氷船 帰宅へ向けて「ホゴシャとは何だ?」
「んー……たとえば親御さんとか、子どもの面倒を見たり責任を取ったりする大人のこと、かな? 今、村にいる獣人族は正義さんと信くんしかいないから、オレたちは正義さんを信くんの保護者扱いしているけれど……」
そういえばオレたちが勝手に言ってるだけかも、と七雲は苦笑して頭を掻いたが、信はその七雲をしばらく見上げてぽつりと言った。
「……俺は子どもじゃないが」
「えっ!? いや、でも、氷船くんとか蒼生様が十七だから……信くんも一緒くらいじゃない? 違うの?」
七雲が心底驚いた様子で信を凝視する。信もまた、氷船と蒼生の年齢を聞いて目を丸くした。信は、まあ人間族とは寿命が違うらしいからな、と早口に話をごまかしてから、正義の待つ小屋の戸を開けた。
「……その定義なら、俺は信の保護者じゃあないし、信は自分のことを自分で決められる歳だよ。でも、そうだな。俺たちが、この村の人たちの役に立てるなら、それは喜ばしいことだ」
七雲の話を聞いた正義も苦笑しながら保護者を否定し、しかし、信に役目が与えられることには肯定的に頷いた。その後、猟師たちにも了承を取って信が次から狩りへついていくことが決まり、信は七雲から猟銃の射程や普段使っている罠のことなどを教わった。一方、氷船は変わらず海晴の助手をしているので、信が猟師の集まりや山にいると必然、顔を合わせる機会が減る。
しばらく顔を見ていないが正義から話を聞く限りでは元気そうだ、という認識で氷船が診療所の手伝いをしていると、窓の向こうで三角の耳がぴょこんと跳ねる。氷船はしばらくまじまじと窓を見た後、作業の合間を見つけて表へ出た。耳が見えた窓のほうへ回ると、風呂敷包みを抱えた信がパッと寄ってくる。
「氷船、見てくれ! 七雲さんが採って良いと……山の上のほうにあって手つかずだったからな、よく熟れている。きっと甘いはずだ」
中身がよく見えるように信が広げた風呂敷の中には、ヤマブドウやアケビなど山の果実がいくつも入っていた。村が焼けて山へ避難してきてから、山の幸には随分世話になっているが、まだ採れる分があったようだ。
きっと、崖の近くや枝の上など人間族では手が届かないような場所のものを、獣人族の体力を活かして採ってきてくれたのだろう。氷船が視線を上げると、信はほくほく顔で笑った。
「凄いな。良い山だ。豊作なんだな」
「そんなにか? ……、」
首を傾げかけて、途中で氷船は口をつぐんだ。村の山が豊作なのではなく、信の故郷が不作だったのだと気づく。
氷船は瞬きをして怪訝になりかけた表情を引っ込め、薄く笑って話題を変えた。
「上のほうにあったんだって? 傷は平気か?」
「ああ。蒼生殿がくれた薬も効いてる」
信はニッと笑って、それから風呂敷包みを氷船に差し出した。
「これは、お前と子どもたちに。七雲さんが、氷船に渡せば良いだろうと」
「っ、」
それを受け取りながら、氷船は少し息を詰めた。氷船は、海晴の厚意に甘えて診療所に寝泊まりさせてもらっているまま、本来身を寄せるべき長老のところ――家族のない子どもたちのところには、ほとんど顔を見せていない。七雲ならその事情も知っているはずだが、かといって、信が他に誰を頼れるのかと言われれば、氷船に白羽の矢が立つのも理解できる。あるいは、事情を分かっている上で、七雲が氷船にきっかけをくれているのかもしれない。氷船は、受け取った包みを潰さないように慎重に抱えて、それから信に礼を言った。
「……ありがとう、信。海晴先生が戻ったら、届けてくる」
「よろしく頼む。……その、世話になっている側の俺が言えた義理ではないが……氷船も、ちゃんと休むんだぞ」
海晴先生の助手なら忙しいだろう、と信は添えて、心配そうな顔で氷船の顔を覗き込んだ。琥珀色の双眸は、損得や保身や計算抜きに、純粋に氷船を慮っているようだ。氷船は、そんなに疲れて見えるだろうかと少し自分を省みてから、信に心配される顔色の理由に思い当たって考え考え改善策を口にした。
「その……お前が採ってきたんだ。届けるとき、お前も一緒に行かないか。子どもたちと顔を合わせるのが気まずいなら、長老に顔を見せるくらいで良いから……」
信は目を瞬いて、それから視線をうろうろと泳がせる。視線と一緒に尻尾もゆらゆら揺れた。
「……行って良い、ものだろうか。だが確かに、長老殿には御挨拶せねば……」
「長老なら、悪いとは言わねえだろう。子どもたちの今の様子も、長老が一番よく知ってるだろうし……俺たちがどう振る舞えばいいのか、たぶん、教えてくれる」
ぴ、と信の耳が意外そうに揺れて、その視線が氷船の顔まで持ち上がる。それから信は氷船を頭の先から足元まで眺めて、そしてもう一度氷船の顔を見ると、一つ頷いてしっかりと答えた。
「分かった。それなら俺も一緒に行こう。……海晴先生が戻るまで、俺もここで手伝っていていいか?」
「ああ、頼む。これから、怪我で寝ている人たちの薬湯を作るから……それを手伝ってくれると助かる」
「おう」
村の大人たちは、獣人族や鬼族に怪我を負わされた者たちも含め、ある程度は信と正義の滞在を容認している。信が村人を助けたことや、蒼生から千紫万紅の乱について概要を聞いたことで、獣人族に対して怒っても仕方がないという雰囲気になっているのだ。だから信も、氷船と一緒に診療所代わりの山小屋に入って、患者たちの合間を抜けて奥側の作業場へ向かう分には抵抗がなくなってきている。寝床からそれを見送る患者たちのほうにも、特に目立った動きはない。
だが子どもたちは、大人たちほど割り切れるだろうか。大人たちでさえ、本心ではどんな我慢をしているか分からない。だから氷船も信も、子どもたちに直接顔を見せることに躊躇っている。今日で何か変わるだろうか、と、氷船は腕の中の風呂敷包みを見た。
アケビはあの子が好きだった、ヤマブドウが好きだったのはあいつ、クリやクルミも、きっとみんな喜んでくれるだろう。氷船の口の端がちょっとだけ上向くのを、信は穏やかに目を細めて見ていた。