ゼルくん罪喰いなっちゃったifアムアレーンの大罪喰い、ストルゲーを倒した後、ペンダント居住館の自室に戻った。窓を開ければ故郷と変わらぬ星空が見え、心がゆっくりと平穏を取り戻す。上着を脱ぎ、椅子に粗雑にかけた。袖の端がだらしなく垂れるのを見て、そろそろ修理時だと頭によぎった。ダークマターの余りはあっただろうか。
出かける前にシュワシュワケトルで沸かしたお湯をお気に入りのカップに入れ、そこへ葡萄のジャムを入れる。このジャムはクリスタリウムの庭園で栽培されている葡萄を、じっくり煮詰めたものだそうだ。芳醇でいて優しい香りを鼻に含め、一口飲む。熱い。しかし染みる。疲れ切った身体にふんわりと浸透していった。
薬棚から青水晶色の軟膏の瓶を探り、ベッドに腰掛ける。ガンブレイカーという、敵を引きつけ味方を守る職業柄どうしても身体に傷が絶えない。だがしかし自分はこの職を誇りに思っている。痛い思いをするのは自分だけで良い。
瓶の蓋をするりと開け、傷ついた自らの肉体に公手製の軟膏を塗っていく。彼が直々に錬成してくれたらしく、綺麗な青水晶色をしていた。青みがかかっていて、見る角度によって輝度がかなり変化する。効き目も抜群で、これを塗れば翌日には綺麗に傷口が塞がっている。
戦闘で火照った身体には夜風が涼しく、シーツを被れば睡魔が意識を奪いそうで。ベッドから窓の景色を眺めていると、ノックが聞こえた。
「すまない。入っても良いだろうか。」
彼だ。水晶公。
「身体の調子は…って…!服ぐらい着てくれないだろうか…」
「ああ、ごめん。寝る時は着ない主義なんだ。目に障るようなら何か羽織るが…」
「いや、そのままで構わない。貴方の邪魔をする為に来た訳ではないのだから。」
少しの沈黙を置いて、水晶公は再び口を開いた。
「三体目の大罪喰いを倒したと聞いた。それはとても素晴らしいことなのだが、貴方のことが心配で。」
「それはどういう?」
「光の加護を受けた身とて貴方も人間。その身体に蓄えられた罪喰いの光がいつ暴発してもおかしくない頃合いだ。身体に何か変化はないか?」
今のところは何も、と伝えるとそれなら良いのだが、と立ち上がる。
と思ったのだが。
「が…ぁ…」
突如吐き気を催し、何かがひび割れる音がした。身体の内側から何かが溢れ出しそうで、自分の意識を保つのが精一杯だ。あまりの痛みに身体を抱える。
苦しい。楽になりたい。痛い。苦しい。
「…!言った傍から貴方という人は!処置を施すぞ!」
水晶公が何やら私に魔術をかけてくれているが、もう意識が保ちそうにない。水晶公に任せれば何とかなるだろうか。もう良いだろう。私は十分頑張った。…いや。
一つ心残りがあるとするならば。
ルイと皆を置いていってしまうのがとても寂しい。
─あの騒動から数日、彼は人としての意識が戻らない。牢に縛られ、まるで獣の様に唸っている。体は冷たく、色素が薄くなり、目は偏ったエーテルの影響で濁っていた。罪喰いの一歩手前、もしくはなり損ないの状態であると推測される。
牢の前を人が通ると、エーテルに飢えているのか、口枷から涎を垂らし鎖を引き千切らんと暴れる。その度に、手首に錠の締め付けられた跡の色が増して痛々しい。
かつての英雄の姿はそこにはなく、ただ一匹の獣がそこにはいた。
かすかに意識はあった。こうして思考することも、思考を元に動くこともできる。これはおそらく水晶公が施してくれた処置のおかげだろう。だが、以前のように言葉を紡ぐことはできず、エーテルを喰らいたいという衝動は抑えることができず、それが大切な人であろうとも制することはできない。
人の区別もつく。それ故に苦しい。
皆私が護りたいと思った人なのに。それを喰らいたいだなんて。やはりこんな状態で知性などない方がいい。化け物は化け物らしく、本能のみがあればいい。
こうしてなまじ知性があると、壊したいと衝動が抑えられないものの大切さが嫌というほどわかっているから、心が張り裂けそうだ。
もういっそのこと殺してくれ。私を助けようだなんて、そんなことはしなくていい。
ああ、目の前で私を見ているのはルイじゃないか。今の私の身体はルイをただの上質なエーテル源としか認識してくれない。食べたい。喰らいたい。食べたい。食べたい。食べたい。食べタい 食べたイ
頭の中はもうそれしかなかった。
"幾日が過ぎた だろう
長い間 考えた 結果 第一世界 の 無の大地へ 逃げること に した
あそこは 餌 が な い
もう何日も エー テル を 摂って い ない
深夜 私は 力 を 振り絞 り 牢から
空へ 飛 び 立っ た"
"アム ア レ ーンまで キた"
"背後から エーテ ル の気配が すル"
"どうシて 追ッて く る?"
"でモ もう足ガ 翼ガ おぼつ かな い"
"コ ナイ デ"
"来な いデ ル イ"
ゼルに代わり闇の戦士として役割を果たしていたが、その彼が消えたと報告があった。周囲を荒らした形跡もなく、ただ天井に穴を穿ち、飛び去っていったらしい。
あの後暁でどうにか罪喰い化の進行を抑える方法は見つけたものの、ゼルに関しては魂まで変質しており手遅れだった。
そのため緩やかに衰弱死してもらい、溢れ出た罪喰いのエーテルはクリスタルタワーに封じ込めるという計画を進めていたのだが。
残された現場を調べていると、過去視の予兆が襲いかかる。ああまたかという気持ちで目元を抑えた。
思考が流れ込んでくる。酷く眩い視界が支配する。罪喰いの衝動が混じり合う中、か細い声がだんだんと形を成してきた。
"無の大地へ"
"そこで消える"
"誰も傷つけたくない"
最後に見えたのは変質したゼルがふらつきながら飛び去る姿だった。
一人でアム・アレーンまでやってきた。というのも、これは自分が決着をつけないといけないような、そんな気持ちが渦巻いたから。
何よりゼルが、"何かあったらルイが止めてくれ"と以前言っていた。
人にしてはおかしな、光の粒子が残留した足跡と、尻尾を引きずった跡のような痕跡が残っている。その痕跡は、廃都ナバスアレンの方角に続いているようだ。
痕跡を辿ると、集落を避けながら進んでいることがわかった。ゼルらしいというか。
傷つけたくないという執念がまだ残っているのだろう。前線でガンブレイカーを務めていた頃も、似たようなことをよく口にしていた。
長らく歩いていると、廃都ナバスアレンが見えてきた。よく見ると、蹲っているような光が見える。近づくと逃げるような素振りを見せるが、殆ど動かない。
構えながら近づくとその"光"はゆっくりと振り向いた。
「ア……ァ…………ガ……ァッ…」
エーテル欲しさに手を振りかざしてきたが、途中で力尽きたのか地に伏せる。
ああ間違いない。ゼルだ。変異はしているものの、人間の頃と肉体の構成は殆ど変わっていない。何もかも白くなり翼が生えても、あの包帯は朽ちながらも変わらず額に巻いてあった。
倒れたままにはしておけないので、危険を承知で抱える。恐らくエーテルがほぼ尽きかけている状態だ、攻撃できるほどの力はないだろうという賭けでもあるが。
泣いていた。一筋の涙が、白くひび割れた頬に道を描いていた。
なんだ。変わらないじゃないか。
人間の頃と変わらない。喧嘩しても、乱暴に押し倒すことなど一度もなかった。"自分より大きいから、抱かれると安心する"なんて言ったのはいつだったか。
「ル……………イ」
掠れた喉から言葉を絞り出し、私の頬を、ボロボロの手でそっと撫でてきた。鋭利な爪で傷つけることなく、ゆっくりと、冷たい手で。
最後のあがきできっと衝動を抑えているに違いない。ボロボロの手は、小刻みに震えていた。目の前のエーテルに喰らいつきたいだろうに。どこにそんな意志が残っているのだろう。
苦しかったに違いない。だからこそ。
「ああ、わかっている。大丈夫だ。」
"自らを構成するエーテルがゆっくりと霧散していく。ルイが、殺してくれたのだろう。終わらせてくれたんだ。
痛みや苦しみは感じなかった。そもそもこんな状態になってからまともに感覚など認識できなかったけど。
きっと痛くないようにしてくれたんだろう。
殆ど動かない頬を消える間際に動かすと、ルイは微笑んでくれた。この笑顔が大好きで。また抱きしめたいけど叶いそうにない。ああ、もう傍で見れないだなんて。
悲しいな。"
砂の上に、輝きを失ったソウルクリスタルが一つ残った。