真友とタバコ友一との情事の後は、ベランダでタバコを一服ふかすのがすっかりお決まりになっていた。この日もまたいつも通りベランダにいたわけだが、真次は無性に苛々していた。
肺を膨らませ、タバコを深く吸う。苦い。苦いし舌先はぴりぴりとひりつくけれど、初めて吸った時からずっと、そして今日まで、やめられない。とんとんと忙しなくタバコを叩き、思いきり煙を吐き出した。からっとした晴天、雲ひとつない。無風である。
背後でベランダの扉が開く音がする。
「……なに? イラついてんの」
「別に。そんな風に見えますか」
「めちゃくちゃ見える」
少し大きい丈のパーカーを着た友一が、ベランダのサンダルを軽く引っ掛けて、真次の隣に並んだ。柔らかい朝陽に、眩しそうにぎゅっと目を細めている。友一の目の下の隈を見る。青白くていかにも不健康そうで、そのくせ、その横顔に朝陽をきらきらと、全面に受けているのが笑えるほどにアンバランスだった。
ベランダに2人分の影が細くのびる。
「……で。なにがあったんだよ」
答えない。真次はタバコの箱を軽く振って、あと何本残っているか確かめる。
「おい」
「禁煙ですよ。禁煙。禁煙中なんです」
「は? いや、吸ってるじゃん。なんだよその手に持ってるものは」
「これが最後の一本です。今日はもうこれで終わり」
今日はこれでタバコは終わり、最後の一本。あえて口で唱えることで、避けられない決定事項として自分に刷り込み、自分を追い込みたかったのもある。
「ふーん。だからイラついてるのか。1日何本とか中途半端なこと言わないでさ、もうすっぱり吸うのやめればいいのに」
「口で言うのは簡単ですけどね。一度身体に沁み着いたものはなんでも、なかなかやめられないものですよ。それが長い期間であればあるほどね。君も分かるでしょ?」
「ニコチン依存症なだけだろ? いいように言うなって」
「ほんっと、小憎らしいですね、君は」
そういえば、タバコを吸い始めたのはいくつの頃だったか。
細かい時期は覚えていないが、確か殺し屋まがいの仕事に手を染めるようになってからだと思う。成人するより何年も前だったことは覚えている。倒れ伏したたくさんの男たち、暗い血だまりの景色のなか、通気口のそばで立ち昇る細い紫煙。仕事終わりの一本と洒落込んだ、あのタバコはやけに上手かったのを覚えている。
煙を肺いっぱいに詰め込んで、尖らせた唇から少しずつ煙を吐き出す。味わうように。噛み締めるように。あるいは、たった1日だけなのに、その別れを惜しむように。いつの間にか、舌のひりつく痛みが癖になっていた。ただ苦いだけの味を、うまいと言うようになっていた。
お前がいつも吸ってるそのタバコって、なんの銘柄。ちょっと見せてみろよ。
そんなことを言う彼の手のひらに箱を乗せてやると、口の端が愉しそうに歪んだから目を見張る。
「禁煙、協力してやろうか。こいつ、俺が預かっておいてやるよ」
そんなことを言って、友一は首を傾げながら箱を軽く振る。
「結構です。返して下さい」
「遠慮すんなよ、お兄ちゃん」
「いや、本当に……。そういうんじゃないんで。返してください」
取り返そうとする真次の手をひらりとかわして、友一はとんとんと箱を叩くと、たばこを一本取り出し、中指と人差し指で挟んで口先に浅く咥えた。友一に喫煙癖はないはずだったが、一連の仕草はひどくこなれて見えて、それは友一のそばでいつも真次がやっていた仕草そのものだった。
あごを軽く突き出しながら、火、とだけ言った。真次は突拍子のないことをする友一にも、それを真剣に止める気ももはやない自分にも呆れながら、言うことを聞いてやる。
ポケットを探って、取り出したライターの炎をつける。左手で風を除けるようにしながら、ゆっくりと近づける。振り回されているな、と分かっているし、次こそ思い通りになってやらなかった時の顔を見たい、とも思う。それでも、求められればきっと明日も火を差し出す。そんな確信めいた、諦めにも近い何かが真次の心に横たわっている。
友一がたばこの先を見つめて目を伏せた瞬間、その瞬間、その一瞬だけ、彼の涼しげな黒い瞳、短いまつ毛が、真次をひどくやるせなくさせた。こういう瞬間は、いつも突然に来て、火花のように消える。
友一は目で分かるほど肺を膨らませて、思い切り煙を吸い込んだ。
そして、そのすぐ後に、盛大にむせた。濁った色のもやのかたまりが青空へと高く吸いこまれていく。
「ゲホッ!! ゲホ、ケホ、おぇ……!!」
「ちょっと。何やってるんですか。あのね、慣れてないくせに、一気に吸い込むからそうなるんですよ」