文字の読めない印刷屋まんばくんと大人気小説家のみかちの話むかしむかし、とあるところに三条という推理小説家がおりました。
三条の小説は幾重にも折り重なったような綿密なトリックとまるでその場にいるかのような臨場感、そしてそれらが優美な文章で綴られている。
年齢どころか性別すら公開されていない作者のミステリアスさもまた人気に拍車をかけていた。
その人気はその国内外を問わず、翻訳を待てないファンがわざわざ原本を買いに国を越えてくることも。
その話はすぐに王宮にも届き、興味を持った王様は試しに一冊、そしてそのまま眠ることも無く読破するとすぐさま家臣を使い作者を呼び出しました。
呼び出しに応じて現れた一人の男に王様は焦れたように問いました。
「あの小説に続きはあるのだろう?あの後、主人公はどうなるのだ?その話の続きが気になって何も手につかないのだ」
王様に問われた男は頭を上げました
「恐れながら申し上げます。王様、私は三条の代理人であり作者ではありません。」
「なんと!作者はどうした!儂の呼び出しに応じぬとは!!」
王様は寝不足も相まって怒りに打ち震えました。
周りの家臣たちは打ち捨てられるのではないかとヒヤヒヤしながら代理人の男の言葉を待ちました。
男は王様の怒りにも動じす、話を続けます。
「作者の三条は、ただ今執筆中です。」
「そ、それは…まさか……」
「はい。御所望の小説の続編でございます。」
その言葉を聞くと途端に王様の顔に笑みが浮かぶ
「なるほど……不敬とも思ったがそれならば致し方ない。」
「は、寛大な処置を賜り恐縮でございます。」
そしてその男が帰ってから数日後、城下で小説の話題が持ち上がると王様はさっそく家臣に入手を命じました。
ですが、人気の高い三条の新作とあっては瞬く間に売り切れてしまいました。
次の本たちが刷り上がるまで暫しお待ちくださいと言われた王様はやきもきしながら待っていました。
すると、たまたま来ていた貴賓の一人から新作の核心に触れる話を聞いてしまいました。
所謂ネタバレをされてしまった王様は怒りに怒り、三条への支援と共にとある御布令を出しました。
『三条の小説を王の目に触れる前に作者以外の者が読む事を禁ずる』
御布令が出されてから数年が経ち、さらに三条の人気は盤石な物となっていました。
人気が高すぎる為、作者どころかどこの工房で本を刷っているのかすら隠されているような状態でした。
三条の名を知らない者はこの国には居ない
もちろんここに居る国広もその一人だ
「すまん、もう一度言ってくれ」
「ん?ああだから、三条の小説を刷って欲しいんだ」
「………俺の聞き違いでなければ、あの三条か?あの推理小説の?」
「なんだちゃんと聞こえてるんじゃないか。そうだ、あの超大人気小説家三条の推理小説の新作原稿を刷って本にして欲しいんだ。」
目の前の男はどかりと作業部屋の椅子に腰を下ろすので、服どころか髪まで真っ白な男がインクで汚れないかひやりとした。
その髪どころか睫毛まで真っ白な男は鶴丸と言い、昔からの知り合いだ。
この小さな印刷工房が潰れずになんとかかんとかやっていってるのはこの鶴丸のおかげと言っても過言ではない。
そう、小さな工房なのだ。
「鶴丸、あんたが仕事を持ってきてくれるおかげでなんとかうちはやっていけている。だが、そんな大きな仕事を持ってきてもらっても……」
「いいや、それだけじゃない。この仕事には条件があってな、その条件は……君でないと駄目なんだ。」
さっきまでの笑顔を引っ込めて鶴丸が真面目な顔で続ける。
「……御布令が出てから、王様の前に三条の小説を読めるのは作者の三条だけになってしまった。そこで一番困ったのは製本だ。」
「……?読まなければいいんじゃないか?」
「読んでないと証明することが難しいだろ?やった事の証明よりやってない事の証明ほど厄介な事はないな」
そこで国広は首を傾げた
「待て。御布令が出た後も本は出ていたんだろう?」
「もちろん」
「なら、今まで通りそいつに…」
「駄目なんだ……もう……そいつは……」
視線を外し深刻に呟く姿に国広も最悪の想像をする
鶴丸が言いづらそうに口を開く
「……腰がな」
「は?」
「…前任のトメさんは高齢でな、腰がもう持たんから他を探してくれと言われた」
「トメさん」
「トメさん。御歳七十七。」
国広は思わず肺の中の空気を全部追い出すかのように深く息を吐き出すと
じとり、と鶴丸を睨みつける
「そのトメ(七十七歳)と俺が、同じだと……?」
「ああ、同じさ。
------字が読めない」
国広はぴくりと身体を揺らす
鶴丸はけして揶揄うでもなく、至極真面目な顔で話を続ける
「トメさんは老眼が進んでいて、細かい文字が読めなくなっていた。文字が読めなかろうと長年続けた仕事に間違いは無い。だから信頼して頼んでいたが、尋常ではない冊数を一人で作り続けるのはやはり無理があった。」
「……だから、字が読めない俺に…」
思わず下を向いた国広の肩に手を置き、鶴丸は静かに語りかけた
「俺は、君の仕事を人一倍評価しているつもりだ。だからこそ不当な契約内容をふっかけられ儲けの少ないままこき使われている姿に我慢がならなくて口出しをした。」
「……そうだ、字が読めない俺にかわってあんたが契約書を読んでくれたおかげで前よりもずっと生活が良くなった…」
「今回の仕事は確かに今までの物よりはるかに高額な契約になる。生活だってもっと余裕が持てるぞ。君はまだ若い!もっともっと広い世界を知るべきだ!」
「鶴丸………」
身に降りかかる煤やインクを避けるために頭からすっぽりと被った襤褸布の下は身綺麗にする余裕すらなく、邪魔にならない程度に自分で切った髪は不揃い。栄養状態がけして良いとは言えず、着るものだって今着ているものと寝る時に着るものしかない。
それでも、鶴丸が来る前の薪を節約する為に毛布を巻き付けて生活していた頃に比べたらだいぶ良くなったほうだ。
その鶴丸が、俺でないと駄目だと言ってくれる。
おずおずと視線を上げた。
「……俺なんかで、いいのか…?」
「いいや、君がいいんだ、よ!」
にっ、と笑った鶴丸が国広の丸まった背中をバンっと叩いた。
------------
数日もしないうちに鶴丸が原稿に片手にやってきた時も実際に刷ってる時も、きちんと本の形にして納品してもピンと来なかった。
だが、こっそり覗きに行った本屋で自分が刷った本が並べられた瞬間から我先に取り合うように売れていく光景を見てやっとあの本が三条の小説なのだと実感した。