【五+夏】特級呪物・連理の簪①【ブロマンス】「悟、ラーメン食わないか?」
「ひのき屋? 行く行く!」
高専から麓へ少し下ると、ほどなく小さなラーメン屋が見えてくる。藍染めの暖簾を潜ると、まずは券売機。続くたった四席のカウンターの奥には、捻り鉢巻の大将がしかめ面で立っている。
「いらっしゃい」
俺の定位置は一番奥、隣が傑だ。各々置いた食券を一瞥して、大将はテボに麺を放り込んだ。
「七海、大丈夫かな? 今日結構キツくしたよね」
ついさっきまでやっていた自主練は、灰原が座学の補習だとかで、一年生は珍しく七海一人だった。
「あれぐらいでバテるとか弱すぎ。任務で死ぬより俺らにしごかれてぶっ倒れる方がマシだろ」
「それはそうだけど」
傑は苦笑いして、首に掛けたタオルで汗を拭った。シャワーを浴びたばかりの長髪はまだ湿っていて、白いTシャツの背中に染みを作っている。
「まあ、動けなければ灰原が介護してくれるかな」
「そーそー、同級生ってそういうもんよ」
「君が動けなくなったら私に介護しろって?」
「なんねーし、傑だって負けたりしないだろ。俺たち最強なんだから」
そうだね、と相槌を打って、傑はコップの水に口を付けた。
「つか、仮に動けなくなったとして、頼むなら傑より硝子だわ」
「それは無理じゃないか? 硝子は治療はしてくれても生活の面倒は見てくれないと思うな。〝介護? 他当たれよ、クズども〟って」
「それなー。つか似てんな」
げらげら笑っていると、ふと俺の前に影が差した。
「へい、チャーシュー麺大盛りに味玉と海苔トッピング」
「どーも」
「そっちの兄ちゃんは、今チャーシュー切るからちょっと待ってな」
「あ、はい。大丈夫です」
連れの注文が来ていないからといって、ラーメンは待ってくれない。俺は一足先にいただきますと手を合わせた。
ここの看板メニューは、なんてことのない醤油ラーメン。あまりになんてことなくて、昔一緒に来た硝子が店を出るなり、カップ麺でいいや、と言い放ったのは語り種になっている。その時傑は、これが無性に食べたくなる時があるんだよ、と諌めていた。俺も同感だ。男子高生には、なにがなんでもカップじゃないラーメンを食べたい瞬間があるのだ。
割り箸でいっぱいに細麺を持ち上げて、ずるずると啜る。
「あー、美味い」
続けてチャーシューにかぶりつく。お世辞にも上品とは言えない獣臭さが、腹ぺこの舌にぴったりだった。
「お待ちどう、チャーシュー麺大盛りにチャーシュートッピングね」
「ありがとうございます」
嬉しそうに丼を受け取る傑に、俺は胡乱な目を向けた。
「どんだけチャーシュー食うんだよ」
「いいだろ別に。肉が食いたい気分なんだ。あー、髪ゴム忘れてきちゃった」
割り箸に手を伸ばす傑を尻目に、れんげをスープに沈める。
「寧ろ君の方が意外だよ。海苔って渋いよな」
「美味いじゃん、スープでべしょべしょになった海苔」
「美味いけど……百円は高くないか?」
「え、お前海苔の百円も払えないくらい金困ってんの?」
実家の太さこそ違えど、一級呪術師としての給金は俺と大差ないはずだ。前に実家へ仕送りしているとか言っていたが、それが負担になっているのか?
なんと返事をするのかと隣を見遣って、その意外な姿に俺ははたと手を止めた。
「そういうわけじゃないけどさ、チャーシューと味玉と海苔が全部同じ値段って、庶民には納得いかないんだよ」
私貧乏性なのかな、と呟く傑の右手には、先ほどまで背中に垂れていた長髪が束ねられている。それを左手の割り箸で巻き取るようにして髪に挿すと、あっという間にいつもの団子頭が完成した。
「……え、なに? 今のどうやった?」
「えっ? 髪?」
「もっかいやって」
「やだよ、ラーメン伸びちゃうし」
傑はもう一膳割り箸を取って、ようやくチャーシュー麺にありついた。
「傑って時々ミョーに器用だよな」
「どちらかというとズボラなんだと思うけど。さっきのだって簪の要領だし、特別なことじゃないさ。中学の時にクラスメイトが教えてくれたんだ」
つい渋い顔をしてしまったのに、隣の親友は気付いていないだろう。髪の結い方を教えるだなんて、きっと相手は女だ。察するに、高専入学前の傑は相当にモテたらしかった。俺だってその気になればガキからババアまで選り取り見取りだけど。それでも傑の話はどうしてか面白くない。
「……なに、髪触らせたの?」
「ん?」
ずずずと麺を啜り上げてから、傑は探るようにこちらを見遣った。
「……どうだったかな」
「ふーーん」
はぐらかすような言い種が気に食わなくて味玉を雑に切り分けたら、半熟の黄身がだらりとスープへ流れ出た。
(俺が前髪触ったら怒んのに)
「俺が前髪触ったら怒んのに、とか思ってる?」
「なっ、んだよ心読むんじゃねえ」
「君がわかりやすいだけだろ。言っとくけど、それは触り方の問題だからね」
チャーシューを丸ごと一枚頬張って、傑は幸せそうにむぐむぐと口を動かした。
「ていうか、悟がそんなこと気にするなんて珍しいね。妬いたのかい?」
「んなわけねーだろキッショいこと言うな」
口を尖らせる俺とは対照的に、傑は妙に嬉しそうに見えた。そんなにチャーシューが美味いのか。
「今は悟だけだよ」
俺は反射的に、オッエーと嘔吐を真似た。
「悟、飲食店でそんなことするもんじゃない」
「傑がクサいこと言うから。急にデレんなって」
とは言いつつ、どことなくこそばゆい。何と言葉を続けていいか分からなくて、半分ほどになった隣のチャーシューの山の上に、湿気た海苔を一枚裾分けした。
「やる」
「え、ありがと」
チャーシューを掻き分けて海苔を麺に絡めながら、傑はうーんと唸った。
「どうしよ、返せるものがチャーシューしかない」
「別に返さなくていいけど」
「そうはいかないだろ。でもなあ、海苔一枚にチャーシュー一枚じゃ割に合わないし」
「貰っといてケチつけんのかよ」
大まじめな顔で悩む傑を横目に、俺はスープ染み染みになった海苔を口に運ぶ。美味い。
「そうだ、こうしよう」
傑はチャーシューを一枚摘まみ上げて、がぶりと囓りつく。そうして残った半分を、俺の丼の中に置いた。
「チャーシュー二分の一枚で手打ちだ」
「いや、食いさしかよ」
「嫌じゃないだろ? 私のなら」
にやりと笑ってみせる相棒に、俺はうっざ! と返して、半分のチャーシューを口に放り込んだ。