苦茶 その日、シャイロックのバーに足を運ぶと、幾人かの客たちはこぞってローテーブルに集まっていた。その多くが自分よりも歳上の魔法使いばかりで、ファウストは扉にかける手を止める。
「おや、いらっしゃいませ」
絶対に厄介なことに巻き込まれる。しかし、挨拶をされてしまえばどうしようもない。律儀に軽く頭を下げれば、店主は頬を緩やかに上げにこりと笑った。
「占いをされているみたいですよ」
不思議な状況を端的に述べたシャイロックは、騒々しい雰囲気の方へ目線を向ける。
そこには双子たちを真ん中にして、フィガロやブラッドリー、ミスラ、それにオズ。アーサーとルチルはニコニコと笑いながら、スノウとホワイトと楽しげに会話をしていた。
何で場所だ。絶対に関わりたくない。サングラスをかけなおしたとき、こちらに向けられた視線に思わず顔を上げてしまう。
それがきっと運の尽き。あれよあれよとローテーブルに移動させられ、ファウストはいつの間にか双子たちの前に座らされた。無理矢理この場を立ち去ってもよかったが、そんなことができる空気ではない。
「ファウストちゃん、いらっしゃい!」
ご機嫌な双子たちからファウストは不思議な絵柄のカード渡される。受け取るしかない。
「しっかり混ぜてね!」
言われた通りファウストはカードを受け取り、裏返したままぐるぐると混ぜていく。適当なところで手を止めると、双子たちはお馴染みの呪文を唱えた。
すると、紫の輝きがカードを包み込み、ふわり空に舞う。柔らかな光が消えるころ、机の上には三枚のカードがお行儀よく並べられていた。
「これが明日の運勢じゃ」
スノウがパチンと指を鳴らせば、それらは一斉に表に返される。不思議な絵柄のカードが、向かい側に座るファウストから見て、全て正位置になっていた。
多少こういった類の占いの知識があれば、この結果に多くの者は顔をしかめるだろう。基本、結果のリーディングは占う側から見て行うことが多い。加えて、正位置の方がポジティブな意味合いを持つことがほとんどある。
とすれば、あまり良くはない未来である可能性が高いのだ。
占われるのが双子たちでなければ、ファウストももう少し気が楽だった。引きつった顔をした彼に、スノウとホワイトは楽しそうに笑いかける。
「気をつけてね、ファウストちゃん」
「大丈夫、大丈夫。明日、少しだけ用心すればいいだけじゃ」
「そんなに悪い結果じゃないぞ、安心せい」
「最悪だ……」
よくない結果をぼんやりと告げられたのだ。ファウストは大きなため息をつく。
巻き込まれた上に、不安になるような物言い。やんわり告げられた結果の続きを聞くため、ファウストは双子たちを見つめる。
そのとき、パン、と耳元で大きな花火が上がった。
室内で、それもシャイロックのバーでこんなことをするのは一人しかいない。
「それって、結局良いの? 悪いの? 明日ファウストを追いかければ分かるかな?」
「ムル」
「あはは!」
にこやかに笑う店主は、目をスッと細め名前を呼ぶ。当の本人はにゃあと鳴くだけだ。
誰かが酒を開けた。誰かが大きく笑った。誰かがサイコロを取り出した。
こうして場は混沌に包まれていく。結局、ファウストはうやむやのまま、盛り上がるその場を後にしたのだった。
占いを信じるか、信じないか。それは個人の思考の自由だ。自分に都合が悪ければ、信じなければいい。
しかし、ファウストはそうすっぱり割り切れるような性格ではなかった。
数時間後、憂鬱な朝を迎えた。
くぁ、とあくびをするのは夜更かしから。雑念を抱えたまま何か考える作業をするのはやめた方がいいことを悟る。
今日は、いつも通り授業をして、午後から軽い任務に向かい、その後は授業の準備。
午前中までは比較的予定通りに進んだ。多少、授業の進みが鈍かったものの、明日で取り返せる範囲だ。
しかし、予定調和はここまでだった。
夕方には戻る。賢者にそう告げた東の魔法使いたちは、月が輝く夜更けに帰ってきた。
驚き、不安な表情を浮かべる賢者に、ファウストはゆるゆると首を振る。同じ時間に魔法舎に戻ってきたアーサーからも大層心配されるほどに、彼らは疲労の表情を浮かべていた。
今日の任務は、中央の国の村で起きている異変についての事前調査だった。調査といえど話を聞く程度の本当に簡単なもので、息抜きを兼ねて賢者が依頼したのだ。
近くには大きなバザールが開催されており、珍しい食材や道具も売っている。帰りに寄って帰ろう、なんて話していたのが懐かしい。
「すごい、荷物ですね……」
シノが、箒から重そうな何かを地面に降ろした。驚いたような、それでいて申し訳ないような、そんな顔をした賢者は、説明を求めるべくファウスト含む東の面々の顔を見る。
「賢者の魔法使いって言ったらこうなった。どういうことだ?」
「えっと……?」
端的すぎるシノの答えに賢者は首を傾げる。すぐに、ヒースクリフから咎める声が飛んだ。
何か悪いことでもあったのだろうか。顔を暗くする賢者に、ネロは苦笑いをして話し出す。
どうやら、賢者の魔法使いというだけでものすごく歓迎をされてしまい、なかなか解放してもらえなかったらしい。加えて、そんな友好的な村から魔法科学兵器や大量のマナ石を見つけてしまい、こっそり調査をしたりと、とにかく忙しかったとのことだ。
もう一度調べる必要がある。そう話を締め括ったファウスに、賢者は顔を引き締め神妙に頷く。
夜も遅い、疲れもある。報告や反省会を明日にし、その日は解散となった。
それから、ファウストは部屋に籠っていた。
美麗なヒースクリフ、なんやかんや人当たりのよいネロ、人見知りをしないシノ。あまり愛想の良くないファウストに比べ、どうしても彼らに人は集まっていく。その分、ファウストにはそれらを気にしない面倒な人間が集まっていたが、軽くあしらってしまえばそれで終わりだ。
目の前のテスト用紙を採点しながら、ファウストは深くため息をつく。時間が押してもやるべきことはやる。彼は真面目だった。
穴埋め問題をするすると丸をつけ、次は記述問題に目を通していく。模範解答のヒースクリフ、途中で解答を諦めがちなネロ、そして分からないなりに全部埋めるシノ。テスト一つでも性格が出るものだ。
「……」
シノの答えを見ながら、ファウストは本棚からいくつか本を取り出す。
解答を見る限り、どこかの段階で知識の混合が起き、勘違いをしている可能性が高い。できる限り早めに紐解いて、正さなければ。ファウストは、ぐっと腕を伸ばした。
そのときだった。
木の扉から軽快な音が鳴る。トントン、トントン。しばらく無視をしても叩き続ける人に、ファウストは大きなため息をついた。
「やあ」
「……なんだ」
こんな夜更けに、こんな迷惑なことをするのは一人しかいない。にこやかに笑う目の前の男に、ファウストは今日一番の嫌な顔をした。
「ほら、これ。前話していただろう?」
「……!」
フィガロの手には一冊の本。ファウストは目を見開き、すぐに表情を緩める。
前から、厄災の影響で時折蘇る古代生物の授業の必要性を感じていた。しかし、ファウストは見たことがないため、知識は本に頼るしかない。しかし、その本ですら姿はまちまちに描かれ、ファウストは大いに困っていた。
そんなとき、たまたまフィガロが居合わせた。ファウストの開く本を見ると、笑いながら絵を指差したのだ。
これは違う、これは似てるけど尾はここまで派手じゃない、これはもっと大きいよ。長く生きてきた聡明な魔法使いは、世間話のようにファウストの欲しくて欲しくて仕方がなかった知識を落としていく。
ある程度正確な情報が載った本を探してあげる。俺も授業で使いたいしね。
そんな言葉をかけられたのがつい数日前。どうやら、ずいぶんと早く見つけてきてくれたらしい。
「ありがとう。助かった」
素直に礼を言うファウストに今度はフィガロは目を見開いた。
いいよ、気にしないで、そんな言葉を紡げば、ファウストは気まずそうに目を逸らす。
受け取った本には、折り畳まれた紙が一枚挟まれていた。紙を見て、フィガロを見れば、彼は困ったように笑う。
「これも全てが正確ではないんだ。あと、俺だって、見たことのないものもあるからね。その辺りも書いておいたよ」
紙には、ページ数と正確でない部分、そして確信が持てない部分。それらが簡単にリストアップされていた。彼の効率的であり丁寧な性格がそのまま表れている。
「今日、大変だったみたいだね」
再び紙を折りたたむファウストに、フィガロは困ったように笑う。
きっと、それは昼間の任務のことだろう。どこからか聞いてきたらしい。
「ああ。昨日の占い通りだな」
本当に大変だった。思い出しただけでうんざりだ。気分はどんどんと下り坂を転がり、鼻で笑いながらフィガロを睨みつける。そういえば、あの輪に入れられたのはこいつに呼ばれたからかもしれない。
半ば八つ当たりの反応に、フィガロは困ったまま笑った。いつものように簡単に謝ったり、言い訳を重ねたりもしない。そんな態度に、罪悪感と、居心地の悪さと、妙な胸騒ぎがする。
「ねぇ、ファウスト。占いって、どんな意味があると思う?」
「は?」
いきなり何を言い出すのだろうか。不機嫌さを隠さずファウストは声を上げる。
もちろん、フィガロは臆さない。もう何度もこんなやり取りはしているからだ。
「場所や時代によってやり方や捉え方は違う。昔は大切なことを占いで決めるぐらい重要視されていることもあれば、賢者様の世界みたいに誰でも楽しめていたりもする。でもね、全て行き着く先は同じなんだよ」
暗い廊下、フィガロの持つランタンの灯火がふっと小さくなる。それは、一度二度なびいた後に、再び辺りを温かな光で包み込んだ。
「幸せさ」
「幸せ……?」
そう、と短く答えたフィガロは、小さく笑う。
眉が下げられ、にこやかに微笑んでいるはずなのに、ちっとも楽しそうではない。
「より幸せに、そして不幸せをなるべく回避できるように。どんな占いだって、結局はそこに廻ってくる」
「……僕は」
幸福になる気はない。そうやって、自分を慕う従者に言い切ったことがある。その言葉を撤回するつもりはないし、これからも胸に刻んで一生忘れないつもりだ。
だからこそ、その言葉に同意をすることも、かといって反論することもできなかった。フィガロの前で口に出してしまえば、自分の誓いがひどく軽いものになってしまいそうで。口を噤んでしまう。
暗い顔をするファウストとは反対に、フィガロは優しく笑った。
「不確定な未来に、少しでも幸福な道標を。俺はそういうものだと思っているよ。まあ、昨日のはほとんど遊びみたいなものだけどね」
ね、だから大丈夫。
不安げな顔でもしていたのだろうか。ファウストの頭に、彼はポンと手を置く。
振り払われる前にフィガロはその手を外した。その代わり、ファウストの腕に小さなバスケットをかける。
「きみの幸せを願ってるよ。採点がんばってね、ファウスト先生」
押し付けられたそれはやけに軽く、軽く腕を振るだけでカゴ全体がぐらりと揺れる。慌てて底を抑えるファウストに、フィガロは手を振り、くるりと背を向けた。
何か言わなければ、追いかけなければ。伸ばした手は緩く空を切る。
理由を考えれば、身体が止まってしまうのだ。言って何になる、追いかけて何になる。妙に冷めた頭は、ただ彼の背を捉え続けている。
「……」
バスケットには、本と薬草と小瓶に入ったシュガーが入っていた。いつだってあの人は、必要なものを必要なときに持ってきてくれる。
それなら、なぜ。なぜ、あのときは探しに来てくれなかったのだろうか。
今さらどうしようもないことなのに、ちりちりと胸の中が燃えるのだ。
ああ、ああ、だから嫌なのだ。
何を食べていないのに、口の中が妙に苦かった。
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ゆらり、揺れるのは炎。木々と酸素を燃やして、火柱は高く高く、赤く赤く。
目の前に捧げられた乾いた供物が、音を立ててひび割れる。魔法でそれを掲げた少年は、無表情のまま右手を上げる。途端、彼を、神様を囲む人々の表情が晴れやかになった。
ありがとうございます。ありがとうございます。一人が感謝の意を述べれば、その声はどんどんと大きくなる。
神よ、おお神よ、我々を導く偉大なるお方よ。
神様は、何も言わない。ただ、目の前の人々をぼんやりと見つめ続けている。
誰も、神様を見ていない。誰とも、目が合わない。
それは、雪崩が村を巻き込んだ日のことだった。