馬に蹴られたくはないもので 最近のボスは機嫌がいい。
それに気付いているのはきっと俺だけではないだろう。すっと通った鼻筋を横切る傷痕、よく通る低めの声。頭も回れば口も回る我らが首領は、常日頃から穏やかさとは離れた場所で立っている。
それが最近、そこはかとなく浮かれているようなのだ。どこがと聞かれれば答えに困るような些細な変化。しかし組の連中は皆、仕事を片しながらも落ち着きがない様子で、誰かがボス本人に尋ねるのを待っている。
「ボス、最近機嫌がいいっすね。なんかいい事ありました?」
──そう、ちょうどこういう風に。
組織の若き首領相手にこんな口が利けるのも、基本的にはよほどの古株か無鉄砲な若者くらいだ。紛うことなき後者である男の問いかけに、ボスはちらりと視線を遣った。
ワインレッドの双眸は、問いかけを発した男だけではなく、一斉に耳を傾けた組員全員を一瞥した。薄い唇がゆるりと弧を描き、伏せた瞳の奥の光が俺達の肌を震わせる。
「まあな。気分が良いのは事実だぜ」
「やっぱり! 何かあっ、……」
言いかけた若者の言葉がぴたりと止まる。瞬間、場を支配したのは静寂だった。長い指先が動く様すら、まるでスローモーションのようだ。
息を呑む音。永遠にも思えた沈黙を破ったのは、組員たちの視線を背負った男だった。
「……余計な詮索すんなよ? 消されたくなけりゃな」
物騒な言葉とは裏腹に、その表情は見たことがないほど艶やかだった。隣に居た若い組員は、ぽかんと口をあけたまま固まってしまっている。
落ち着かない雰囲気の中組員たちはそれぞれ持ち場に戻っていく。書類整理をしながら、同じ場所に居た組員たちは口々にこう言った。
「女か?」「女だろ」「まあどっちにせよ……」
首は突っ込まないに限るな、と。