或る科学者の苦悩 殺し合いという彼にとっての『実験』が無い休日。コースティックはシップ内のラボで新薬の研究をしていた。ゲーム参加時のコスチュームではなく、ガスマスクも外し私服に白衣を着た姿は狂気を和らげ、彼を知らぬ者が見れば熱心な科学者そのものだろう。
そんな彼の元を、同じレジェンドである若い男が訪ねた。ゴーグルのみ装着し、トレードマークの一つであるマスクを外した彼が無邪気に笑う。最近のコースティックの悩みの種であるオクタンが挨拶の言葉を掛けてくる前に、博士が先に口を開いた。
「お前が求めているのは『父親』の愛だ。お前は私からそれを得ようとしているに過ぎない」
オクタビオ・シルバという若者に告白されたのは数日前のことだ。私は彼の想いに対し「馬鹿らしい」と鼻で笑い拒絶した。それでもこうやって訪ねて来るのだから、納得していないのだろう。
愛、などというものは幻想だ。私は到底そんな不確かなものは信じられない。子孫を残すためにDNAに組み込まれた本能。これが答えで正体だ。その摂理を同性に向けるなら、何かの代用品だろうと考えられる。もしくは寂しさを紛らわせる為の愚かさ。欲を解消する手段。肌を合わせてひとときの安心感を得て満たされた気になっているだけだ。
何にせよ馬鹿馬鹿しく、私には必要がなく価値も無い。
「そんなんじゃねえよ、……俺はアンタのことちゃんと、」
「口では何とでも言える。私は科学者だ。そんな不確かなものは信じていない。くだらん」
忌々しく吐き捨てる。恋愛感情など寒気すらする。愛は証明できない。
もしあるのだと仮定しても、それを表すのは不可能に近い。無能な人間共は『愛』と睦み合いながら交わり、『愛』など無くとも欲だけで性行出来る。感情や胸の内が正直に言葉として紡がれない生き物だと、よく知っている。欺き、騙し、陥れる汚さや保身。己がそれをよく理解している。
「恋愛ごっこは他所でしろ」
「アンタがいいんだよ」
突き放しても目の前の男は諦めなかった。騒々しい、煩わしい──それが彼に対する印象だ。
「お前に構っているほど暇ではない。無益なやりとりをする趣味もない」
懐いてくる子供を突っぱねる。一体私のどこに、何を気に入って好意を向けてくるのかわからないが、どうせ理想の押し付けだろう。境遇からして私に父親を重ねて見ているに違いなく、うんざりする。
「好きなんだ、アンタのこと」
親子ほど歳の離れた若い男が諦めず呟いた。私は溜息を吐き眉根を寄せる。
「私はお前が好きではない。お前も私を愛してなどいない」
「じゃあ、さ……証明してくれよ博士。俺がアンタのこと『愛してない』って。そしたらきっぱり諦める」
「フン……簡単な事だ、」
言葉が続かず私は口を噤んだ。
「……」
「コースティック」
接近したオクタンが白衣の襟を掴み背伸びをした。密接する体。引き結んだ唇に、あどけない唇が重なる。
ああ、なんということだ……。
無視して立ち去る事もできた。律儀に付き合って、話を聞いてやる必要などなかった。なのに私はそうしなかった。傷つける言葉は幾らでも言えた。息をするように酷い言葉を並べることもできたというのに……。
思考を巡らせる内に触れた熱が遠ざかる。
「……」
いつもはマスクに隠されているオクタンの唇が嬉しそうに笑みを浮かべ、私は非常に後悔した。言い表せない胸の締め付け。見えず、不確かで不安定で脆いそれは、柔らかく温かく──愛は、証明できない。
では彼が私を愛していないと、一体どうやって……?
「コーヒーいれてやろうか?」
「……結構だ」
頭痛を覚えたコースティックはデスク上の空のカップに手を伸ばし、無言のままコーヒーをひとくち飲むフリをした。