妄想と深海魚の狭間 「妄想と深海魚の狭間」
その水族館には、人気のイルカショーやペンギンのコーナーを抜けた奥に、赤いビロードのカーテンで覆われた部屋がある。
薄暗いそこは、深海魚のコーナーだ。
光の届かない世界に生きる生き物たちの為に、照明は最低限にしてあり、お化け屋敷もびっくりなくらいに暗い。深海魚がいる水槽だけが、怪しい紫色のブラックライトの光でぼんやり光っていた。
そんなグロテスクなうごめく海の底の生き物たちの水槽の前で、杏寿郎は俯いていた。
紫色の光に照らされた横顔は、明らかにいつもと違う。目つきはいつもの勢いがなくて、熱でもあるのか、トロンとしていた。暗くてよくわからないが、多分顔色も赤みが差しているに違いない。
杏寿郎は、立ったまま、動こうとしない。けれどあの引き締まった尻や腰が小刻みに震えているのを、猗窩座は見逃さなかった。
深海魚の水槽に手をついて、杏寿郎は何かを我慢するように静かに目を閉じた。猗窩座は、それを見ながら、ポケットにあるスイッチを押した。
「…ンッ、」
ぴくん、と杏寿郎は歯を食いしばるように小さく全身を震わせた。こちらを睨んできたが、いつもと違う潤んだ大きな瞳でそんなことをされても、煽られるだけだった。
「…ぁ、あか、ざ」
「何だ?」
深海魚しかいない、静かな部屋でヴィィン、と不自然な音が小さく聞こえてきた。これが杏寿郎の、奥のさらに奥で彼を苦しめて喘がせている機械の音かと思うと、やけに興奮を覚える。
「ぁ…はっ、」
「杏寿郎、どうした?」
意地悪くそう聞くと、杏寿郎は潤んだその大きな瞳で、さらに猗窩座を睨みつけた。
「もう、むり…だ」
「何が?」
「だから、これ、この、入ってる、あの」
「玩具か?」
「…そう、それ、あっ!」
玩具の振動を更に強くしようと、スイッチをまた更に入れた。杏寿郎は立っていられなくなり、がくん、と、膝をつく。
こんな、誰が来るかもわからない場所で、グロテスクな深海魚に囲まれて。快楽に喘いでいる、恋人の姿。
可哀想なその様子に、猗窩座はひどく興奮した。
「もう、もう、助けて、あ、あっ…」
「どうやって助けたらいい?教えてくれよ、杏寿郎」
しゃがんで恥ずかしさに耐える杏寿郎は、顔を歪ませて、彼は猗窩座の名前を呼んだ。
「…ざ、猗窩座!おい!」
周りがみんな振り向くような大きな声で名前呼ばれて、猗窩座は我に返った。赤いビロードのカーテンの前で立ち往生していたせいで、先を行く杏寿郎に置いていかれそうになっていた。
「早くしないとイルカのショー始まるぞ!」
「あ、ああ」
深海魚のコーナーは、何やら不具合があり、閉鎖中で入れないらしい。黄色のロープが張ってあって「立ち入り禁止」の札が貼られていた。
少し残念に思いながら、猗窩座は赤いビロードのカーテンの前から立ち去った。
妄想は、妄想のままでいる方がいいだろう。実際にそんなことを提案しようものなら、あの、実は気性の荒い恋人から鉄拳制裁が飛ぶに違いない。
「ま、やるなら頭の中だけだよな…」
小さくそう呟きながら、猗窩座はイルカショーに行こうとする恋人の後を追った。