口紅 十月二十一日、瑪瑙にとっては忘れてはならない日。安心院で教鞭を振るう薊の誕生日なのだ、テレビでお祝いされているのを見るしかできなかった昔とは違い、今は身近に会えてなんなら自分にレッスンをつけてもらっている。今日もまた事前にレッスンをつけてほしい、と頼んできたのだ。
瑪瑙はプレゼントに相当悩んだ、人に贈り物などほぼやった事のない瑪瑙にとっては、ここまでなやむのかと自分に驚いていた。それほどまでに自分にとって江波薊は、大きな存在とも言える。ここまで悩んだのだ、たとえ相手が嫌がっても受け取らせようとすら思い始める。
悩んだ末に買った小さな箱に入った紙袋を持って、薊の待つ教室へと入る。中には既に薊が足を組んで座っており、瑪瑙の事を待っていた。瑪瑙が入ってきたのに気づき、本を閉じると椅子から立ち上がった。
「来たね、僕より遅れてくるなんて少し珍しいね?」
「でも時間通りですよね」
瑪瑙はそう言うと薊に近づき、紙袋を差し出した。薊は差し出された紙袋になにか勘づいたのかにんまりと笑いだした。
「もしかしてぼくの誕生日プレゼント? 知らないと思ってた」
「知らないわけないでしょう、気に入るかは知りませんけど、この僕が選んだので」
瑪瑙は微笑みながらも、薊がプレゼントを気に入るか内心不安だった、薊が紙袋に入った小箱を開けて少しだけ目を見開いた。
「……これ、口紅?」
「……新色です、その広告務めたんですけど……。……僕より先生が似合うなってずっと思ってました」
薊に贈ったプレゼントは口紅だった、その色は深い赤色の、少しだけラメの入った、まるで瑪瑙の目の色のような色の口紅だった。瑪瑙はその広告を務めるため口紅を見た時、薊に似合いそうだ、なんてぼんやりと思っていたのだ。そしてプレゼント選びの時、ふとその口紅をおもいだしたのだ。
薊は思っていたプレゼントじゃなかったからか、瑪瑙の説明を聞きながら物珍しそうに口紅をみていた。すると口角を上げると口紅の蓋を取り、塗り出した。薊の唇が深い赤色に、瑪瑙の思ってたとおり、良く似合う。
「似合う?」
「えぇ、とても」
瑪瑙がそう笑うと、薊は近寄ると瑪瑙にも口紅を塗り始める。瑪瑙は驚いてしまったが、動かないでねと薊から言われじっと動きをとめた。塗り終わったあと、薊は満足そうに笑う。
「実はきみの広告の写真見てたけど、やっぱり写真より目の前にいるきみの方が綺麗だね」
「……ありがとうございます」
せっかくの薊の誕生日だというのに、自分に塗ってどうするのかと思いつつ、薊がたのしいのなら、と瑪瑙は笑った。小声でお誕生日おめでとうございます、と呟いた瑪瑙の声を聞いた薊は笑っていた。