未定「で、何だっけ?」
「……お前を殺しに来た」
世間話でもするように若い男が俺に話しかける。銃にサイプレッサーを取り付けながら告げた俺に微塵も怯まず、友人にでも話しかける気軽さだ。
ターゲットが滞在する高級ホテルの最上階。フロアの警備システムも無力化し、部屋の前に配備されていたボディガードも黙らせてある。
「俺のベッドに潜りこみに来たのか? 熱烈なファンだな、アミーゴ」
トレードマークの特殊な形をしたゴーグルもマスクも装着していない姿。いつも後ろに撫でつけてセットしてあるシルバーアッシュの髪は前に垂れ、そのせいか幾分か幼さを感じさせる。赤と黒を基調としたスタイリッシュなデザインの戦闘服ではなく、バスローブに身を包んだ姿は、若いながらも風格を感じさせた。テレビで目にするAPEXゲームでの印象とも、過激なパフォーマンスを披露する動画配信の雰囲気ともかけ離れいて、一瞬別人かと疑った程だ。事前に調べてはいたが、レジェンドの『オクタン』を間近で見るのは初めてで、これが最後になる。
「言い残すことはあるか?」
「なるほどな。アンタは『殺し屋』ってわけだ。にしても素人か? プロならお喋りしてないでとっくに殺してんだろ」
「お前から聞き出したい情報がある」
「下半身の交友関係とかか?」
ゆったりした1人掛けのソファにふんぞり返り、サイドテーブルのテキーラを悠長に煽るこの男は、誰もが知る大企業『シルバ製薬』の御曹司でもある。グレネードで自らの足を吹き飛ばしただけあって、死に対して恐怖心はないらしい。銃を向けられても、みっともなく命乞いをする素振りも、慌てる様子もない。今まで殺してきた奴らとは明らかに違った。
アルコールを飲みながら組んだ義足を組みかえる余裕さ。挑発的とも取れる態度に妙な高揚感を覚える。
「お前も一杯やれよ」
空のグラスに液体が注がれ勧められるが、口を付けるつもりはない。
「毒なんて入ってないぜ?」
命に執着がないのか、ただの馬鹿か。いずれにせよ大した度胸だ。
「怯えないんだな」
「むしろ歓迎だ。退屈過ぎて死にそうだったからな。俺にとって、アンタは天使さ」
「天国に行けると思ってるのか?」
「さあな。何処に連れてってくれる?」
陥れられた俺は名前も捨て姿を変え、シンジケートの悪事を独自に探って来た。汚い仕事にも手を染め、そのうちに辿り着いたシルバ製薬。タイミングよく持ちかけられた依頼は手掛かりを掴むにはうってつけで、俺は殺しついでに情報を吐かせる気でいた。黒幕はこいつの父親だが、一癖も二癖もある男だ。不用意に近づくにはリスクが高く、放蕩息子なら……と思ったが。
ニィッ、と悪巧みする子供のように笑うオクタビオ・シルバにも、たちの悪さがうかがえる。『オクタン』の仮面の下にこんな一面を隠していたのかと驚く。
「アンタ、忠義や正義で動くタイプじゃねぇだろ」
「……」
見透かした態度が気に触るが図星だ。
「そこの引き出しから小切手とペンを取ってくれ」
「交渉でもする気か?」
「まさか? そんなまどろっこしい事するかよ! アンタを口説くのさ」
「……聞くだけ聞いてやる」
拷問し情報を吐かせて殺す計画のはずが、すっかりペースを崩された俺は、気まぐれにこの坊ちゃんの『お遊び』に付き合ってやる事にした。銃を向けたまま近づき、引き出しから取り出した所望の品を手渡す。
「幾らで雇われた? 俺の命の値段は」
俺が金額を呟くと、オクタビオは声を出して笑った。彼にとってその金額が高いのか安いのかはわからないが、心底楽しそうに笑う姿は無邪気な子供のようだ。
「それが俺の値段か! ま、そんなもんだろうよ」
ひとしきり笑ったあと長いため息を吐いて、笑いすぎて滲んだ涙を指で拭う。オクタビオはサラサラとペンを紙に走らせ一枚破り、赤い服の殺し屋に小切手を差し出した。
「犬……いや、ボディガードを探してる。汚い仕事もしてくれる奴を」
オクタビオはテキーラを飲み干して、傍の瓶から空になったグラスへ注ぐ。
「……」
受け取った小切手に書かれた法外な金額に赤い服の男は目を丸くした。
「死んでも自己責任だ。裏切ったら殺す。そのかわり餌は奮発する……どうだ? ちょっとは靡いただろ?」
目が眩む金額だ。今の雇い主に恩も義理も無い。それに情報を探るなら敵の懐に潜り込める、またとないチャンスだ。殺すには惜しい。
至近距離のオクタビオが銃に手を伸ばした。身構えたが奪う気は無いらしく指先でサイプレッサーを撫でられる。
「お断りなら引き金を引け。アンタの答えがどっちでも、俺は楽しめる」
口淫するようにサイプレッサーに手を添え口に咥えたオクタビオは魅力的で興味がわく。死んでも楽しめると言うのが本心かはわからないが、掲示された金額が不服でも、俺は発砲しなかっただろう。さっさと殺さなかったのは俺の私情だが、これも何かの縁かと俺は銃を仕舞った。
撃ち殺さなかったのを承諾と判断したオクタビオが、義足のつま先で殺し屋の足を軽く蹴った。
「契約書は俺だ。跪いてサインしろよ、その柔らかそうな唇でな」
片手をヒラヒラさせ、“跪いてキスしろ”とは、御曹司なのか女王様なのかわからない。高飛車な態度に苛つきはするが、不思議と不快ではなかった。
俺は言われた通りオクタビオ・シルバの前に跪き、乱暴にその手を握った。手の甲に唇を押し当てる。
「なんて呼べばいい?」
「……デビルでいい」
「デビル? 俺は悪魔と契約しちまったってわけだ?」
嬉しそうにはしゃぐオクタビオ。『デビルズ・アドヴォケイト』というのが俺の通り名だが、呼びやすい一部だけを教えた。チラリと視線を上げると、満足気に目を細める若い主人と目が合う。小馬鹿にされているようで癪に触り、無意識に眉間にシワが寄る。床に引き倒して馬乗りになりたくなる生意気さが、嗜虐心を刺激する。
「痛ッ⁉︎」
唇を押し付けた手の甲に歯を立て噛み付いた。振り払われたが、驚いた表情を見せた主人に口の端が吊り上がる。
「サインしたぞ」
やっと見せたオクタビオの動揺に興奮さえした。主導権を握れたと思ったが……。
「ん、……契約成立だな」
歯型から滲む赤い血を、オクタビオはデビルに見せつけるように舌を這わせ舐めた。