大河タケル/祝福:タケルが結婚して、タケルのファンが喜んで、誰かが幸せになる話 薄曇りで、私の好きな天気だった。
東北生まれの私は鹿児島の快晴をつらいと思うことがある。眩しすぎて、目が、なんだかとても痛い。気温が高すぎると売り物のケーキの出も悪くなるから、このくらいの曇りの方がありがたい。
今日もショーケースにはケーキを並べている。二時にケーキの受け取りが二件、ひとつはチョコプレートなしでもうひとつはあり、『まさひこ おめでとう』って書くことになっている。お昼の時間帯はケーキ屋は暇だから、十二時くらいにチョコプレートを書いてから今日は休憩を取ろうと決めた。
ケーキ屋で働くようになってから驚いたのが、ケーキ屋にも常連がいるってこと。
毎週、友達とのお茶会でケーキを買うおばさんがいたり、何かにつけケーキを食べる人もいる。常連さんの何人かとはすでに顔見知りになっていて、今日は夕方ごろに滝川さんが来るだろう。
滝川さんは私よりちょっと年上の、ふっくらした感じの女の人だ。ほぼ毎週ケーキを買う滝川さんとおしゃべりをするようになって、いつも眉毛が下がった顔をしているところが気安いから、年上でお客さんの滝川さんにたまにタメ口を使いそうになってしまう。私の兄と滝川さんは同い年だから、なんとなくお姉ちゃんみたいな気持ちなのかもしれない。
兄とは小さい頃にバラバラになってそれ以来だけど、頭の中で兄は毎年ひとつずつ歳を取っている。どこでどんな風に暮らしてるんだろうってたまに思うけど、連絡する方法はないから思うだけでいつも終わる。
ケーキは食べてるかな。
親がいなくて、施設育ちだったからケーキはとびきりのご馳走だった。ケーキ屋で働き始めてしばらくの間は、ケーキを食べることが日常の人が世界にはたくさんいるんだってことにすごく悔しなったこともあったけど、今はそんなこともなくなった。兄も、ケーキとかラーメンとかお寿司みたいなご馳走を、ご馳走じゃなく食べていればいいなって思ってる。
予想通り夕方に滝川さんは来たけど、様子がおかしかった。
「……、もんぶら、……」
眉毛がいつもより下がっていて、眼鏡の奥の目がうるうるしている。顔が赤いから熱でもあるのかと思って「大丈夫ですか?」と訊くと、顔がへにゃっと崩れた。
「……やばいです」
「えー」
大変じゃないですか。
とは言ったもののそんなに心配はしなかった。やばそうではあるけど、同じくらい嬉しそうな顔をしていたから。
「あの、やばくて、聞いてもらってもいいですか……あ、モンブランとプレシャスホワイトで」
「おひとつずつですね」
一瞬だけ店員の顔に戻ってから、私はケーキをそっと引き出す。
プレシャスホワイトはうちの店の一番いいケーキで、見た目はショートケーキだけど店長いわく「素材が違う」らしい。値段もこれだけ飛びぬけて高いものの毎日十五個限定だからか、不思議と毎日売り切れる。滝川さんはいつもはプレシャスホワイトを羨ましそうに見ながら別のケーキを注文するから、確かに今日はいきなりやばい日みたいだ。
「推しが結婚したんですよ」
つぶやく滝川さんが笑顔だったので、私も同じ顔になって「おめでとうございます!」って言った。
リアクションが合ってるか不安だったけど、滝川さんはますます満面の笑顔になったから正解だったっぽい。「そうなんですよお……!」と感極まる滝川さんを見ていると、私まで嬉しくなってくる。
「推しと私同い年で、高二のデビューした時ずっと追いかけてて、幸せになってってずっと思ってたらファン会報きて、結婚って……ホントに嬉しくて……苦労してきた子なんですよ元はボクサーだったけどトラブルあってやめちゃって、アイドルなってからも十年間色々あって、でも幸せになれたんだね! ってなったらもう、もうホントやばくて……!」
滝川さんの話を耳の半分で聞きながら私は慎重にケーキを箱に入れた。倒れないように丁寧に箱に収めて「本日中にお召し上がりください」のシールを貼る。
「じゃ、気を付けて持って行ってくださいね!」
「そうします……やばすぎ」
ふわふわした足取りの滝川さんを見送って、私はショーケースに目をやった。
昼間に結構お客さんが来たから、今日のケーキの売れ行きはいい感じだ。閉店まであと数時間、おそらくほぼ売り切れるだろうと思うと気分が良かった。
「おめでと」
誰もいないから、私の独り言は私だけのもの。
滝川さんの推しの顔も名前も知らないけど、その人に家族が増えたのはいいことだと思って、こっそりお祝いを伝えたかった。
ドアに取り付けた鈴が鳴って、またお客さんが来る。
「いらっしゃいませー」
仕事終わりのサラリーマンっぽい二人組に声をかけて、ケーキを吟味するお客さんの前でほほえみを作る。
お客さんにケーキの説明をしながら、そういえば滝川さんの推しって私の兄と同い年なんだなって思った。