ショタゼルくんの話「ただいまゼル。……ゼル?」
いつもならおかえり、と出迎えてくれる彼がいない。しかし部屋の明かりはついたままだ。寝てしまったのだろうか。とりあえず荷物を置いてベッドに向か…ったのだが。
そこに寝ていたのは可愛らしい幼年のミコッテの男の子だった。ゼルが普段身につけている装備を布団代わりにするように、まさにぶかぶか、という表現が正しい。それらを羽織ってすうすうと寝息を立てていた。まさかとは思うが。これがゼルというのだろうか。可能性はある。灰色の髪、普段より短いが獅子に近い尻尾、それに顎の傷痕。ゼルをそのまま幼少期に戻したかのような姿だった。何か魔法にでもかかったのか、怪しい薬でも飲まされたか。ここ数日エルピスに行くと言っていたから古代人絡みで何かあったか。
近寄ってそっと、頭を撫でてみる。耳が元気に動いて、心地よさそうに尻尾が揺れる。ふふ、と微笑んで身体が更に丸まった。いつもとは違った愛らしさに、胸が色んな意味で締め付けられる。
「う…ん……。」
起こしてしまったようだ。耳と尻尾をぴん、と伸ばして大きく伸びをしながら、目を擦ってこちらを見る。暫くして、目を輝かせながらにっこりと笑った。
「ルイだあ!おかえり!」
記憶喪失…というわけでもなくどうやら自分との記憶は保持した状態らしい。しかしそうなると元の状態のゼルがそのように振る舞っているのか、それとも思考能力が年齢相応に落とされた状態なのか。察するに後者だと思うが、そうだとすればなかなかにいやらしい魔法の類だな、と思う。腹にぎゅっと抱きつく彼を撫でれば、眩しい笑顔が返された。
色々と問答をしてみたが、やはり不思議なことに自分のこと以外は忘れているらしい。暁のことを聞いても、だあれ?の一点張り。両親のことを聞いても、濁されて終わってしまった。自分との記憶も、誰であるかは認識できるが、過去に起こったことなどは一切覚えていないようだった。今が平和で良かったと思う。この小さな異変が終末が頻発しているあの頃に起きていたら、星の未来はどうなっていたか。
「みてみて!ゆびわ!きれいだねえ…」
と深く考えているうちに、幼いゼルはかつて自分が身に着けていたエターナルリングを眺める。指にはめてみれば、当然大きさは合わず、輝石の重みで下へ垂れる。
「ゼルにもきっといい人が将来見つかるさ。」
「ほんと?どんな人かなあ…いっしょにいて、すてきな気持ちになる人だといいなあ…」
それが目の前にいるとはいざ知らず。幼いゼルは尻尾を揺らしながら元のゼルの装備を漁って遊んでいた。
「わあ!この剣おおきいね。かっこいい!」
必死にガンブレードを持ち上げようとして、誤爆をしかねないとふと危険を感じ、手を添えた。
「この剣には爆発する危ないものが入ってるんだ。あまり触らないほうがいいぞ。」
そう言うとゼルは耳を真上にぴんと立て、宝物を扱うかのようにそっと、ガンブレードを置いた。それでも興味は尽きないようで、じっと見つめては尻尾を揺らす。
やがて遊び飽きたのか、自分を枕にして横になり始めた。普段よりも猫らしい仕草の多さに心臓が掴まれるような感覚を覚えつつも、可愛らしいゼルの相手をしていると、仰向けになってこちらを見つめる。
「ルイはすきな人っているの?」
目の前の少年の大きくなった姿だ、とは言えないから。そっと微笑みながら、
「ああ。いるさ。」
そう答えれば、勿論返ってくるのは詳細を求める声。
「そうだな…。どんな人かと答えるなら、誰よりも前に出て、弱いところを見せない強さと、穏やかで温かい心を持つ、私を愛してくれる人、だろうか…。」
幼いゼルは、目を輝かせながら感嘆の声をあげた。
「わあ…!ぼくもそんな人になりたいな!」
「ああ。きっとなれるさ。」
きっとなれる、ではなく「なる」が正しいのだが。このもしもの幼いゼルに、そんなことをしては勿体ないだろう。
─
やがて疲れたのか、再び膝元で眠ってしまった。
ゼルの幼い頃はきっとこのような様子だったのだろう、と思いを馳せる。すうすう、と静かに寝息を立てながら、時折耳が呼吸に合わせて動く。
幼い姿を見て、彼の生い立ちの話をふと思い出す。長い間共に過ごしてきたが、ゼルの口からは滅多に出ない。過去に一度、あまり真に受けないでくれよ、と茶化されながら聞いた話。
恐らくは一族の掟か何か、引っかかったのかもしれない、と右目を指しながら話していたゼルの顔は少し悲しそうだった。それでも彼は、"今の自分がなかったらルイと出会えてないから、これでいいんだ"とすぐに微笑んで。
こんなにも可愛らしい姿なのに、と頭をよぎった。
小さなゼルの体温につられて、眠気が襲いかかってくる。思えば、帰ってきてから不思議なゼルにつきっきりだったのだ。風呂に入って仮眠でも取ろうか…と思ったが、今動けば膝元のゼルが目覚めてしまう。
仕方ない。このまま眠るとしよう。
─
数時間経っただろうか。なんとなく膝にかかる重みが増しているような気がして起き上がってみると─
全裸でだらしなく寝ている"いつもの"ゼルがいた。何故服が消えているのかは謎だが、恐らく魔法の効果が切れたのだろう。目覚めた時にもし一連の出来事を覚えていたら、どんな反応をするだろう。覚えてないかもしれないが、そうだとしたら面白い反応が見れそうだ、と口が緩んだ。
とりあえず、風邪を引かないようにシーツを被せようとしたその時。
「ん…」
ゆっくりと瞼を上げるゼルと目が合った。寝ぼけているのか、じっとこちらを見つめる。が、数秒後。耳をぴんと立て瞬く間に顔が赤く染まり、
「うわああぁ…………」
と、絶望しながらシーツを乱暴に奪い去り丸くなってしまった。
「おはよう、ゼル。」
「ぅ……おはよう………。」
はみ出た耳と尻尾は落ち着きなく暴れて、まるで不機嫌な猫のようだ。
「これじゃあ、おはようのキスもできないな。」
そう口にすると、渋々と頭だけ出してくれた。
「忘れたい?」
「できるならな……」
彼曰く。古代人に"対象の時間を巻き戻す"魔法を悪戯でかけられてしまったらしい。巻き戻されても尚私のことを認識できたのは、魂に焼き付くほどの想いがあるからじゃないか、と照れながら話してくれた。
今日のことは忘れろ、と言うが無理だ。墓まで持っていける面白くて微笑ましい話だろう。
シーツに丸まったゼルを撫でながら、少し遅いおはようのキスをして。
本当に愛おしい人だ、と心の中で呟いた。