風前の灯火 たすけて、たすけて。
白いベッドの上の魔法使いは、か細い声で繰り返す。
たすけて、たすけて。
瞳はフィガロとファウストを見つめ、震える手は彼らに向けて伸ばされていく。ファウストが一瞬考えあぐねた隙に、フィガロは彼の手をそっと掴んだ。
「大丈夫、ほら、これを飲んで」
渡された錠剤に、彼らを見つめる人々は小さく息を呑む声が聞こえてくる。
決して後ろを振り返ってはいけない。反射的に動きそうな身体を、フィガロの教えを反芻することで何とか踏みとどまらせる。
持つものは全てを与えてはならない。救いの手で相手を不幸にしてはならない。
一度下した重い決断を、無碍にしてはならない。
黒く重い呪いは、その魔法使いの身体をぐるぐると巻きついている。先端は矢尻のように鋭く尖っており、左胸あたりに何本も突き刺さっていた。
どうか、どうかお願いします。あの人を、あの人のままでいてほしいのです。
そんな家族の願いは、果たしてエゴだろうか。それとも、彼にとっての救いだろうか。
寝ている男の口に、フィガロは錠剤を入れる。ファウストから水を受け取り、そのままゆっくりと流し込んでいく。
普段であれば気管に入りむせてしまうだろう。それでも、彼はすんなりとそれを飲み込んだ。見た目以外はすっかり変質してしまった現実を突きつけられ、ファウストは言葉を失う。
「うっ、あ、あ……」
男にまとわりつく黒がゆっくりと薄くなっていく。黒い矢尻の矛先は、宿主を手にかけたフィガロに向いた。
びゅん、と飛んでくる呪いに、彼は小さくため息を吐く。それでも整った笑みは崩さずに、指先をくるりと回した。
「《ポッシデオ》」
その言葉と共に、黒いモヤはキラキラした無数の煌めきに姿を変える。身体に降り注ぐそれを、男は小さな声できれいと言った。
「よい夢を」
どこまでも優しい声に、男はゆっくりと笑う。
後ろからは、鼻をすする音と声にならない心の叫びが小さく聞こえてくる。
それは悲しみか、安堵か、それとも後悔か。ファウストには分からない。
そして、彼は石になった。