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    NANO

    @bunnysmileplan1

    置き場
    もしくはデ④推しさんの名前でメディア検索するとだいたい出てくる。

    ⚠⌚裏🐼
    ⚠passは一話のキャプション

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🐼 🐼 🐼 🐼
    POIPOI 36

    NANO

    ☆quiet follow

    重傷の時空院を抱えて、全員で生きようとするお話。

    死なせない「今なんつった?」
    有馬の声は地獄を這うような低さだった。

    「金がないなら命で払えと言った。一人助けるなら一人死ね」
    相手にしているのはモグリの闇医者だ。純血の日本人ではない。
    そもそも、ここは日本でもない。
    ヒプノシスマイクに支配されつつある日本を、D4が飛び出したのはもう何か月も前の話だ。
    言語問題は燐童と時空院がカバーし、有馬と谷ケ崎は持ち前の威圧感とバランス感覚で乗り切ってきた。しかし、まだマイクが行き届いていない海外での戦闘はまさに命駆け。
    銃火器はもちろん、鋭利なナイフやボーガン等、治安の悪い地域では未だに物騒な代物が鮮血を浴びて行き交っていた。

    駆け込み乗車のごとく飛び込んだのは、廃れた町医者が捨てたオンボロ医院。
    真っ青な顔をしてコートのほとんどを赤に染めた時空院を担ぎ込んだのは谷ケ崎で、突入と同時に銃を医者に突き付けたのが有馬だった。
    「だから、金ならあとからいくらでも用意出来るって言ってるでしょう!」
    苛立って叫んだ燐童に、医者は冷ややかだった。
    「あとから? そんな言葉が通用すると思うな。今ここで全額出せないなら出ていけ」
    ガチャリ。有馬の持つ銃の引き金に指が掛かる。鋭い視線とその音だけで最終通告を告げていた。それでも、医者は慣れた様子で肩を竦める。
    「その話し方、日本人だろ? ヒプノシスマイクだったか。あんなものでやり合ってるからそんな貧弱な思考に陥るんだ。ここは日本じゃない。人の命は金でしか解決出来ない。どこの医者に行っても同じだぞ」
    「それでどうして一人死ねなんて思考になるんだよ」
    医者は死神のように笑った。
    「死んですぐの死体には需要がある。それを生かしたいなら誰か死ね」
    「分かった」
    その返事が聞こえた時。有馬と燐童が背後を振り返った時。一瞬だった。
    もう意識がない時空院の腰にあるホルダー。そこに入っていたナイフ。それを抜き取った谷ケ崎はそのまま腕を大きく振り上げて、思い切り自分の腹に叩きつけた。レモンを切るような音。安い豆電球の光を反射した刃は谷ケ崎の腹の皮膚を貫通し、頑丈な筋肉を裂いて突き立てられる。
    ヒッと息を飲んだのは燐童だった。
    「谷ケ崎さん!!」
    ほとんど悲鳴のような呼び声を聞き入れず、谷ケ崎は医者を見据える。
    「俺が死ぬ。こいつは助けろ」
    痛みを通り越した、真っすぐな声。まるで腹に何も刺さってないかのような力強い立ち姿に、意思の強い眼差し。谷ケ崎の行動に愕然と凍りついている燐童の隣で、有馬はすぐにハッとなって医者のほうを振り返った。
    「……いいだろう」
    さっきまで悪魔のような笑みを浮かべていた医者は、もう笑ってはいなかった。谷ケ崎と同じくらい真摯な表情で頷く。目が合った有馬を顎で呼びつけた。
    「お前、手伝え。そいつをこれに乗せて向こうに運べ」
    指を差して示されたタンカと奥の部屋。おそらく処置室だ。時空院の容態は一刻を争うものだ。おそらく縫合等の手術になるのだろう。でもその間谷ケ崎は?
    有馬の頭の中では一瞬で思考が駆け巡る。
    「谷ケ崎さん!!」
    燐童の悲鳴と同時に、谷ケ崎はついに立っていられなくなってその場に横倒しに倒れていった。支えられなくなった時空院の体も一緒に床に転がり落ちる。滴る血がどちらものか、もう分からなくなっていた。
    医者は谷ケ崎には一瞥もくれず、さっさと奥の部屋へ向かって行ってしまう。有馬に迷っている暇はない。

    「~くそが…っ」
    倒れている二人に駆け寄った有馬は時空院のコートをはぎ取って身軽にし、その身体を精一杯の力で持ち上げた。重てえんだよくそ!!
    時空院を引っ張り上げた勢いで、谷ケ崎のほうがごろんと床に転がる。腹にナイフが刺さったままの谷ケ崎は微かに呻いたが、どこにも手を伸ばさなかった。一瞬だけ、目が合った。
    (それでいい)
    目線だけで有馬に頷いていた。行け。
    「なんで!っ~~!!」
    バカ!と叫んで谷ケ崎の身体を切迫した表情で揺する燐童は、もうほとんど泣いていた。有馬はそれ以上二人を見ないように顔を背け、唇を噛みしめて重さに耐えながら時空院を無理やりタンカに乗せる。
    「有馬さん…!」
    ストレッチャーを押して時空院を奥の部屋へ運ぶ。その背中に、燐童が縋るように叫ぶ。振り返ってはやれなかった有馬は、最大限気持ちを押し殺した声で燐童に託した。

    「そのバカのこと絶対独りにするな」

    時空院も、谷ケ崎も、瀕死だということは一目瞭然だ。
    生き残るか息絶えるか。どちらかはもう分からない。
    人生に絶対はない。助けてやるとは言えない。
    でも、……独りにはさせない。
    ここまで握ってきちまったもんは最期まで持っていくしかねえんだよ。
    ふざけんな、ここで俺まで崩れたらそれこそ終わりだろ。

    「お前はお前のやれることをやれ。全部終わったら俺らでコイツらぶっ殺すぞ」

    ――

    バタンと部屋のドアが閉まり、そこに残されたのは燐童と谷ケ崎だけ。
    廊下の先へ足早に押し進められるストレッチャー音を、燐童はただただ絶望的な表情でドアを見つめて聞いていた。

    やれることをやれ。有馬はそう言った。
    やれることって、なんだよ。頭の中が真っ白だった。
    抱えている谷ケ崎の身体は腕が痺れるほど重くて、思えばこの身体をこうして支えてやったことは今まで一度もなかったなと頭の片隅で思う。
    ……そう、谷ケ崎伊吹は頑丈なんだ。そのくせ脆くて、染まりやすい。バカ正直なところが欠点でもあり、取柄でもある。そんな、ただの素直な子供なんだ……。
    (どうして…)
    絶対にそんな場合ではないのに、どうしてかこんなことを考えてしまうのは、一種の現実逃避だろうか。

    「……燐童…」
    腕の中から微かな声が聞こえて、燐童は茫然としたまま目線を下した。谷ケ崎はナイフが刺さった腹を微かに庇いながら、浅い息を繰り返す。呼吸の反動が痛みを生むのだろう、伏し目がちにツラく眉を顰め、痛みに耐えている。
    「燐童」
    繰り返された呼び掛けに、ようやく「はい」と答えた声は震えていた。身体の芯まで寒くて堪らない。じわじわと恐怖が迫りくる。こんな時、勘の良い自分が嫌になる。
    「、…っ」
    はくはくと呼吸と苦悶に谷ケ崎の唇がわなないて動いている。あぁあやめろやめろ、こんなのまるで最期のワンシーンだ。
    何か言おうとしている谷ケ崎の様子に、「どうしてこんなこと」と喉まで出掛かって、けれど懸命にぐっと顔を歪めて飲み込んだ。理由なんて、きっと谷ケ崎にとっては単純だ。バカ、バカバカバカ!
    このままじゃ、独りにされるのは僕のほうじゃないか……。

    迫りくる絶望に何も言葉にならず、ぐうぅっと唸るように谷ケ崎の頭を抱えたまま体を丸めてしまう燐童は、続く谷ケ崎の言葉に目を見開いた。
    谷ケ崎の声は孤独に怯える心を無意識に射抜く。

    「俺がやったことは、丞武には、言わなくていいからな」

    ……は? ふざけんなよ。
    なぜこんなにイラつくのか。なぜこんなに苛立つのか。自分でもよく分からないままに、爆発的に叫んでいた。
    「ふざけるな!!」
    もうそれはほとんど怒号と言っていい。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
    「勝手なことして、勝手なお願いして、勝手に独りで逝こうとするな! こういうのはね、交渉ってもんがあんだよ! なんで黙って待ってられなかったんだよこのクソガキが!! 絶対何とかしてやるって、そう思ってたのは俺だって同じなのに!! ~~なのに、っなのになんで……!!」

    なんで谷ケ崎さんだけが痛みを背負わなきゃならないんだよ。

    身体の奥から込み上げる熱いものが、涙となって溢れ出ていく。嗚咽交じりにみっともなくそう叫んで、でも最後には言葉にならずにギリと歯を食い縛って谷ケ崎を睨みつけようとした。その憤りすらも、目が合った瞬間に吹っ飛ばされる。
    「―…!?」
    力が入らないままの谷ケ崎は、自分を抱えて泣き怒る燐童を見上げて、やんわりと笑っていた。
    短い呼吸音や冷や汗をかいた額。腹に突き立てた刃の痛みは激しくなる一方のはずだ。なのに、まるで心温まる映画のフィナーレでも見たかのような、柔らかい笑みだった。
    「~~何が可笑しいんですか…!? 笑ってる場合じゃないんですよっ!」
    思わず恨み節を叩きつけて、くそと舌を打ってしまった。応える谷ケ崎の声は途切れ途切れで、徐々に意識が遠退いているようだった。腕に掛かる体重もぐんと重くなったように感じる。
    「……燐童から、そんな風に叱られたの…はじめてだ、な……」
    それでもまだどこか嬉しそうな声色に、どうしようもなく心が締めつけられて、もうここで投げ出すことは出来なくなっていた。

    (こんな死なせ方させてたまるか)
    有馬に託されたんだ。時空院にだって、どんな顔で会えっていうんだ。

    燐童の焦りや切迫感は、そこから少しずつ色を変えていく。
    まずは落ち着けと目を閉じて、深く深呼吸をする。ゆっくりと瞼を開けると、現状を捉える瞳に静かな光が宿った。それはほんの微かな勇気。無理矢理に自分を信じる心。
    やれることをやれ。有馬はそう言った。
    そうだ……やれるだけやる。せめて有馬が戻ってくるまで。時空院の命が繋がるまで。この人を死なせたらいけない。
    「……谷ケ崎さん、これからはどんどん叱っていくのでまだ生きていてくださいね」
    谷ケ崎はもう眠ってしまったかのように目を閉じていて、ピクリとも応えなかった。
    「っ!」
    込み上げる恐怖を押し殺し、その首筋へ脈拍を測る燐童の手は震えている。せっかくの決意も、少しでも気を抜いたらまたパニックに襲われてしまいそうだった。
    (落ち着け、まだ大丈夫だ、落ち着け)
    まだ脈はある。なんとかするんだ。何とか助ける。踏ん張れ!!

    誰かのためにここまで混乱して、無我夢中で必死になるのは、生まれて初めてだった。


    ――

    処置室の中央、衣服を剥かれて手術台に横たわった時空院の顔色は真っ青で、傷口から流れ出た血はその身体を伝って床にぽたりぽたりと赤黒い水溜まりを作っていた。

    有馬はモグリの闇医者に言われるがまま、手術台を挟んで向かいに立ち、急場の助手を務めている。
    医者はあっという間に時空院が負った数々の傷の状態を把握し、自分は一番ダメージの大きい箇所を担当しながら、有馬に出来る処置を口頭で指示していく。不遜な態度ではあったが、確かに優秀な医者であることが窺えた。
    「弾が抜けているところはとりあえず止血しろ」
    と、言われても医学のイの字も知らない自分に出来ることなどほとんどない。
    「これを使え」
    そう言って渡されたのは、でかいホチキス。自分も若い頃に使われたことがある。縫うよりもお手軽な傷の塞ぎ方。正直腹の中じゃ(嘘だろ)と血の気を引きながら、細かい傷口をそのホチキスでバチン!と止めていった。

    不意に、遠くで燐童が叫んでいる声が聞こえた。
    有馬はついピクリと顔を上げ、視線をドアへと向ける。泣き叫んでいるのか…。
    「…………」
    何を言っているのかまでは分からなかったが、悲鳴というよりは怒鳴り声に感じられた。向こうで何かあったのか。追手が来たのならもっと大騒ぎになっているはずだ。
    谷ケ崎はどうなっただろう。置いていく刹那、アイツにはまだ意識があった。託すように頷いた白い眼は、死を恐れてはいなかった。
    心細げな燐童の呼び声には振り返ってやれなかった。アイツが一番孤独を恐れているのに、もしも本当に谷ケ崎が死んだら、その場面を背負わせることになる。
    冷静さの中でも、胸の奥はぐっと苦しくなる。くそが、と顔を歪めて舌を打つことしか出来ない。
    医者に押さえていろと言われた傷口を押さえて、チラと時空院の顔を見た。
    頭の中をフラッシュバックしていく映像。目の前で散弾を食らったこのバカは、その一瞬ほんの少し笑っていた。ふざけやがって。勝手に三人も庇って、勝手に満足してんじゃねえよ。おかげでとんだ迷惑かかってんだぞ。

    とりあえず、目に見えて瀕死なこのバカの命を繋ぐことを優先した。谷ケ崎のあの判断を、俺は継ぐしかないと思った。だが果たしてこれで良かったのか? 本当に時空院は助かるのか? 燐童は壊れてしまわないか? 何が正解だ?
    「集中しろ」 
    静かに覇気のある声。唐突な指摘にハッとなり、思考が駆け巡っていた有馬の頭の中は一旦セーブされる。見れば向こうはただひたすらに縫合処置を進めていて、有馬のことなど一瞥もせずに手を休めずに続けた。
    「ただ腹にナイフが刺さったくらいじゃ、人間は簡単には死なない。あのまま抜かなければの話だがな」
    一拍、しんと静まり返る。言われた言葉の意図を汲み取って、有馬は微かに目を見開いた。
    「……それじゃコイツの命の対価は払えそうにねえな」
    優位でない交渉は苦手だ。相手の動きや感情の機微を見逃さず、有馬は言う。
    「あんた、それでも手を貸してくれんのか」
    医者はしばらくの間、表情ひとつ変えずに黙って処置を続けた。静かな室内で、器具の音だけが響く。
    ジリジリと火で炙られているような感覚だった。「どうなんだよ」と乱暴に詰め寄りたくなる気持ちをなんとか堪え、有馬は辛抱強く唇を噛んで反応を待った。

    そうして、一段落してハサミを持った医者はパチリと縫合の糸を切る。
    ひとまず急変しない限りは山を超えた。あとはこの男がどれだけタフか、だ。
    顔を上げると、まるで今にも人を殺しかねない青年の表情があった。銃を突きつけてきた時よりも深く静かで、苛立ちよりも必死な祈りが込められている目。
    その眼差しはどうやら命乞いですべてが救われるとは思っていないらしい。
    ……そうだ、助けたいと願っても救えないものもあるのが人生だ。
    この闇で生きていれば誰もが思い知る教訓だ。利口な男。でも、その利口さを今はおそらく自分の為ではなく、ここまで連れ立ってきた連中のためにフル回転させている。
    『俺が死ぬ。こいつは助けろ』
    あんなバカがいれば、まあそうせざるを得ないだろう。
    医者は呆れたように、観念して溜息をついた。
    「本気で自分の命で支払おうとした奴は初めて見た」
    有馬は思い知る。こういう時、人の心を動かすのは結局ああいうバカの真っ直ぐさなのだ。
    「コイツの処置はほとんど終わってる。特別サービスだ。まだ生きてるようだったら、次はアイツを運んでこい」
    そうして医者は悪どく笑ってみせて、指でコインを作った。
    「言っとくが、金はもちろん二倍請求する。その金が背負えるというのなら助けてやっても」
    バン!! まだ医者が話してるにも関わらず、有馬は弾かれたように処置室を飛び出していた。叫ぶ。
    「燐童!!」

    「…………」
    人の家のドアはもう少し丁寧に扱え。
    反動で開閉するドアを見やりながら、残された医者はやれやれと首を振る。そうして処置の大半を済ませた患者を見下ろした。山は越えても、意識が戻るにはまだ時間がかかる。身体に麻痺が残る可能性も捨てきれない。
    ……この男の傷口はすべて前面から食らっていた。きっと死を恐れずに、誰かの盾になったのだろう。

    (バカしかいないのか、D4って奴らは)
    ひっそりと知れ渡っている闇の名前。思っていたよりもずっと人間らしい奴ら。
    ……そういう連中を助けるのも、まあたまには悪くない。


    ――

    バン! 有馬は激しい音でドアを開け放つ。
    「燐童!」
    ぐったりと倒れた谷ケ崎を抱えていた燐童は弾かれたようにドアを振り返り、有馬を見てその表情をぐちゃぐちゃに歪める。もうどうしたらいいのかと泣き叫ぶようだった。
    「有馬さんっ」
    駆け寄った有馬はその腕に抱えられている谷ケ崎を見やる。普段から色白い肌から更に血の気が引いた真っ青な顔色。おそらく止血を試みたのだろう、ナイフの柄を囲うように時空院のコートが巻かれていた。
    「運ぶぞ」
    息はある。まだ間に合う。……間に合うと信じるしかない。
    びくともしない谷ケ崎を連れ出そうとする有馬に、燐童は更に顔を真っ青にする。
    「時空院さんは!?」
    まさかダメだったのか。そう絶望する燐童を尻目に、有馬は谷ケ崎の肩を持って抱えあげる。くそ、こいつも重い。
    「あのバカの処置が今終わったんだよ、次はコイツだ」
    「診てもらえるんですか……!」
    そこでようやく有馬は燐童を見た。強気にハッと鼻で笑ってやる。それは不安に押し潰されそうな自身への鼓舞でもあり、狼狽える燐童への喝でもあった。
    「報酬は二倍だとよ。マジでコイツら起きたら俺らでぶっ殺してやろうぜ」
    それまでは死なせない。覚えておけよバカ二人。

    ーー…………

    深夜の病室。ガサゴソとした物音で燐童はハッと目を覚ます。ベッドサイドに置かれたソファーでうたた寝していた身体は、反射的に臨戦態勢に入った。
    そして目の当たりにした光景に思わず声が出る。
    「何してるんですか!?」
    ベッドに横たわっていたはずの谷ケ崎が、起き上がってテーブルにあるカロリーメイトを食べていたのだ。
    腹にナイフを突き刺したその命は繋いだが、傷が塞がるまでは絶対安静の容態のはずだ。突然真横から叩き込まれた大声にびっくりした谷ケ崎は、飲み込もうとしていたカロリーメイトを喉に詰まらせて盛大にげほげほと咳き込む。その反動で身体が痛むのか腹を抑えてうぅとその場に小さくなった。
    「ほらもう!無理するから…!」
    慌てて脇にあった水のペットボトルを開け渡してやりながら、谷ケ崎を支えてベッドに戻す。
    窒息寸前だった谷ケ崎は喉に詰まったものを水で無理やり飲み込んで、間一髪と息をついた。
    「いやなんでよりによってカロリーメイト!?水分全部持ってかれるでしょうが!」
    まだ寝ていろとほとんど無理やり押さえつけるようにベッドに横たわらせる。万全であれば燐童の力では動かないだろうが、さすがに傷が痛むのか、谷ケ崎はむぅと不服げにも大人しく従った。
    「安静にしててくださいっ」
    「〜……腹が減って…」
    「思ったより元気だな!?怪物ですかアナタ!?」
    「声が大きいぞ、丞武が起きるだろ」
    「まともなこと言いやがって……!」
    窓際のベッドには、時空院が谷ケ崎と同じく一命を取り留めて眠っている。最もな指摘に声は抑えるが、ぁあもうと語気は強まった。気持ちが溢れ出て泣きそうだ。
    「自分が何をしたか分かってるんですか…」
    「わかってる。丞武は助けてもらえたんだろ」
    「〜〜…そういうことじゃなくて…」
    そうして言い合ってる最中に、室外で一服終えた有馬が部屋に入ってくる。
    「!?」
    入るやいなや目を覚ましている谷ケ崎を見て、有馬も一瞬目を見開いた。
    「谷ケ崎……お前怪物か?」
    あと二日か三日は動けないと思っていたのに。どうやらあのモグリの言う通り、こいつは腹に一発食らったくらいじゃ死なないらしい。死ねない怪物。そんな無茶な奴がチームに二人もいるなんて、運がいいのか悪いのか…。
    燐童がほとんど泣いているような表情で谷ケ崎を滾々と叱りつける様を見て、なぜだか笑えてしまった。
    悪びれもしていなかった谷ケ崎も、本気で怒っている燐童の様子にさすがに心なしかしょんもりとしている。こうなると怪物もまるでただの末っ子だ。
    ちょうどいい。しっかり叱られて反省しやがれ。
    お前はもうお前の勝手じゃ死ねねぇんだよバカ。


    ーー………

    その日の明け方、まだ日が登りきらない薄明に、時空院はふと何の前触れもなく目を覚ます。
    いの一番に見えたのは薄暗い見知らぬ天井。そして夜と朝の狭間の光を取り込むすぐそばの窓際に、まるで時空院が目覚めるのを分かっていたかのように静かに有馬が立っていた。
    「よぉ、くそったれ。生き残って残念だったな?」
    微かに冷笑を含んだ声。けれど本当に冷たいわけじゃない。人の温もりが残っている声。相変わらずの口ぶりに、思わずふふと笑えた。
    「死神のほうがまだ優しい声をかけてくれそうです」
    身体を貫く痛みは意識が戻った途端に強くなり、とてもじゃないが四肢はどこも動かせそうにない。出来るだけどこも力まないよう、ふぅと大きく息をついてやり過ごすしかなさそうだ。
    しかしどうやら生かされたらしいこの命。自分が倒れてから彼らに一体何があったのか……。
    「状況は」
    「見てのとおりだよ」
    有馬はほらと室内を顎で示す。なんとか首だけを回して視点を変えれば、電灯を落とした薄暗い部屋の様子が窓からの淡い光で確認できた。
    隣のベッドには谷ケ崎が眠っていて、その横でパイプ椅子に座ったままの燐童もそのベッドに額を突っ伏して眠っている。全員無事に生きているということだ。
    「……ここは病院ですか」
    廃屋には見えない。ある程度は設備が行き届いているように感じた。
    「あぁ、ったく、てめぇが余計なことするから面倒なことになっちまったじゃねえか」
    「具体的には?」
    「町の外れのモグリのとこだ。ほら、最初にこの国に入る前に燐童が軽く話してただろ。てめえがぶっ倒れた後にここに担ぎ込んだ」
    「……伊吹も怪我を?」
    眠っている谷ケ崎の着衣が自分と同じく病院着だ。何か手当てをされたのだと分かる。けれど記憶を頼れば、自分が倒れるまではチームに重傷者はいなかった。
    「あぁ…谷ケ崎は……まあちょっと腹に一発食らいやがったからお前の後に軽く処置してもらった。燐童もだいぶテンパってたけどな、今は全員落ち着いてる」
    「有馬くんは」
    「……あ?」
    「有馬くんはどうだったんですか」
    おそらく尋ねなければ口にするつもりはないのだろう。報告に足りない名前を指摘すれば、有馬は一瞬時空院を見たまま固まった。

    有馬の頭の中ではこの数時間の出来事が早送りで駆け巡る。
    目の前で倒れていく時空院。躊躇なく自分を犠牲にする谷ケ崎の目。泣いている燐童。ただ血に汚れる自分の手。
    緊迫していた映像は最後にこうして目を覚ました時空院まで辿り着いて、……正直ふうと胸の奥から息をついた。張り詰めていたものが緩んだ。
    「……別に。なんとかなったんだから良かったんじゃねえの」
    それが素直な気持ちだ。視線はチラリと奥の谷ケ崎と燐童を見やる。一時はどうなることかと思ったが、二人ともよく眠っている。誰も欠けなかった。あの状況からこの結果、上出来だろ。

    強張っていた有馬からようやく和らいだ空気を感じ取り、時空院は穏やかに笑った。
    「そうですか」
    キミはその安堵が自分のことではなく、あくまでも我々のことを考えての言葉だとは気付いていないのかもしれない。
    「お前寝ねえの」
    話題は変わり、有馬はぐぐぐと腕を空に伸ばす。肩を回して凝った身体を解した。
    「えぇそうですね、ちょっと痛みが強くて眠れそうにありません」
    「あっそ」
    軽く応えながら室内を横切り、奥にある一人掛けカウチに移動する。両足はドカッとテーブルに乗せた。
    「んじゃ俺寝るから何かあったらお前頼むわ」
    「……私結構重傷だと思うんですがね」
    反論には知らん知らんと手を振って、構わず目を閉じた。
    「勝手ですねぇ」
    「てめえが言うな」
    ここ一晩か二晩か……おそらく一番気を張っていたのは有馬だろう。そう思えば、多少の番くらいはしてやってもいいか。やれやれと息をついた時空院は観念して笑い、「おやすみなさい」と小さく声を掛け、自分も意識を残したままゆっくり目を閉じる。
    身体中痛くてたまらないのは確かだが、この真っ暗な空間、すぐそばに三人分の寝息を感じると……不思議と気持ちは穏やかだった。


    ――………

    次に目を覚ますとカーテンからは柔らかい日差しが差し込んでいて、どうやら昼時だと知ることが出来た。
    指先に違和感を感じて視線を流すと、谷ケ崎が時空院の片手を手にとっていた。もう片手には、白いマニキュア。何をしていたのかは一目瞭然だ。自然と頬が柔く緩む。
    「伊吹が塗ってくれるのですか?」
    そう柔く声を発した。時空院が起きたことに気がついた谷ケ崎は少しだけ目を見張って、そっと作業を中断する。
    「悪い、起こしたか」
    「どこかが痛んだわけではありませんよ」
    正直どこを動かしても体中痛くてたまらないのだが、この時間を取っ払ってしまうのは惜しい気がして、そんな嘘をついた。
    続きをどうぞと微かに手を差し出してやると、またそっと塗り始める。他人に指先を捉えられるこそばゆい感覚の中で分かるのは、不慣れな刷毛の動きとはみ出しているであろう塗料の感触。
    「上手に出来ていますか?」
    ほんの少し意地悪な質問。案の定谷ケ崎は少しだけギクリと肩を強張らせる。
    「……初めてやったんだ…」
    むうと言い訳する口ぶりが可笑しくて、思わずははと声に漏れて笑ってしまった。手を掲げて見えるように顔の前に持ってくると、予想通り歪な白が指先に咲いていた。
    谷ケ崎を見るとまるで悪戯が知れた子犬のようで、そんな風にされると叱ることなど出来はしない。ふと笑んで指先を谷ケ崎に見せる。
    「伊吹の作品は味がありますねぇ」
    「~……悪かったな」
    「どうですか、初めてのマニキュアは」
    「思ってたより難しいな」
    「何度もやれば上手になりますよ、戦い方と同じです」
    「人を殴るのは勢いだろ、こんな細かいことは俺には向かない」
    「ハケも恐る恐るではなく一気に引いてしまうんですよ。人間もそのほうがよく伸びるでしょう?」
    「どんな例えだよ……」
    「教え方が斬新すぎます……」
    有馬と燐童だった。いつの間にか部屋に入ってきていたようで、うっそりと据わった目で谷ケ崎と時空院のやり取りに加わった。
    町の屋台で買ってきたテイクアウト品を食べながら、谷ケ崎の初めてのネイル作業を参観日が如く見守る。
    「見てらんねぇんだけど」
    「でもちょっとづつ上手くなってますよ」
    後ろから覗き込んでやいのやいのと口を出す二人に、ついに谷ケ崎はじとりと不服げに振り返る。二人に向けて片手を出し、どちらか手を寄越せと促した。
    「練習台」
    少し拗ねたような谷ケ崎の視線を受けた二人はそそくさと両手を後ろに隠す。
    「僕はネイルはしない趣味なので〜…」
    「自分のやれ、自分の」
    「だめだ。俺のは丞武が退院したらやるんだ」
    思わぬところでご指名を受け、横たわったままの時空院は思わずぱちくりと目を瞬いてしまった。
    谷ケ崎は「そうだろ?」と今度はこちらを振り返って同意を求めてくる。当然のように復活する時空院を想像している谷ケ崎に、あぁそうかと思い知る。そっと笑って頷き返した。
    「えぇ、喜んで…」
    まだまだ回復には程遠い身体は体温が低いはずなのに、不器用に白を咲かせた指先だけは温かいような気がした。


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