若紫 授業で使いたい薬草がある。修行の息抜き、そして経験も兼ねて、フィガロはファウストと共に摘みに行くことにした。
薬草が自生する場所は、北の魔法使いらしい、傲慢で強い魔女の保護する村だ。挨拶に訪れたフィガロを見ても、彼女は強気な姿勢を崩さない。
「あら……」
しかし、ファウストには違った。
「ファウストのおかげだよ、ありがとうね」
「いえ、僕は何もしていないので……」
荒れ狂う空でも箒の上で優雅に足を組むフィガロ。両手でしっかりと箒を掴むファウスト。
師匠に褒められ、真面目な弟子はゆるゆると首を振る。
実際、彼は本当に何もしていない。魔女に挨拶をしたぐらいである。
それなのに、硬化な態度を続けていた魔女はぽっと頬を染め、ファウストの手に薬草を握らせた。そして、フィガロには相変わらず嫌そうな顔をしたまま、ふわりと姿を消してしまったのだ。
「俺は嬉しいよ。こんなにも魅力的で優秀な弟子を持つことができて」
顔か、才能か、礼儀か、それとも違う何かか。どこか琴線に触れ、北でもそこそこの強さを誇る魔女に気に入られたらしい。
見るだけで魅了されてしまうなんて、ハニートラップみたいだ。しかも天然ものときた。面白くて、楽しくて、なんだか嬉しくて、なんだか歌ってしまいたいぐらいである。
「あの、フィガロ様……?」
しかし、ファウストは困惑していた。いつもの威勢の良さも、ハキハキとした物言いも身を潜めている。自分の知らぬ間に、都合よく物事が進んだことに、違和感を覚えたらしい。
きっと、そういうところだ。誠実で、謙虚で、義理堅い。あの魔女も、随分と見る目がある。
「いいよ、気にしないで。ほら、前を見て」
どうかそのままでいてほしい。彼の成長はもちろん望むが、どうか、魅力の先にあるひねくれには無縁のままで。彼には真っ直ぐ育って欲しいのだ。
白い雪、強い風、寒い空。未だ飛ぶのを慣れていないファウストは、フィガロの言葉にぎゅっと箒を握りしめる。そんな動作すら本当に愛らしくて、そして可愛らしい。弟子とは、こんなにもいいものだったとは知らなかった。
きっと、彼は素晴らしい魔法使いになるだろう。いいや、そうしてみせるつもりだ。ファウストはやる気も才能もあり、フィガロの言葉にも真摯に耳を傾ける。
理想通りなのだ。あらぬ疑いをかけてしまうほどに。本当に、何もかも。
「帰ったらすぐに修行に取りかかろう。それとも、休んだ方がいい?」
答えなど、もちろん分かりきっている。顔を引き締めたファウストは、いつも通りの大声で、フィガロの問いかけに答えた。
「いいえ。本日もよろしくお願いします!」
透明な声に、空気がビリリと揺れる。
「あはは、そうだね」
元気で真面目な声は何度聞いてもいいものだ。
若いって、いいな。フィガロは、心底楽しそうに笑った。
人当たりの良い笑みに騙されてはいけない。何人の魔法使いが、彼によって石へ姿を変えたのだろうか。
「やあ」
魔女は、一瞬のうちに魔道具を出した。
フィガロ、話が通じる方ではあるが、都合が悪くなれば一切の容赦をしない。北の国での常識だ。
「おいおい、挨拶にきただけなのに。ほら、ファウストも」
一人でも強大な力を誇るのに、連れまでいるのか。自分の命の心配をしながら、彼女は隣の魔法使いに目を向ける。
そこには、フィガロや魔女よりもうんと若い青年が立っていた。
「ファウスト・ラウィーニアと申します。フィガロ様の元で授業をしている者です。突然押しかけた無礼を、どうかお許しください」
決してへりくだらず、しかし尊敬の意を忘れず。ウェーブのかかった髪を揺らし、彼はゆるりと頭を下げた。
バイオレットの瞳は、彼女のお気に入りの宝石のよう。真摯な姿勢は、彼女の好きだった強い魔法使いのよう。
まだ、北の地に慣れていないのだろう。頬の辺りがほんのりと赤くなっており、すぴと鼻が動いた。
その瞬間、魔女はどうしようもない感情に襲われた。うっかり隙を見せてしまいそうなほどに、彼に目も心も奪われてしまったのだ。
北の魔法使いは、よくも悪くも純粋だ。
だからこそ、相手の悪意や善意を鋭い。特に、彼女のような強く用心深い魔女は、いつだって相手の心の変化には機敏だった。
だからこそ、こんなにも綺麗で澄んだ相手には会ったことがなかったのだ。
相手を蹴落とすことも、消すことも、石にすることも、きっと彼は考えていない。ただ、薬草を貰うために、純粋に挨拶に来たのだ。
隣で笑ういけ好かない魔法使いは嫌いだが、ファウストのことは気に入った。それも、大層。
加護と、祝福と、それからなるべく綺麗なものを。一瞬で用意したそれを、魔女はファウストに握らせる。
決して、油断はしない。彼の隣にいる魔法使いは、本気を出せば魔女を一瞬で無に返すことができるからだ。
指先が、彼の冷たい手のひらに触れる。
ああ、恥ずかしい、恥ずかしい。緩んだ顔を見られたくなくて、すぐに姿を隠す。
指先に残るのはほのかな熱。そっと唇を寄せたくなるほど、胸がいっぱいだった。