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    ruicaonedrow

    エタるかもしれないアレとかコレとか/ユスグラ/パシラン/フィ晶♂/銀博/実兄弟BL(兄×弟)/NovelsOnly……のはず

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    一幕一場(状況説明)

    KA-11.
     ここまで道が混んでいるなんて何時振りだろうと、ラモラックは思った。少なくとも、直近ではないことだけは確かだ。
     第一師団がブルグント地方で戦果を上げたときだったろうか。それとも、第三師団が見習いたちと共に近隣の盗賊団を壊滅させたときだったろうか。英雄ロットが不在の今、好機とばかりに攻め込んできた賊を、モルゴース率いる魔導師団が完膚なきまでに叩きのめしたときだったかもしれない。
     ああ、……あのときは本当にスカッとした。魔術の師匠たる賢女モルゴースの勇姿は勿論のこと、魔導師団と騎士団との一糸乱れぬ見事な波状攻撃。悲鳴を上げ、武器を放り投げ、這々の体で逃げていく奴らの情けない姿といったら! それと同時に、この国は前線基地ばりに、常に戦争と隣り合わせなのだと実感した。知識の上では理解していたものの、こうして目の当たりにするとみんなどうして仲良く出来ないのか不思議でならない。お腹が空いて気が立っているとかなのかなぁ。それなら、食べ物が沢山あるところが分けてあげたらいいのに。困っている人がいたら助けてあげて、食べ物も半分こしてあげる。それで一件落着だっていうのにさ!
     ただ、今このときの大通りは、凱旋パレードのような物々しさは何処にもない。道に面した店はどこも扉を開け放ち、呼び込みの声が辺りに響き、沢山の人が行き交って何とも賑やかだ。ずらりと居並ぶ街路樹は秋の装いを纏い、色とりどりに染められた葉を路面に落としている。吹き渡る風は多少肌寒くはあるが、見上げた空は雲ひとつなく綺麗に澄み渡っている。
     人の声と物音とで満ちた界隈は歩いているだけでうきうきと心が弾む。なのでラモラックは、往来に紛れながらもあちこちを冷やかして回っていた。陽光にぴかぴかと光る新鮮な野菜たち、生け簀の中で悠々と泳ぎ回る魚たち、世界に彩りを添える大振りの花たち。大きな鉄板の上では食材が跳ね回り、食欲をそそるような何ともいえない良い匂いが漂い、育ち盛りの腹がキュウと情けなく鳴く。
     ダルモアは自然豊かな小国だ。王都を一歩外に出たのなら、峻険な山々に囲まれて、森と田畑がどこまでも続いている。そんな国情を反映してか、国民も穏やかで優しい人が多くいるように思う。近隣住民は家族同然に仲が良く、それだけに噂が広まるのもあっという間だと誰かが言っていたっけ。長所でもあるけど鬱陶しいこともままあるのだと苦笑しながら。
     この、目の前に広がる美しい風景を、ラモラックはとても気に入っていた。高台に昇り、柵に身体を引っ掛け、眼下に広がる街を眺める度にそう思った。仕官先がここで良かった。国を、ウェールズを出るとき自分は見捨てられたのだとばかり思っていたけれど、龍脈から潤沢な魔力を供給することの出来るダルモアは魔術の研究にうってつけの地であり、兄弟の中で一番魔力の強い自分が選ばれたのも必然であったと考えるのなら、その選択も決して悪いものではない。
     それに……。
     ガウェイン。ふわふわの金髪と意志の強そうな翠の瞳を持つ、凛とした雰囲気の少年。
     英雄ロットと賢女モルゴースの愛息がよもや自分と同い年だなんて思いもしなかったけれど、年が近いからこそ親近感も覚えるというもの。彼は自分と同じ年月を過ごしているというのに、自分とは全く違う景色を見て生きてきたのだ。幼い頃に片親を喪っているという境遇も似ている。ウェールズでは年が近いといえば兄弟くらいなもので、後は給仕やら侍従やら、とにかく年上の大人たちばかり。初めて出来た友達という存在を、ラモラックはとても興味深く、また、嬉しく思っていた。
     ――ま、ガウェインくんはそう思ってないだろうけど。
     邪険にされているわけではない。態度が冷たい訳でも、扱いが雑だということもない。話し掛ければそれなりに反応してくれるし、無視されたことなど一度もない。だけど、やはりまだ、壁があるように思う。お前なんて認めないからな……そんな雰囲気をひしひしと感じる。
     ――別に、いいけどさ。
     いずれ祖国に戻る身だ。離ればなれになるのが分かっているのだから、敢えて親しくしたって仕方ない。けれど、やはり寂しい。こうして出会ったのも何かの縁なのだから仲良くしたいじゃないか……それを願う方が間違っているんだろうか?
     よいしょ、と台から飛び降りると、折りからの風が亜麻色の髪をかき混ぜる。はぁ、と息を吐いてそれ以上を追い出し、空へ向けてぐーっと背伸びをすると、ラモラックは少しだけ足を速めて再度往来に紛れた。そういえば、そろそろ例の試合が始まる頃合いだ。寄り道はここまでにして急ぎ会場に向かわなくては。道草に夢中になって約束をすっぽかすなど本末転倒だ。
     城へと続く大通りからひとつ道を違えただけで、人通りはぐっと減って歩きやすくなる。同じようなローブ姿や鎧姿の少年少女がこぞって駆けていく先は、騎士や魔導師達が日夜鍛錬をしている野外修練場だ。わぁっと歓声が上がり、沢山の紙吹雪が舞い上がるのを見た。近付くにつれだんだんと大きくなる喧騒を耳にすると、否が応でも気分が高揚してくる。
     会場の入り口には出店がちゃっかり並んでいて、しかも割と混雑している。菓子でも売っているのか、側を通るとふわりと甘い匂いがした。後ろ髪を引かれる思いではあったが何とか振り切って、ラモラックはそのままカラフルなバルーンと花々で飾られた大きなアーチを潜る。途端、割れんばかりの拍手が耳を打った。
    「いよっ、ダルモアの若き英雄!」
    「頑張れよぉ、若人たち!」
     やんややんやと野次が飛び交うまにまに、怒号だか悲鳴だか分からない野太い声も上がっている。彼ら観衆の視線の先にはだだっ広い草っ原にところどころ土の見えるアリーナがあって、今まさに、二人の少年が武器を携えて舞台に上がったところだった。良かった、間に合った。ラモラックはほっと胸をなで下ろすと、急ぎ周囲を見回し、空いている席を探した。ただでさえ筋骨隆々のドラフだの体格の良さそうなヒューマンだのに囲まれているのだ、彼らが興奮して前へ詰めかけてしまったのなら己が身など簡単に潰されてしまう。
     人混みを掻き分けて何とか辿り着いた場所はスタンドの上部、粗末な木箱の上であったけれど、アリーナからは多少遠いとはいえ見晴らしも良くさほど人もいない。ラモラックは素早く木箱に上って、それからアリーナを、向き合う二人の少年を見下ろした。さんさんと降り注ぐ秋の陽光を手で庇なぞ作って遮りながら。
     ああ、これだけの耳目を引きながらも、舞台上の主役の片割れ――かの英雄ロットの愛息ガウェインは、手に持った獲物をビュンと一振りして相手を見据えている。数多ある武器の中から選んだのは長い柄の先に斧の付いたハルバードであり、使いこなすには熟練の技術を要すると聞いたことがあるが、彼ならば容易いのだろう。一度だけ触ったことがあるが持ち上げるだけでも精一杯だった。自分は戦士ではないから仕方がないとはいえ、あんなに軽々と扱うことができるなんて流石の一言に尽きる。
     そして。
     彼に相対する少年。その顔はどこかで見覚えがあった。角刈りに立派な角、ドラフ特有の厳つい体付き。日に焼けた真っ黒い肌には多数の傷跡が見える。鈍色の鎧を纏っているとはいえ、二の腕などガウェインのそれとは比べものにならないほど太い。それが、ニヤニヤと笑いながら手斧を弄んでいる。
     どう贔屓目に見てもガウェインの方が不利だ。体格が倍近く違うし、そもそも相手は上級生なので、実戦の経験値もそれなりにある。相手もそう踏んでいるのか、どことなく仕草に余裕が感じられる。……舐められているともいうが。
     でも、とラモラックは思う。慢心してると痛い目に遭うんだぞ。今に見てろ、ガウェインは意外と強いんだからな。
    「ガウェイーン!」
     ラモラックは目一杯背伸びをして声を振り立て、両手をぶんぶんと大きく激しく動かした。ここまでしてもアリーナからでは群衆のひとりとしてしか認識されないかもしれないが、それでも自分の存在をアピールしたかった。僕はここだぞ。ここにいるぞ。君に言われたとおり、ちゃあんと見に来たぞ!
    「カッコイイよー! 頑張ってー!」
     普段であればうるさいとかからかうなとか何だかんだ悪態を吐いてくるのだが、やはりこの騒ぎの渦中だ、全然聞こえていないのだろう。けれど、その翠の瞳が不意にこちらを向いたのでラモラックはどきりと動きを止める。時間にしてほんの僅か、しかし確かに視線はかち合った。ガウェインはひらりと手を振って――ラモラックにはそのように見えた――前を向いた。ハルバードを構えて姿勢を低くする。
    「両者構え――」
     拡声器を通し、審判の声が木霊する。それだけで、あれ程うるさかった会場が水を打ったようにしんと静まり返った。ラモラックはぎゅっと両の手を握り込み、アリーナのふたりを……否、ガウェインだけをじっと見つめた。ごく、と自分の喉が嚥下の音を伝える。
    「始め!」
     待ってました、とばかりに観衆が沸いた。
     先に地を蹴って飛び込んだのはガウェインだった。確かに、体格差が仇となるのなら、小柄であることを活かして機動的に立ち回った方が有利だ。彼は標準的な少年体型ではあるものの、ドラフに比べれば全然華奢であるのだから。
     しかし、相手がそれを考えていないはずがない。直線で突っ込んでくれば、逆にその勢いを利用してしまえばいいのだ。体勢を崩すことが出来れば接近戦に持ち込める。力と力のぶつかり合いになるのなら、間違いなくドラフ側に分がある。
     ――と、……普通なら考えるだろうけど。
     ラモラックは思った。
     かの英雄の息子は、残念ながら普通ではない。
     なので……
    「ガッ……」
     文字通り、勝負は一瞬で決した。
     どさ、と崩れるドラフの少年。その背後で、ゆらりと立ち上がるガウェイン。
     アリーナには地面に突き立ったハルバードだけが残り、観客は一瞬何が起きたのかと戸惑い、……けれど、ガウェインが勝ったとみるやいなや万雷の拍手が彼を称えた。
     ――ほんっと、まれに見る筋肉馬鹿だよねぇ……。
     そう、ガウェインが普通の少年であったのなら、ドラフを一撃で打ち倒すことなど困難だろう。けれど彼には普通ではない速力と筋力があった。そのため、真っ直ぐに突っ込んでぶっ飛ばすという単純明快な戦法でも、力ずくで何とかなってしまったというわけだ。
     ――多分、あいつにギリギリ捕まるか否かのところで、ハルバードを支点に飛び上がったんだろう。それで、相手が狼狽えている間に背後を取り、思いっきりぶん殴ったんだな。
     その推測が合っているかどうかはきっとどうでもいい。やる気のない拍手をしつつ、呆れつつも、何となくすっきりした気持ちになる。歓声を背にガウェインが舞台から降りたのを見届けて、ラモラックもまた、うきうきとした気持ちで群衆を掻き分け会場外へと向かった。


    「ガウェインくーん!」


     いつの間に着替えたのか、彼の姿は往来の中にある。人混みの中に目立つ金髪を見つけ、ラモラックは名前を呼びながらも駆け寄った。相手は立ち止まるどころかツンと顎を逸らして歩度を早めるけれど、追い付いてしまえばこっちのものだ。
    「ちょっと、ちょっとぉ」ぷくりと頬を膨らませながら横に並び、隣をじとりと睨め付ける。「さっさと先に帰ろうとするなんて、酷くない?」
    「一緒に行こうなんて言った覚えはない」
     全く、相変わらずの仏頂面だ。玄関口に飾られていた色褪せた写真の中では、あんなに朗らかに笑っていたというのに。
    「もぉ、呼んだのはガウェインでしょうが。どうせ帰る方向は一緒なんだから、待っててくれてもいいじゃん」
     けれど、ラモラックは知っている。実は先ほど、彼の姿をアーチ状の入り口付近で見掛けたのだ。辺りをゆっくりと見回している様は誰かを探しているようにも見えた。ただ、人だかりに慣れていない自分はそこに行くだけでもいっぱいいっぱいであり、何度か呼び掛けたものの、辿り着いたときには既にその姿がなかったのである。
    「試合には来ないと思っていた」
     ぼそ、と零れた呟きに、えぇー、とラモラックは非難の呻きを上げた。見に来いって言った癖になんなんだよ、試合中だって目が合っただろ! そう言ってやりたかったが、ここで喧嘩になっても仕方ない。そもそも、ラモラックが観戦していたことを知らないとするなら、わざわざ入り口付近で待っていたことへの言い訳が立たないのだ。なので「素直じゃないんだからさぁ……」と文句を言うだけに留めた。「僕が約束破るような人間に見える?」
    「……フン」
     否定でも肯定でもない曖昧な応え。ラモラックはわざと大きくため息を吐き肩を竦めてみせた。本ッ当、素直じゃないんだから。黙っていれば子犬みたいで可愛いくせに、結構面倒くさい性格してるし。パーシヴァルを見習って欲しいよ。愛嬌があって、何より素直で可愛い、僕の自慢の弟パーシィをさぁ!
     ……ま、別にいいけど。
    「それより、さ」
     二人の足が大通りに至る。人々の話し声が、物音が、わぁっと蘇る。
     そこで不意に上がったラモラックの声に、ガウェインは目だけを動かして彼を見遣る。歩く速度が、多少緩くなる。
    「思い出したんだよね、あいつ……えぇと、今日の君の対戦相手」
     どこかで見覚えがあると思った、あの既視感は間違いではなかった。ガウェインが相手を速攻で倒してしまったので回想すら中断されてしまったのだが、自分の記憶に間違いがなければあいつは確か、バーゴッドとかいう奴だ。取り巻きを侍らせた偉そうなドラフだったし、何だかんだ突っ掛かってくるのでちょっと面倒だなって思っていたのだ。何でも親が貴族か何かで虎の威を借る狐の如く威張っていたのに、ラモラックが媚を売ってこなかったのが面白くなかったようだ。
     ウェールズにいたときは、何だかんだで周囲が守ってくれたから明確な悪意に晒されたことはない。でも、ダルモアではひとりぼっちだ。味方なんていない。ラモラックは戸惑い、けれど反撃しようにも手段が分からないからどうしようもなかった。正直もうどうでもいいやと、どうせこの嫌がらせも祖国に戻るまでの間だけだと諦めていたのに。
    「まさか……あいつをボコボコにしてやるから見に来い、ってことだったり?」
     ガウェインから誘いを受けたのはちょうど昨日の今頃であった。曰く、明日からの豊穣祭、余興で試合をすることになったから暇なら見に来ればいい。場所は野外修練場、位置が分からないのであれば姉さんにでも聞いてくれ。ああ、それと、母さんが一緒に夕食でもどうかって言ってたから、その後は予定を入れるなよ、分かったな……――
    「さぁな、……ただの偶然だろ」
    「偶然……ねぇ」
     ニヤニヤとガウェインを見ると、彼はムッとした様子でこちらを向いた。眉間に皺が寄っているものの、頬の辺りが何となく赤いのは気のせいじゃないだろう。面倒くさい性格ではあるが、ガウェインのこういうところは好ましいと思っている。多分、彼の根っこはとても優しいのだ。素直じゃないだけで。
    「クソッ……もういい! 先に行く!」
     吐き捨て、ガウェインは、口をへの字に結んでずんずんと通りを下っていく。ラモラックはしばし呆気にとられていたが、口角をニィッと吊り上げ彼を追った。亜麻色の尻尾がするりと踊り、駆けていくラモラックの背で楽しげに弾む。
    「ちょっとぉ、待ってよガウェイン! ねぇねぇ、どっちが先に家に着くか勝負しようってば――」


     豊穣祭は五穀豊穣と国家の安泰を祈念して毎年秋に行われるものらしい。ウェールズではどちらかといえばハロウィンの方が盛んであったため、ダルモアにそのような風習があることを知らなかった。
     このことをガウェインに話すと、彼は少し意外そうな顔をする。そうして決まってこう自嘲するのだ。
     そうか、……国力のないダルモアが他国に誇れるものは、龍脈と雄大な自然しかないからな。天険の地ダルモアとは良く言ったものだ。山岳地帯に囲まれた天然の要塞と防護に優れた戦術がなければ、こんな国などとうに滅亡しているだろうに。
    「ふうん……」
     そう言われてしまうとどう返して良いか分からない。肯定も否定も、返事として何かおかしい気がする。なのでラモラックは曖昧に声を漏らして会話を打ち切り、後は魔術書に集中することにした。ソファに腹ばいに寝そべり両足をぶらぶらさせているので、フロレンス辺りに見つかったら行儀が悪いと怒られそうだが。
     ガウェインはといえば床に胡座をかいて、戦術書をはぐっている。ソファはラモラックが占領してしまったため座る場所がなくなってしまったらしい。取り敢えず、ソファの上のクッションをひとつばかり放ってやった。餞別代わりというやつだ。
     ただ、中身に集中できるかといえば必ずしもそうではない。
     周囲には先ほどから空腹を誘う良い匂いが漂っており、ふたりは――ラモラックはもちろんのこと、ガウェインも――何とはなしにそわそわとしている。厨房からは楽しげな話し声と食器同士の触れ合う音が聞こえ、そろそろお呼びが掛かりそうだ。
     男子厨房に入るべからず……というわけでもない。一応手伝いを申し出たのだが、必要になったら呼ぶと言われて追い出されてしまったのだ。意味もなくウロチョロして仕事を増やしても仕方なし、ふたりの少年は広間で暇を潰すことにした。外に出ても良かったが、祭に賑わう街には誘惑が多すぎる。
     広間に取られた大きな窓からは、山の端に沈もうとする夕陽が見えた。橙色のグラデーションが徐々に紺碧に覆われ、雁の群が点になって飛んでいく。英雄ロットの邸宅は居住区のいっとう高いところにあるので、遮蔽物のない景色は感嘆のため息が出るほどに見事なものだった。ガウェインがうんと幼い頃、こうした風景を父母と姉とで眺めていたのだろうと思うと、何となく胸の辺りが締め付けられるような気がする。
     それはもう二度と戻ってこない日々の記憶。自分にも存在する、甘く切ない記憶だ。
     英雄ロットの生涯とその経緯はダルモアへと向かう馬車の中で従者から聞いた。そのときのラモラックといえば、ウェールズを追い出されてしまったこと、残してきた兄アグロヴァルや弟パーシヴァルのこと、今は亡き母親ヘルツェロイデとの思い出、その何もかもがごちゃごちゃになってお世辞にも精神状況が良いとは言えなかったが、英雄ロットの非業の死、そして遺されたガウェインという自分と同い年である少年の話はしっかりと心に刻まれた。あまりにも感情移入しすぎて途中で涙ぐんでしまったくらいだ。
     ――ガウェインも、寂しいと思うことはあるんだろうか。
     魔術書の隙間からちらりとガウェインを覗くが、ふわふわの金髪が時折あるかないかの風に揺れるだけで、特にこちらを気にする様子はない。父親と母親の違いとはいえ、彼もまた、大体同じ頃に親を亡くすという経験をしている。その得も言われぬ寂しさ、もの悲しさは、きっと当事者同士でしか分かち合うことが出来ないだろう。
     ――僕と同じように、亡くした人を想って泣く日もあるんだろうか。
     確認したかったわけでも、ちゃんとした答えが欲しかったわけでもない。
     ただ何となく興味が沸いて、あのさ、と口を開きかけたとき。
    「男子たちー! ご飯出来たわよー!」厨房から届いたフロレンスの声がそれ以上を遮った。「配膳手伝ってちょうだい!」
     結果としてこくんと言葉を飲み込み、ラモラックは「はぁーい」と戯けて返事をしながら立ち上がる。通り過ぎる刹那にガウェインがちらりと見上げてきたが「君も手伝うんだよ」と軽く小突き、尚追い縋る視線を振り切って厨房へと向かった。
     その日の食卓に並んだのは、豊穣祭を象徴するようなご馳走の数々であった。新鮮な菜っ葉を使ったサラダ。じゃがいものポタージュにパリパリに揚げたレンコンの薄切り。綺麗な焼き目の付いた塊肉は豪快にスライスされ、少しだけ赤みの残る断面に脂が滲んでいる。こんもりと盛られた鶏の唐揚げの傍らには温野菜と人参のグラッセ、茸のソテーがたっぷりと添えられて、鮮やかな色合いと美味そうな匂いが何とも食欲をそそる。
     全員が席に着き、食前のお祈りを済ませると、ラモラックとガウェインはすぐさまに料理を奪い合った。ただでさえ食べ盛りのふたりなのだ、ぼうっとしていたら相手に根こそぎ食い尽くされてしまう。呆れ顔のフロレンスと楽しそうなモルゴースが見守る前で、卓を埋め尽くすほどに並んだ大皿料理は次々に空っぽになっていき、後に残るのは骨や食べかす、皿に付いた油ばかり。ふたりとも気持ちの良い食べっぷりで作りがいがあるわ、とはモルゴースの言である。
     賢女モルゴース、そして姉弟子であるフロレンス。彼女たちのことも、ラモラックは気に入っていた。穏やかで淑やかな母親に、厳しくも細やかな気遣いの出来る姉、そして生意気ながらも心根の優しい弟――ガウェイン。ダルモアで世話になるのが彼らのところで本当に良かった。カリッと焼けたバゲットで皿に残ったソースをこそげつつ、ラモラックは何度も頷く。それこそバーゴッドみたいな意地悪な奴だったら早々にウェールズに帰りたくなっただろうから。
    「……ね、ガウェイン」
     まぁ、そんな風に空っぽの同意を求めたところで相手は応えてくれるはずもない。怪訝そうな顔をして軽く視線を上げるだけだ。でも、それで構わない。
     お腹いっぱいの幸せな気持ちのまま狭いベッドに寝そべりつつも、ラモラックは読みかけの魔術書から顔を上げる。傍の机ではガウェインが頬杖を突き、ふて腐れながら何か書き物をしている。開け放った窓からは爽やかな夜の風が吹き込み、レースのカーテンをひらひらと揺らす。通りの熱狂は未だに続き、遠く、薄く、快哉が聞こえてくる。
     泊まっていきなさいと言ってくれるとき、モルゴースはいつも立派な客間を用意してくれる。英雄ロットの邸宅といえど一般庶民の家、ウェールズの城と比べれば多少の狭さは仕方ない。けれど、整えてくれた寝具はふかふかでほんのりと温かく、調度品はどれも綺麗に整頓され、床には埃ひとつ落ちていない。眼下に街を一望できる大きな窓があり、紺碧の空に光る星のひとつひとつまでよく見える。日当たりも申し分ない。
     だが、ラモラックは一度も客間を使用したことがない。気を遣わせて申し訳ないと思うのも確かなのだが、それ以上に、ガウェインの部屋に転がり込んだ方が遙かに楽しいからである。
     今自分が転がっている、ひとつきりしかないこのベッドは、客間に置かれているものよりは明らかに狭く、小さく、大人がひとりで使うにはちょっと窮屈だろう。ウェールズの天蓋付きのベッドに比べれば雲泥の差だ。
     でも、使い古したシーツはくたくたで寝心地が良く、毛羽だった掛布はぴったりと身体に沿う。よそ行きではない、洗濯したての太陽の匂いがする。フレームは木で出来ているのか、少し動いただけでギシギシと音がして何とも面白い。ただ、無駄に鳴かせていると壊れるから止めろと言われて、ガウェインの鉄拳が振ってくるのだが。
    「……はぁ」
     不意にため息が聞こえた。
     ラモラックが目を向けると、ガウェインは苦虫を噛み潰したような表情でベッド脇に立っている。ランタンの淡い光に照らし出される金髪がキラキラと透けて、何だか綺麗だ。
    「お前さ、何でいつも俺の部屋に来んの」
    「そんなの当たり前じゃん」魔術書をパタンと閉じて、翠の瞳をじっと見上げる。「ガウェインのベッド、小さくて面白いんだもん」
    「悪かったな、狭くて」
     どすんと腰を下ろせば、スプリングがそこだけへこんでギッと呻く。ランタンをサイドテーブルに乗せると、ガウェインはシッシッと虫を追っ払うように手を振った。「だったらもっと端に寄れよ」とむくれている。「俺が寝られないじゃないか」
    「はいはい」
     そうだ。
     どれだけ憎まれ口を叩こうとも、ガウェインは、一度としてラモラックを追い出したことはない。客間へ行けとか、何なら広間で寝てろとか言われたことはあるが、実際に放り出されるなんてことはない。こちらにしっかり聞こえるほどのため息とか、面白くなさそうな顔をしても、何だかんだとラモラックを端へ追い遣って一緒に寝てくれるのだ。
     ランタンの灯りがふっと消え、掛布を捲る一瞬の間に入ってきた夜気がふわりと肌を撫で、続いて人の体温がぴったりと当たってくる。ラモラックはふふっと笑って了承し、もそもそと芋虫のように這いながら際の方へと移動する。
     そうして、しばし。
     少しだけ空いた窓から、虫の声が何層にも重なって流れこんでくる頃。
     形がぐずぐずになったクッションを抱えたまま、ラモラックは不意にぱち、と目を開けた。そのまま、ゆっくりと上体を起こして肩越しに後ろを振り向く。
     月明かりが差し込む部屋は青白く染められ、目が慣れてくるにつれ、そこら中に置かれた家具がシルエットのように浮かび上がってくる。ベッドの端、ラモラックの隣、背中を丸めて横たわったままの少年は、すぅすぅと規則正しい寝息に掛布を上下させている。
    「……ガウェイン?」
     小さく話し掛けてみるが反応はない。そりゃそうだ、こんな真夜中に起きている方がおかしい。ラモラックは微笑み、ごろりと体勢を変えて寝転がった。ガウェインの背が見える位置。手を伸ばせばクッション代わりに抱きかかえられそうな距離。
    「あのね」ぼそりと呟いてみる。「君の傍にいると……なんか、落ち着くんだよ」
     ガウェインじゃなきゃ駄目だとか、多分、そんな情熱的なことではない。試したことがないだけで、おそらく誰でも良いはずだ。人の体温を傍に感じることが出来るのなら。
     ――ママ。
     遠い昔、亡き母がそうしてくれたように。
     ――ママ、……。
     心の奥に小さな明かりが灯るような、温かな感覚に静かに浸れるから。
    「……ごめんね」
     それから、……有り難う。
     そう零したところで相手は聞いているはずもない。シャツ越しの彼の背は相変わらず規則正しく呼吸を刻んでいる。筋肉の盛り上がりが月光にうっすらと透けている。
     でも、それでいい。聞かせるような話じゃない。少なくとも、今は……――


    「……おい」
     とろとろと眠りに沈もうとする意識の端で、そんな声を聞いた。
     いや、もしかして、聞いた気になっているのかもしれない。むくりと起き上がった影の中で翠の瞳が瞬き、ゆっくりとこちらを見たのも、……気のせい、あるいは、夢の出来事なのかもしれない。
    「全く、……謝るほどのことじゃないだろ」
     この馬鹿野郎。むすっと不機嫌そうな声、それから、僅かに引き寄せられるような感覚。
     はぁ、夢であるのならもう少し優しく扱ってくれてもいいじゃないかな……と思いつつも、夢とうつつを彷徨っていたラモラックの意識は少しずつ、少しずつ、微睡みの中に引き込まれていった。
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    ruicaonedrow

    DONE一幕一場(状況説明)
    KA-11.
     ここまで道が混んでいるなんて何時振りだろうと、ラモラックは思った。少なくとも、直近ではないことだけは確かだ。
     第一師団がブルグント地方で戦果を上げたときだったろうか。それとも、第三師団が見習いたちと共に近隣の盗賊団を壊滅させたときだったろうか。英雄ロットが不在の今、好機とばかりに攻め込んできた賊を、モルゴース率いる魔導師団が完膚なきまでに叩きのめしたときだったかもしれない。
     ああ、……あのときは本当にスカッとした。魔術の師匠たる賢女モルゴースの勇姿は勿論のこと、魔導師団と騎士団との一糸乱れぬ見事な波状攻撃。悲鳴を上げ、武器を放り投げ、這々の体で逃げていく奴らの情けない姿といったら! それと同時に、この国は前線基地ばりに、常に戦争と隣り合わせなのだと実感した。知識の上では理解していたものの、こうして目の当たりにするとみんなどうして仲良く出来ないのか不思議でならない。お腹が空いて気が立っているとかなのかなぁ。それなら、食べ物が沢山あるところが分けてあげたらいいのに。困っている人がいたら助けてあげて、食べ物も半分こしてあげる。それで一件落着だっていうのにさ!
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