こういうのも、悪くないな追っ手はすべて一掃し、またもやあっさりと脱獄は成功する。本当に、難攻不落だなんて笑わせる。
「これからどうします?」
一息ついて投げかけられた燐童の問いに、すぐに返事が出来る者はいなかった。
それぞれが思い思いに息をつく。煙草、練乳。まったく一体いつの間にどこからくすねてきたのか…。
「ひとまず腰を落ち着ける場所を探しましょうか」
「あー…面倒くせえし、どっかその辺の家でも乗り込むか?」
「まだ警戒区域ですよ、穏便な方法を探しましょう」
意見を出し合う三人のやり取りをぼんやり耳にしながら、谷ケ崎はそっと息を吐く。久しぶりの乱闘で疲れが足元から這い上がってくる。下を向いていたら頭が痛くなってくるような気配がして、ゆっくりと首を上に上げた。
独房の中では見上げることのなかった頭上。見上げた夜空を綺麗だと感じたことは一度もない。きっとこれからもないのかもしれない。情緒を重んじる心なんて、ずっと昔にどこかに捨ててきてしまった。
『前を見ろ!!』
大した人生歩んでねえくせに、一人前みたいな説教しやがって。
でもあの時、俺は山田一郎に言い返せなかった。それはもしかしたら自分の中に燻っていた感情を言い当てられてしまったからなのかもしれない。誰かのせいにして生きている自分の姿を一番よく分かっていたのは、他でも無い自分自身だ。
「知らない場所がいい」
気づいたら、そんな言葉が口をついて出ていた。はて、と三人が一斉に谷ケ崎を振り返る。
「何だって?」
有馬は怪訝に眉を寄せて聞き返してくる。その視線にもう一度真意を話す。
「俺はずっと兄さんと貧しい暮らしをしていた。闇の仕事に手を出してからはもうまともな社会を知らない。だから……知らないものを見に行きたい」
それはまるで子供が世界地図を手に夢を見るような言葉だった。
「…、あぁそう」
何をガキくさいことをと笑い飛ばしてしまうにはあまりにも真っ直ぐな声色で、有馬はつい茶化すのも忘れて谷ケ崎を見やる。
「は……? じゃあそれに俺達もついていくってことか?」
谷ケ崎は有馬のその言い様に対しても真っ直ぐだった。
「他にやりたいことがあるなら無理にとは言わない」
「…………」
ということは、一緒に行こうという誘いも含まれているわけだ。
「いや別にやりたいことなんか……ねぇーけど…」
これは戸惑いだ。有馬にはどう答えたらいいのか分からない。
他人と行動を共にするなんて、闇仕事での便宜上でしかなかったことだ。命のやり取りにおいて有益であると判断した時のみだった。
……なぜ返す刀で「ふざけんな、てめえらとなんかここでおさらばだ」と言えないのか。腹の奥が居心地悪くぐるぐるする。
「私は賛成ですね」
うろたえている有馬を尻目に、時空院は穏やかに笑んで手を挙げた。
「どうせなら紛争地域にでも行ってみて現地の戦闘をこの身に浴びてみたいです」
「いやそれお前の趣味だろどう考えても」
「? そういう話をしているのではないですか」
「違ぇーだろ、やりたいことはなんだって話だろ」
「ですからまだ見ぬ戦闘を」
「だぁ!もういい、分かった、話がややこしくなるから黙ってろ」
これ以上は不毛だと、有馬はダム!と強い足踏みで時空院を黙らせる。次いで谷ケ崎に向かってビシと指を突きつけた。
「つーか谷ケ崎てめぇそんな知らねえ場所にどうやって行くつもりだよ? てめえにそんな甲斐性あんのか?」
有馬の問いかけに、谷ケ崎は微かにむうとしながらも考える。その視線は自然と燐童に向けられた。
「確かに俺はあまりモノを知らないから、燐童の力を借りたい」
「え……?」
指名を受けた燐童は驚いたように目をぱちくりと瞬かせる。まさかそんな重要なポイントで『必要とされる』なんて。
「え、僕ですか!?」
「あぁ。最初に脱獄する時も、俺にマイクや外の世界のことをたくさん教えてくれただろ」
「いや、あれは、~……あれは外で面倒なことにならないように僕が自分の為にしていただけですよ……」
俺はそんな良い人じゃない。良い人のふりをして、ずっと利用してやろうとしていただけだ。こんなこと白状しなくたってもう彼らは知っているはずなのに、……なのに。
まるで怯えるようにきゅっと小さく両手を握って目を逸らす燐童に、谷ケ崎は静かに言う。
「それでも、俺には助けになった」
真っ直ぐな本心。その矢に射抜かれて茫然としている燐童に、有馬と時空院もどこか茶化す空気を含みながら言葉を繋ぐ。
「まぁコイツのことは確かにお前に任せてたな」
「ヒプノシスマイクに関しても、キミがいなくては我々は無知でしたしね」
そうして行き先なんてまだ決まっていないのに、当然のように誰からともなく歩き出す。狼狽えるのは燐童だけだった。
「え!ちょっと、どこ行くんですか!?」
「知るかよ」
有馬は面倒くさげに舌を打って、けれどその片手を空に上げていた。高らかに中指を立てて、背中で言う。
「あの世までだろ、こうなったらよ」
前を歩く三人の背を見て、燐童は人知れずふふと笑っていた。
(今この光景だって……充分知らない景色なんだけどな)
この感情の名前なら知っている。……『希望』だ。