【五+夏】特級呪物・連理の簪②【ブロマンス】 実家の廊下は無駄に長い。しかも書庫は離れにあって、蔵書を自室で読もうと思うと運ぶのが地味にダルい。
おまけに山積みの書物を抱えて歩けば、どこからともなくわらわらと女中たちが集まってくる。
「いけません悟様! お荷物は私たちに任せて」
引き留める女たちに目もくれず、すたすたと廊下を進む。
「いーよこれくらい。つか本読むたびに誰かしら呼びつけるのがめんどいわ」
「しかし悟様の手を煩わせるわけには」
「お前らが集まってくる方がよっぽど煩わしいんだけど」
だいたいここにいる女中どもはあらゆる呪術師家系から五条家に遣わされた奉公人で、次期当主の妻、跡継ぎの母の座を狙うハイエナだ。そんな下心見え見えで親切にされたってこっちは反吐しか出ない。
「悟様」
一際落ち着いた声に、俺はようやく目を向けた。質素な着物を品よく着こなした彼女は母方の伯母にあたり、長らく俺の側仕えを務めている。
「なに、ばあや」
物心ついた時にはすでに一番近くにいたから、京都の本家で床に臥せてばかりの実の母よりよっぽど母親らしいかもしれない。スピードを少し緩めると、白い足袋が音もなく隣に並んだ。
「また反転術式のお勉強ですか」
「そ。もーちょいでコツ掴めそうな気ぃすんだよ。でも、使えるやつに聞いても全然要領得ないしさあ」
「同窓の女学生様ですね。お噂は耳にしております」
硝子があてにならないなら、自力で会得するしかない。少しでもヒントが欲しくて、ここ最近は高専でも実家でも反転術式絡みの本や資料ばかり読み漁っていた。
「才に甘んじず呪術の洗練に精を出しておられる姿勢、ばあやはいつも敬服しております。しかしですね」
ばあやの柔らかい口調がほんの少し頑なになる。
「次期当主ともあろう方が荷物運びだなんて示しがつきません。少しは家の者を頼ってくださいな」
「知るか。俺より強い呪術師なんかこの家にいねえんだから、それ以上示しも何もないだろ」
小言に耳を貸すほど暇じゃない。大股で歩き去ろうとしたところで、ふと先日のラーメン屋でのやりとりを思い出した。
「そういやばあやって、いっつも団子頭だよね」
「はい。それが何か?」
「どうやってんのかなと思って。それ簪でしょ」
白髪混じりの黒髪の塊には素っ気ない鼈甲が挿さっている。
「でもさ、例えばあの子」
女中の一人を指差すと、きゃっ、とどうでもいい悲鳴が上がった。
「あれも簪だけど、何か髪型違くない?」
「簪の使い方にもバリエーションがありますから」
「へえ。幾つか教えてよ」
ばあやはきょとんとした顔で俺を見上げた。
「構いませんが……聞いてどうされるんです?」
「友達に教える」
「お友達……?」
理解が追いつかないとでも言いたげだ。少し迷うような素振りを見せてから、ばあやはおもむろに口を開いた。
「その……よろしければ、お友達とはどんなご関係かうかがっても?」
「高専の同級生だけど。よく団子頭にしてんだよ」
「なるほど同級生」
何かに納得したように小さく頷く。
「それで悟様が、その方へわざわざヘアアレンジをお教えに?」
「うん。喜ぶかなって」
「はあ、喜ばせたいのですか……口頭でお教えになるのは難しいかもしれませんが、どうされるおつもりで?」
「んなの、そいつの髪でやればいいじゃん」
「悟様手ずから?」
「うん」
「ひぇ」
何だろう。言外に真意を探るような間。見回せば周囲の女たちも妙にざわついている。
高専に入るまで友達と呼べるような存在は居なかったから、一般的な友達付き合いがどういうものか、俺はよく知らない。もしかしたら、髪型の話をするのはあまり普通ではないのかもしれない。
「仲が宜しいのですね。これまではどんなお付き合いを?」
「どんなって……二人で飯食ったり、任務行ったり? この間は買い物も行ったか」
仮に普通じゃないとして、だから何だ。この家では俺こそが鉄則。他の奴らにどうこう言われる筋合いはない。
「お相手様も、悟様にご好意を?」
「んー? まあそうなんじゃない? 説教くさくてウゼェ時もあるけど、任務の後なんかは何だかんだ“悟ー、一緒にシャワー行こうよ”て誘ってきたりするし」
「しゃわっ」
なぜか一瞬取り乱したばあやは、ごまかすように小さく咳払いをした。
「……分かりました。後ほどお部屋へ伺います」
「ん」
青い顔をした女たちを置き去りに、俺はまだ続く廊下を往く。
畳に寝そべってページを繰る。
呪術トハ即チ呪詛ト祈念ノ総称ナリ。呪詛ノ術式ヲ順、祈念ノ術式ヲ反トシ……。
(理屈は分かってんだよ。もっと実践的な文献ねぇの?)
ごろりと寝返りを打って読んでいた書物を投げ出すと、放置していたサングラスに当たってカタンと音を立てた。空いた両手を天井に翳して、呪力を籠める。右手は蒼く輝くけれど、左手はちっとも変わらない。
「なーんでできねぇかなあ、反転術式」
傍に積み上がった蔵書の山は一通り目を通した。どうやら無駄足のようだ。
(京都の本家に行きゃあまだ良いやつあるかもだけど……出張のついでに寄れっかな)
高専の書庫もチラッと覗いてはみたものの、量が多すぎる上に整頓しきれておらず、任務に追われる隙間時間では探せなかった。実家なら無下限呪術の手引き書と一緒に仕舞われているかと思ったのだが、そう甘くはないらしい。
「悟様、ばあやでございます」
声と共に、障子の向こうに影が現れた。
「入って」
梁を見つめたまま命じると、ばあやはいそいそと部屋へ入り、畳に膝をついた。
「まずお渡ししたい物がございます」
潜めた声がいやに真剣で、俺は目を遣った。皺の目立つ手許には漆塗りの小箱が置かれている。そっと蓋を開けると、中には銀杏の葉に似た形の真っ白な簪が収まっていた。
「何それ」
「連理の簪、でございます」
体を起こし、箱を覗き込んだ。象牙だろうか。二本の木の枝が絡み合いやがて一つになる意匠が細やかな透かし彫りで施されている。
「呪物じゃなさそうだけど?」
六眼で視ても、呪力は感じられない。
「ええ、ただの簪ですよ。悟様が先ほど仰っていた大切なお友達に贈られてはいかがかと思いお持ちしました」
傑に? 改めて簪をしげしげと眺める。女物だろうが、モチーフはよくある花や蝶ではないし、意外と似合うのかもしれない。
「少し、この簪への思い入れを申し上げても宜しいでしょうか」
そう尋ねられた時点で、俺は聞くのを放棄した。ばあやはこうなると話が長い。
「こちらは現当主様が職人に作らせ……奥方様に……ご長男に譲られ……わたくしめも……」
傑は灰原と任務って言ってたな。もう戻ってんのかな。まだだったら七海と晩飯食うか。
「そもそも……の際には簪を贈るのが……代々……」
不意に青春アミーゴのサビが鳴った。傑のアドレスに設定している着うただ。『任務終わった。悟は実家で夕飯?』の文面に、『今から帰る』と返信する。
「わたくし不本意でしたが……とても嬉しくて……息子のようにかわいい……いつかお渡し……」
実家では用事を済ませるだけで飯は食わないと再三言っているのに、家の奴らは毎度懲りずに食事を用意している。今日も何かしらあるだろうから、かっぱらって寮へ持って帰ろう。いつもの量なら硝子も入れて五人分くらいは賄える。
「ですから悟様!」
突然のシャウトに携帯を取り落としそうになった。見ればばあやは目を輝かせ、簪入りの小箱をずいと俺に押しつけてくる。
「家柄などはこの際よいのです。悟様がこの方ならばと心に決めなさることこそ肝要なのです。ばあやはいつでも悟様の味方でございますから」
「ん? ああ」
いつの間に話題が変わったのか? 話が見えないが、聞き返すほどのものでもないだろう。
「じゃ、帰るわ。晩飯持って帰る。あと本片付けといて」
「髪型のレクチャーは宜しいのですか?」
「あ、忘れてた。とっととやって」
雑に催促しても、ばあやはにこにこといやに上機嫌だった。