに身を沈める。
わかりやすくいえば、今更恋人などという関係におさまるには、あまりに傷つきすぎたのだ。