Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    cross_bluesky

    @cross_bluesky

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 31

    cross_bluesky

    ☆quiet follow

    12月の新刊のサンプル部分になりそうなところです。フォ学卒業後軸、俳優ブ×飯屋ネ。
    終わらないので尻を叩いてください

    「私達、別れましょう」
     少しは聞き慣れていた声が紡ぐ言葉を、どこか他人事のように聞いていた。
     夜営業のカフェは適度に人が入っていて、ささやかな喧騒が耳に心地良い。薄明るい照明の下、俺はテーブルを挟んだ向こう側、マドラーでグラスの中身をゆっくりとかき回す女へと視線を向けた。
     マロンブラウンの髪はゆるく巻かれていて、小さな仕草でふわりと揺れる。ばっちり上がった睫毛の向こう側、大きな瞳は確かに今、俺の姿をとらえていた。
     ──彼女とは所謂交際関係にあった。たった今、この瞬間までは。
    「どうしてって、言わないのね」
    「まあ、なんとなく、そんな気はしてたっていうか……」
     最近は付き合いはじめた当初と比べれば、会う頻度もかなり少なくなっていた。最初の頃は『此処に行きたい』や『会いに行ってもいい?』なんてそれらしいやりとりだってあったはずなのに。
     今日だって、カフェに行きたいという彼女のメッセージに『珍しいな』と思ったのだ。
     じ、とこちらを見つめる女の瞳には、悲哀にも憐憫にも似た色が浮かんでいる。
     元々こういった人付き合いは得意ではなかった。女と出会ったのも、ふらりと立ち寄ったバーでのことだった。ちょうど傷心中だった彼女と自分の状況が噛み合って、有り体に言えば利害の一致というやつだ。
     互いへの愛がきっかけというわけではない。それでもそれなりの情はあったつもりだし、憎からず思っている部分もあった。
     それが、告げられた言葉に思っていたよりも動揺しない自分がいる。黙り込んだままの俺に対し、女は薄く笑って呟いた。
    「私達、ずっと傷の舐め合いだったじゃない? でも、それももうやめようかなって」
     続けて彼女は、一度でも私との未来を描いたことがあったか、とそう聞いた。
     すっかり冷めてしまった珈琲の水面を視界の端にとらえながら、やけに重い唇をなんとか開く。
    「……ごめん」
     彼女との関係に、ぬるま湯のような心地良さはあった。しかし、所詮は彼女の言うように傷の舐め合いだったのだ。お互いがお互いの寂しさを誤魔化すために、そばにいただけ。そこに未来を描けていたわけではなかった。
    「お互い様よ。でも、ひとつだけ最後に言わせて」
     ガタン、とテーブルが小さく軋む。柔らかく鼻腔を擽るのは、彼女が好んでつけていた香水の香り。花の香りの奥に涼やかな甘さが隠れた其れは、今日はやけに印象的だった。
     ふわりと頬を擽る髪。微かに触れた唇の端、女は秘密を打ち明けるような囁かな声でこう口にした。
    「私、これでも結構好きだったのよ。あなたが古傷を忘れてくれたらいいなと思うくらいには」
     席を立つ女に『送ろうか』と声をかけると、彼女は溜息をついて今度こそ呆れたようにこちらを見た。大きな瞳が細められて、やがては肩を震わせ小さく笑いだす。
    「ねえネロ……あなたって、本当にひどい人!」

     さて、テーブルに残されたのは、冷めた珈琲と頬杖をつく自分ひとりだけ。こちらに背を向ける最後の瞬間、女の眦にうっすらと浮かんだ水膜の正体を確かめることも、もう出来やしないのだ。
     カップの中身を一気に喉奥へ流し込むも、苦さだけが舌に残って仕方がない。申し訳ないことをしてしまったな、と思うけれど、それと同じくらいにいつかこうなるだろうとも思っていた。
     お互い過去に拵えた傷を舐め合うだけの関係で、それが心地よかったのは事実だ。それでもこういうことがあるたびに、否が応でも己の薄情さを自覚する。
     ──きっと、何でもよかったのだ。あの男のことを忘れさせてくれるなら。


     早朝、アラームの音で目を覚ますと、外は生憎の雨だった。しとしとと雫が地面を叩く音に耳を傾けながら、俺は寝台から抜け出せないまま身じろいだ。
     だらりとマットレスに沈んだ腕をなんとか動かし、スマートフォンのロックを解除する。天気を確認すれば、今日は一日ずっと雨らしい。仕込みのために早く起きたものの、身体はやけに重い。ずっと雨なら客入りもイマイチだろうし、今日は店は休みにしようか。
     最近友人に勧められて始めた店のSNSに臨時休業のお知らせを投下して、再度布団を肩まで被ってしまう。体温であたたかさを増した布団に身を包めば、やがてとろんと瞼が落ちてきた。意識が落ちきる寸前、一瞬光った画面には気付けないまま、微睡みに大人しく身を委ねた。

     耳に届いたのは、鳴り響くインターホンの音だった。ちらりと時計を見ると、時間はもう昼過ぎといったところだ。
     久々に眠りすぎてしまった感は否めない。とりあえず顔だけ洗って寝間着のまま急いで玄関に向かい、内側から扉を開けると、外には友人の姿があった。
     癖のある髪にきっちりと纏った衣服。薄く色の入った眼鏡の奥ではアメジストの瞳が柔らかく光っている。
    「おはよ、ファウスト」
    「おはよう。……ネロ。きみ、今まで寝てただろう」
    「はは、バレた?」
    「寝癖がついてる。いきなり来てしまって申し訳ないな。渡したいものがあったけど店が閉まっていたから。連絡はしたけどその様子じゃ見てないだろう?」
     そう言った友人──ファウストを中に招き入れ、ぐっとひとつ伸びをする。
    「いいよ全然。なんか食べる? ちょうど自分用に朝飯作るからさ」
    「折角ならいただこうかな。ちょうどまだ昼食はとっていなかったから」
    「朝……」
    「認めなさい。もう昼だよ」
     軽口を叩き合いながらも冷蔵庫の中身を確認し、作るものの目処をつける。
     自分用だけなら普段は適当にすませることが多い。食パンを焼いてバターを塗るのはまだマシなほうで、時間がなくて野菜ジュースを朝食だと称して急いで飲んで店に行くこともある。
     しかし、客人がいるとなると話は別だ。元々『自分のため』よりも『人のため』に何かを作るほうが得意だった。どんな料理が好きか、味付けは甘めが好きか、しょっぱいのが好きか。相手の好みを知っていって、その欠片を料理に反映させる。そうすると返ってくる『美味しい』の声や笑顔、感謝。それを得る瞬間の、あの胸が満たされる心地を知っているからこそ、苦手な接客にも目を瞑り、飯屋なんかをやっている。
     さて、と調理台の前に立った。
     小麦粉に牛乳、少しの塩、オリーブオイルをまとめた生地をフライパンへ。薄くのばして焼き色がつくまで火を通し、畳んだ生地の真ん中にハムを敷いて卵を落とす。ピザ用チーズを散らし、良い具合に溶けたらあつあつのまま白皿へ。彩りにハーブを添えたらガレットの完成だ。本当は店にあるそば粉を使えばもっとそれらしくなるのだが、生憎家に常備はしていなかった。
    「お待たせ」
     声をかけると、椅子に腰掛けていたファウストがゆるりと視線をあげた。黙っていると精悍な顔立ちが柔らかくほどける。
    「ガレットだ」
    「先生、好きだろ?」
    「好きだよ。きみは相変わらず人の好みをよく覚えてるな」
    「まあ仕事柄かねえ」
    「いや、元々じゃないか?」
     いただきます、と両手を合わせ、ファウストはガレットにナイフを入れた。卵の黄身は良い具合の半熟だ。ナイフの切っ先からとろりととろけて、周囲の白身を染めていく。
    「美味しい……」
    「はは、そりゃ良かった」
    「きみの分は?」
    「俺はこっち」
     俺が殆ど同じ具材で作ったサンドイッチをちらつかせれば、ファウストは少し安心したように微笑んだ。二人してテーブルを囲み、世間話を交わしていれば、やがてファウストが持ってきていた袋に手をつける。
    「渡したいものがあるって言っただろう? 昨日、久しぶりにシノとヒースクリフに会ったんだ」
    「お。いや〜あいつらも売れっ子になっちゃって」
     シノとヒースクリフは元芸能校出身で、突然の三校合併によって一時期学び舎を共にしていたことがある。最初は特に接点もなかったが、学生ながらパパラッチに追われていたのを逃がしてやってからは、彼等の家庭教師をしていたファウストと四人でよく机を囲んでいた。
     そんな彼等はレモンパイラバーズというユニット名でアイドルをしており、今じゃCMにバラエティにと忙しく活動している。
    「ふふ、中身は変わらないよ。今度きみの店にも顔を出すと言っていた」
    「じゃあとびきり美味いレモンパイ作っておいてやらなきゃな」
    「きっと喜ぶよ。ほら、これ」
     袋の中身は新しく発売された写真集や特集ののった週刊誌──こちらは恐らくシノが渡そうと言い出したのだろう。メディアにも露出するようになってから、こうやって律儀に出演したものを送ってくるのは、狩った獲物を飼い主に見せにくる猫のようで毎度可愛らしい。
     袋詰めされたティーバッグやお菓子はヒースクリフのセレクトだろう。毎回センスの良いものを贈ってくれるから、口寂しい時に助かっている。
     そして最後に、茶封筒の中からライブのチケットが現れた。
    「あいつら、わざわざ渡さなくてもこっちでチケット取るのに」
    「毎回そう言ってるんだけど、『外れられたら困る』と言われたら、どうにも断れなくて……ああ、それから『写真集はサイン入りだから売るなよ』とシノがネロに言っておけって」
    「いや、売らないよ流石に……」
     シノの中で俺は一体どんなろくでなしなんだ、と肩を落とすと、ファウストはくすくすと声を押し殺すようにして笑った。
     ふと手に取った週刊誌の表紙はミスラが飾っている。元不良校のあの男も相変わらずモデル続けてるんだな、と頭の片隅で思っていれば、視線は不意に表紙の右下に吸い寄せられた。
     月曜夜九時のゴールデンタイムを陣取っているらしい恋愛ドラマのタイトル。そこにはメディアに疎い俺でも名前を知っている若手女優と、ひどく見慣れた男の名前が並んでいる。
     固まった俺を見兼ねてか、ファウストはゆるりと口を開く。『あの男が恋愛ドラマの主演だなんて、驚いた』なんて言葉に、俺はただただへらりと笑って、内心ではちっとも笑えていなかった。
     ああ、本当に遠い世界の人になったな、なんて、思う資格があるわけがない。
     あいつを突き放したのは、他でもない俺自身なのだから。


     ──今をときめく人気俳優、ブラッドリー・ベインの秘密に迫る!
     それらしいキャッチコピーを添えられた男と俺は、幼馴染で相棒だった。
     親があまり家に帰ってこなかった俺の手を取ったブラッドリーの『おまえは俺様の子分だ』という言葉に特に抵抗もせず駆け回っていた幼少期。中学高校時代は気がつけばブラッドリーの率いるストリートチームのナンバーツーに据えられていて、『相棒』なんて言葉に柄にもなくはしゃいで、一緒になってやんちゃもした。
     それでも進学を期に一度疎遠になったのだ。あいつが喧嘩の延長線上で大怪我をして、俺は病室で其れを咎める。そんなことが何度か繰り返された頃、俺は耐えられなくなってチームを抜けた。そこからは自然とつるむ時間も減り、そのまま俺は住んでいたところから少し離れた料理の専門学校へと進学した。
     一部の友人たち以外には行く先は伝えなかった。勿論、ブラッドリーにも。
     それが、卒業後下積み時代を経てようやく自分の店を持つようになった頃。住んでいたアパートにブラッドリーは突如、平然とした顔でやってきた。
    「よう」
     まるでつい昨日ぶりかのように堂々とやってきたものだから、呆気にとられてろくに口も開けなかった。こうなってしまえば相手の独擅場だ。あれよあれよと押し入られ、気がつけば幼馴染の男は人の家に我が物顔で居座っていた。
     どうやら働いてはいるらしい。朝早く出ていく日もあれば夜遅くに戻ってくる日もある。何の仕事をしているのか聞いてもどんな答えが返ってくるのかわかったもんじゃないから、敢えて聞かなかった。
     ただ、どうして突然人の家に居座っているのかは聞いたことがある。その答えはこうだ。
    「おまえの家の方が色々と都合が良いからな。何より美味い飯が食えるし」
     嫌か? なんて大の男が小首を傾げて聞いてくるのだから、言いたかったはずの文句も喉につっかえてしまう。
     相変わらずずるい男だ。嫌だと言えない自分も自分なのだけれど。
    「まあ、良いけど……あんまり長く居るつもりなら」
    「金か? それなら来た日におまえの財布にちゃんと突っ込んでるだろ。気づいてなかったか?」
    「はあ?!」
     大して使っていない財布を見てみれば、確かに見覚えのない札束で膨らんでいる。普段は小銭入れだけで動くことが多いから盲点だった。そもそも人の財布を勝手に漁るなとか、言いたいことは山程あるが、一番大きな問題はそこではない。
    「馬鹿野郎、こんな大金受け取れねえよ!」
    「俺は価値あるものにはちゃんと相応の対価を払う主義なんだよ。大人しく仕舞っとけ」
    「いや……大体、てめえ危ない仕事に手ェ出してないだろうな?!」
     狼狽したままブラッドリーの首根っこを掴んで問い詰めると、当の本人はきょとんと目を丸くして、それから大きく口を開けて笑いだした。
     眦に薄く涙が浮かぶくらいひとしきり笑い終えた後、ブラッドリーは俺の肩を抱き、スマートフォンを手渡してくる。促されるままロックを解除すると、隣から伸びてきた指がブラウザアプリをタップした。
    「俺の名前、入れてみろよ」
    「え、なんで」
    「なんでもだ、なんでも。ほら」
     検索窓に言われた通りにブラッドリーの名前を入れると、何故か予測候補に『出演作』『ドラマ』などが並んでいる。固まりかけた指でなんとか検索をかけると、トップに見慣れた男の顔写真と名前、そしてその隣には『俳優』と書いてある。
     は、と吐きかけた息が止まる。肩越しに俺のスマートフォンの画面を覗き込んだ男は、俺の動揺を知ってか知らずか、「な?」と耳元で柔く笑ってみせた。
     そう、幼馴染の男は知らないうちに芸能界に俳優として足を突っ込んでいたらしい。どうしてもこの男と俳優業が結びつかなくて、きっかけを問いただせば、苦虫を噛み潰したような顔をして白状する。
    「双子の野郎共に面倒くせえもん見られてな。帳消しにしてやるからウチで働けだとよ。正直全く乗り気じゃなかったが……」
     双子と聞くと元不良校の永遠の一年生と噂されていた二人を思い浮かべるが、そこはまあ、ひとまず置いておくことにした。ブラッドリーのワインレッドの双眸がどこか得意げに細められる。
    「まあ、仕事自体は案外悪かねえよ。若手だからと見下してくる連中を演技で食ってやるのも一興だしな」
    「はあ……」
     確かに、幼馴染の男はなかなかに整った顔立ちはしていると思う。付き合いだけは長いから忘れかけていたが、改めて見ると頭も小さいし脚も長い。ぱっちりとした瞳は眼力もあるし、すっと通った鼻筋に薄い唇のパーツのバランスも良い。昔危ない喧嘩に頭を突っ込んだせいで鼻筋に走った傷痕だけはいただけないが、本人は勲章だとか言ってこれはこれで気に入っているらしい。
     改めてまじまじと眺めていたら、ブラッドリーは少しだけ居心地悪そうに肩を竦めて、それからすぐに悪戯に目尻を細めた。
    「なんだよ、見蕩れたか?」
    「ん〜……まあ、そうかも」
     それだけ言えば、ブラッドリーは一瞬だけ目を見開いて、ふうん、とだけ呟いた。いつもなら満足気に笑うところだろう。不思議に思って視線を遣れば、ほのかに染まった耳元が見える。照れた時に耳の先が赤くなるのは小さな頃から変わっていないらしい。
     声を殺してくすくす笑えば、肘の先で小突かれる。まるでいつかに戻ったかのようなやり取りは心地良い。ひとりの食卓がふたりになるのも悪くなくて、それで結局そのまま居座ることを許してしまっていた。
     思えば昔からずっとそうだった。ひとりでも不自由なく生きていけるのに、あの男と一緒に居ると駄目になる。少しの餌を与えられるだけで馬鹿みたいに嬉しくなって、だからこそ小さな軋みに身が引き裂かれそうになる。
     柔らかな安寧に身を委ねていれば、其れが夢のように脆いものだと思い知らされる。このときの呼び水はひとつのシャッター音だった。
     ──朝、いつも通りに目を覚まし、昨夜居たはずの男が留守にしていることに気がついた。
     早朝から仕事の時は、夜のうちにそう聞かされていることが多い。伝え忘れていたのだろうか。ぼんやりとしながら身支度を整えていれば、スマートフォンから着信音が鳴り響いた。
     光る名前はシノ・シャーウッド。予想とは違う其れに応答すれば、発信主のシノの声は動揺したように揺れていた。
    『おいネロ。そっちにブラッドリーは居るか?』
    「お〜おはよ、シノ。あいつなら今は居ないけど、何か用事か?」
     シノはブラッドリーと少し前に雑誌の撮影で一緒になったと言っていた。その関係だろうかと見積もっていれば、シノは何故か安堵したように息を吐いた。
    『ならいい。ネロ、今日は店を休みにしろ』
    「え、なんで」
    『なんでもだ』
     理由もわからないのに大人しくはいと頷くわけにもいかない。頑なな様子のシノに問いかけようとした時、今度はメッセージアプリの通知が光る。
     差出人はファウストだ。通話を繋いだままそっと内容を確認する。は、と震えた声に通話越しに気がついたらしい。シノは『オレは前にネロを巻き込むなと言ったんだ。次に会ったら蹴りのひとつでも入れてやる』と物騒なことを言って通話は途切れた。
     さて、少なくとも今日は店を開いている場合ではない。ファウストから送られてきたのはとあるネット記事のリンクだった。
     見出しには仰々しくこう書かれている。
    《ブラッドリー・ベイン、深夜の密会か?! 謎の人物の肩を抱きアパートへ出入りする瞬間を激写!》
     添えられた写真は如何にも隠し撮りですといった風にピントが甘い。それでも、ブラッドリーの後ろ姿と、たいへん身に覚えのある自分の姿が並んでいて、これまた覚えのあるアパートのエントランスへと向かっている様子が写っている。
     別に中性的な見た目をしているわけでもなんでもない。ただタイミングが悪いことに、この時は風呂上がりで髪は適当に乾かしてそのまま伸ばしっぱなし。体型のわかりにくいだぼだぼのスウェット姿で、買い忘れた食材を二十四時間営業のスーパーに確保しにいった帰りだった。
     もう少し鮮明な写真ならば、ブラッドリーの隣に並んでいるのが男であることくらい明白だ。それがピントのずれや画角により、絶妙にそれらしい写真に仕上がっている。ブラッドリーが肩に腕をまわしているのもよろしくなかった。よろしくはなかったが、身長178センチのそこそこにデカい部類の男をこうもそれらしく撮れるのは寧ろ才能ではないだろうか。
     記事の大本も、芸能人のスキャンダルを主なネタとしたニュースサイトだ。ちょうど軌道にのってきたブラッドリーに目をつけて、あまりにもネタがあがってこなかったものだから偶々現れた俺を上手く使ったに違いない。
     今日は大人しく家から出ないでおこう。そう決めたはいいものの、家に居たところでこうもざわついた心持ちではゆっくり眠ることもままならない。
     ブラッドリーが朝から不在だったのは、この件で事務所に呼び出しでもくらったのだろう。この様子では、しばらく……もしくはこの先ずっと、此処にやって来ることはないかもしれない。
     布団に潜るだけ潜って、店の休業のお知らせを投稿するべくSNSを開く。嫌でも目に飛び込んでくるトレンド欄には、『ブラッドリー』『密会』などのワードがずらりと並んでいた。見なければいいのにタップしてしまった己の指が恨めしい。
     結局、騒動はすぐに収束した。事務所から即座に声明が出され、ブラッドリー本人のアカウントからもポストがあったのが大きいだろう。
     アパートの周りをたむろしていた記者や野次馬と思われる人影もなくなり、店も通常通りに営業できるようになった。
     ようやく戻ってきた日常。鳴り響くインターホンの音に、ドアスコープを覗き込む。そして俺は即座にドアを開き、現れた男に出会い頭に言い放った。
    「もう来るなよ」
     告げた言葉に、扉の向こうの男──ブラッドリーは目を丸くした。黒のバケットハットを目深に被り、恐らく伊達であろうメガネをかけた姿は目に新しい。一応バレないようにという配慮はしているらしかったが、それとこれとは話が別だった。
     ブラッドリーは俺の肩を掴み、悪かった、と呟いた。やけにしおらしい顔をして、全力でこちらを宥めようとしている。付き合いだけは長いのだ。こういう時の相手のやり口くらいはわかっている。
    「あの記事のことだろ? 気にすんな、もう誰も信じちゃいねえよ」
    「そうだけどそうじゃない」
    「どういう意味だよ」
    「そのままの意味だよ。もう会いにこないでくれ。嫌なら俺がここから出ていったっていい」
     頑なに突っぱねていれば、目前の男の気分が下がっていくのが目に見えた。しおらしかった表情には苛立ちや焦りのようなものが見え始め、肩を掴んでくる手のひらにも力が入る。
    「何がそんなに嫌なんだよ。面白おかしく書かれたことか? てめえと俺が密会だとか、熱愛だとか?」
    「……違えよ。俺の存在があんたの足を引っ張るのが嫌なんだ」
    「足を引っ張る? 俺はあんなチャチな記事で足引っ張られるほど適当な仕事してねえよ」
     そういうことじゃない。きっとこの男は知らないのだ。あの記事が出た後、ネット上ではファンの人たちもそれ以外も様々な反応を見せていた。ブラッドリー・ベインが俳優として築き上げてきた立派な塔に、突如石が投げ込まれたような感覚なのだろう。それが例え小石だろうが、当たりどころが悪ければ塔は崩れ去ってしまう。
     自分の存在が足を引っ張るのが嫌だ、というのも間違いなく本音だった。それでも、それが全てではない。
     俺は恐ろしかったのだ。目前の男は例えこの先周囲から何を投げかけられようが、毅然とした態度で処理できるだろう。そういう強さがあった。そういうところが好きだった。
     でも、自分は違う。同じところに立って話をすることで、降り注いでくる刃を躱すことはおろか、受け止めることだって難しい。それなら初めから、その場所に立たなければいいと思ってしまう。俺はそういう無責任で薄情な男だった。
     黙ったままでいれば、ブラッドリーは痺れを切らしたらしい。掴んだ肩をそのまま引き寄せられ、視線の先で皮肉げに笑ってみせる。
    「だんまりかよ。……はは、ならよ。いっそ本当にしてやろうか?」
     何を、と問いかける暇もなかった。流れるように顎を掴まれ、口づけられる。
     ああ、とわけもなく泣き叫びたくなった。繕っていたこころの縫い目が無理矢理に破かれて、中身がこぼれ落ちたようだった。俺が長年押し殺しつづけた感情は、どろどろに煮詰まってそれでも何とかこころの中に留まっていたはずだった。それがこんな、この男にとってはきっとなんてことのない行為ひとつで白日の下に晒される。視界がぐらぐらと揺れて、まるで自分が自分でなくなったような。
     震える拳がブラッドリーの顎下まで滑らかに弧を描く。鈍い音と共に崩れ落ちた男を扉の向こうに放り出し、驚くほど平淡な声が自分の喉の奥からまろび出た。
    「もう二度と会わない」
     バタン、と大きな音を立てて閉まった扉は、この時だけはもう二度と開かないのではないかと思った。そのくらいの深い断絶だった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭💖💖💖💖💖💖💖💖😭💯🙏😭😭💖💖💯💯
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works

    44_mhyk

    SPOILERイベスト中編のブラネロ絡み傷つけたくないのにドレスを割いて、次は体を傷つけると脅しにかかったネロをさりげなく、「直接」シアンをネロが傷つけないで済むようバジリスクの上に飛び乗れ!と誘導したように思えてならないのだが私の都合の良い解釈ですかね…?

    あと、普段は名前をなかなか言わないけどいざという時にちゃんと「シャイロック!」などと名前でしっかり呼ぶブラが本当に好きです。解釈一致すぎる。
    明らかにノーヴァの時より足並み揃ってるし、ネロもブラッドリーを信頼して動いているように見える。

    そしてシャイロックの、ネロに女の子を殺させるなという取引について…

     ブラ、シャイロックに感謝すらしてるようにみえる。多分ブラはわかってる。何なまっちょろいこと言ってやがる、と口にすることがあるとしても、ネロがそう言う優しい男なのだと、「今の」ブラッドリーは理解してるし尊重してる気がする。
     だから、「やる時は俺がやる」と答えた。
     シャイロックに言われなくても元々そのつもりだったんじゃない?ブラッドリー。
     じゃなかったら、何言ってやがるそんなこと言ってる場合か!殺せ!!くらいは言いそうだし。
     
     一方で、「陽動する!」に「了 676