ようやくドラウスとクラージィを対面させることができて、ノースディンは胸を撫でおろした。
二人を引き合わせたのは、当然一族の次期当主に新しい一員を紹介するためだが、なによりドラウスがクラージィに会いたがったからだ。そして、ノースディンにも会ってほしい理由があった。
どこでどうなったのか、クラージィはノースディンの知らぬ間に目覚めてシンヨコに辿り着いて、あの町で吸血鬼としての生を始めた。
あの町のおかげで吸血鬼としての暮らしで躓くようなことはないが、あの町のせいで吸血鬼の知識がたいがい変態になる。
悪魔祓いとしてどれだけ高等吸血鬼とやりあったのかしらないが、吸血鬼の基本能力をどれほど把握しているのか。自分にできることの範囲が人間の感覚から抜けきってないように見える。
そこでドラウスを頼った。ノースディンが直に教えてもいいが、ドラウスならどの分野も高レベルのオールラウンダーだ。
ノースディンの依頼にドラウスはおおいに張り切ってくれた。
クラージィを椅子につかせ、講師よろしくドラウスがあれこれ説明するのを、ノースディンは脇で見守っていた。そして話が変身能力に及んだ時
「このように別の畏怖すべき姿にもなれるのだよ」
高らかに宣って、ドラウスが姿を変える。
何度見ても美しい、月光を弾く白銀の狼。
見るたびに誇らしい気持ちが湧く。
だが、感嘆の視界にあるものを見つけた瞬間、ノースディンは動いていた。
二人の間に割って入って、クラージィを背にする。
間近で向かい合ったドラウスが、狼のままきょとんとしていた。
ノースディンもきっと驚いた顔をしている。自分でもよくわかっていない。
後ろの男はどんな表情をしているだろう。
「ノース?」
自分は何をしているのだ。
誰と対峙している。
誰からかばっている。
長い年月、遊びの対戦はあっても、取り決めなしに敵対するような配置になったことはない。
あるわけがない、相手はドラウスだ。
「寒い」
小さな声が聞こえた方を振り返り、ノースディンはぎょっとした。
クラージィと自分の間に氷の格子が生えている
その氷は決してドラウスには向かっていなかったが、ノースディンは慌てた。
「ドラウス、これは」
ドラウスは怒るはずもなく、驚きを残している表情は気遣わしげな様子すらある。
「竜子公」
そこへクラージィが立ち上がり、格子を避けてノースディンに並びドラウスに声をかけた。
「ノースディンは私から貴方の姿を隠そうとしたのだ。実は、その、私は大きな犬型の獣が苦手で、畏怖に満ちた貴方の姿に驚いてしまった。失礼を許してほしい」
賞賛の言葉に反応したドラウスは、はっとして変身を解こうとするが、クラージィはそれを押しとどめた。
「どうか今しばらくそのままで。もう少ししっかり見せてもらってもかまわないだろうか…?」
「む、もちろんだとも」
ドラウスはお座りの姿勢で胸を張り、そういうことかというような納得の顔をノースディンに向ける。嬉しそうですらある。
そういうことか。そういうことだ。
あの時、狼を前に硬直したクラージィに気付いた瞬間、体が動いていた。
自分の理解が追いつくより速く。
遠い日に助けはしたが守れなかったものを、守ろうとした。
沈んだまなざしで二人を見る。
「畏怖とはこういうことか…不躾な言い方だが、吸い寄せられる」
「うむ、多少なら触れるのを許そう」
……。
おだててるつもりはないようだが、図太い。
そして、狼姿がかわいい扱いされることが多いからといって、ちょっと畏怖られただけでちょろいぞドラウス。
きっと猫の毛並みと比べられてるぞ。
クラージィからこわばりがすっかり抜けている。
気付けば氷は溶けだして、ノースディンの足元を濡らしていた。
一泊させてもらって日没を待ち、また近いうちに教えを請いたいと最後までドラウスを気分良くさせ、クラージィとノースディンはドラウス邸を辞した。
二人になって、確かめたいことがあった。
「お前、実はそんなに犬は怖くないだろう」
まさか、とクラージィは否定する。
「突然だとやはり頭が真っ白になる。かばってくれたことに感謝する」
「む…」
それにしても、とクラージィがノースディンを見つめる。
「お前にとって、私も守るべき対象なのだな」
いつか窓から飛び込んだときのように。
きっと同じ場面を思い起こしている。
最弱の弟子と同じ扱いで、クラージィは侮られたと思っただろうか。
ノースディンはただ口にした。
「当たり前だ」
《おまけ》
「せっかく変身の講義を受けたんだ。飛べるものか小さなものになれないのか」
「昨日の今日では難しい」
「…また乗り換えか。クソッ」
帰り道の三度目の乗換駅で悪態をつき、言葉遣いを窘めるクラージィの視線に、ノースディンは咳ばらいをした。人間が多いのも気に入らない。
次にドラウスのところへ行く前に、念動力で飛ぶことを自分で教えよう。
並んで飛ぶのはきっと悪くない。
特訓の提案を伝えようとして、隣を見ればクラージィの服が地面に落ちた。
「にゃあ」
服の中から鳴き声がした。