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    kitanomado

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    kitanomado

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    3914の話

    やがて信号は変わりメトロノームみたいなウインカーの音が、規則正しいリズムを刻んで車内に響く。
    交差点の信号は赤。ここの信号は青に変わるまでの時間が、他よりも少しだけ長いことを聡実は知っている。聡実は、運転席でハンドルを握る狂児の横顔をそっと盗み見た。

    カラオケ天国から聡実の家の近くまで、信号は十一箇所ある。これは、狂児と出会ってから数えた。信号が変わるまでの時間が長いとか短いとか、きっと交通量によるのだろうけど、場所によって様々だ。狂児の助手席に乗るまで、そんなの気にしたこともなかった。
    たまに、示し合わせたかのように先々の交差点が連続で青に点灯し、なんの滞りもなく車が進んでいくこともある。そんな時はスムーズに、あっという間に家の近くまでついてしまう。
    目的地についてしまえば、体にしっかりとフィットしているシートベルトを外し、重たい助手席の扉を開けて、柔らかく、座り心地の良い座席から腰を上げ、スムーズに車から降りなければならない。
    別に、狂児がそんな風に急かしたことは一度だってない。ないけれど、ずっと座っている理由も見つからない。
    まさか「まだ帰りたくない」なんて、聡実の口から到底言える言葉でもなく。かと言って「ここにいたい」なんて、とてもじゃないけど言える訳がない。
    たまに狂児が「聡実くんちょいそこのコンビニよってええ?」と言うことがある。そういう時は、ちょっとだけ嬉しい。狂児には絶対に言わないけど。あと道路工事で迂回して少しだけ遠回りになったとか、そんな時。
    狂児と車内でいつも話すのは、本当にくだらない話ばかりだ。
    今日の給食は?授業なにやったん?聡実くんの学校も七不思議とかあるん?こないだあのテレビ見た?夏休みどっか行くん?聡実くんお兄ちゃんと仲ええの?とか。それから狂児自身のちょっとしたこと。
    全部他愛のない話。だけど、それだけで時間はあっという間に過ぎてしまう。
    狂児の助手席に座っている時間は、聡実にとっては長いようで短い。

    手前の信号は青。
    あの信号、はよ赤になったらええのにな。そしたらもうちょっとおられる時間、長なるのに。
    こんなの、狂児には絶対に言えないけど。
    聡実の願いが通じたのか、たまたまの偶然なのか、交差点に差し掛かる寸前で信号は黄色から赤に変わった。車は緩やかに減速し、停車位置に滑らかに止まる。狂児は、信号が変わりそうになるからと慌てて突っ込むようなことは絶対にしない。他の車線の車がなんなく交差点を突き進むのを横目で見ながら、狂児の車は静かに停止する。
    青は進め。赤は止まれ。こんなの小学生だって知ってる。
    だけど、やくざがこんな安全運転するなんて、なんやイメージと違うて変な感じ。
    「狂児さんて安全運転ですよね。やくざやのに」そう聞いたこともある。そうしたら狂児は「つまらんことで切符きられたりしたないからな。お仕事柄面倒なのよ」と笑って答えた。
    それは、きっとそうなんだろうけど。だけど、自分を降ろした後、勢いよく発進する狂児の車を見送る度に、たぶん助手席に自分を乗せているからなんだろうな、と思う。自惚れみたいだけど、他に理由が見つからない。
    最初に出会った時。市民ホールの駐車場で傘をさしながら狂児は「ボク車酔いとかせん?大丈夫?」と言って助手席のドアを開けた。
    狂児は、雑なのに時々とんでもなく丁寧で、几帳面で、何より甘い。
    カラオケ天国でのレッスンのあと。狂児は会計を済ませると、聡実を振り返り「聡実くんちょいそこ、受付んとこの椅子で待っててや。車冷やしてくるわ」いつもそう言って先に店を出ようとする。
    「僕も行きますよ」聡実も一緒に出ようとするのだが、狂児は聡実の体をやんわりと押し戻す。
    「あかんあかん。あんなん乗れたもんやないわ。聡実くん乗った瞬間茹だってまうで。ええからここで待ってなさい。すぐ戻ってくるから」
    そして聡実を受付前にあるソファーへと促す。聡実は仕方なくそこに座り、膝上に乗せた鞄を抱え、狂児が店外へ出て車に向かって歩いていくのを少し汚れて曇ったカラオケ天国の窓ガラス越しに眺める。夕方の一時間だけでも夏の強い日差しを浴びた、狂児の真っ黒な車の内部がひどい灼熱地獄なのは容易に想像がつく。
    だけど、別にそこまでせんでもええのに。
    エンジンがかかり、息を吹き返したように狂児の愛車はかすかに震える。
    聡実のために、快適な室温にするために、あの気質でない男はわざわざひとり暑い外に出ていく。なんでそこまで。
    そう思うけど、同時に助手席に乗る人間にはいつもああやるんやろか。とも思う。助手席に乗る人間は狂児にとって「特別」だから。だから、それは自分ひとりだけではない。聡実は無意識に下唇を噛んだ。
    入店のチャイムが鳴ると同時に、うつむいた聡実の視界に狂児黒く艶光りする革靴が入る。
    「聡実くんお待たせ〜。おいで」
    店の外は、息苦しくなるくらい、湿度の高い空気が立ち込めている。
    助手席の扉を手早く開けると、中から冷たい空気がこぼれでる。座席に腰を下ろすとほっと息をついた。ほんの五分ちょっと。でも、その五分ちょっとで狂児の車は居心地のいい温度になる。
    「……涼し」
    聡実がそう呟くと狂児は笑った。
    「ほんま毎日暑いなぁ。聡実くん通学んときとか、あと体育気ぃつけなあかんで。倒れてまうわ」
    そう言って、車は静かに発進する。
    カーブにはゆっくりと進入します。安全確認ができたら、すばやく交差点を抜けることが大事です。歩行者の青信号が点滅して、赤に変わるのを確認したら、道路側の信号も間もなく変わります。手前で減速して停止線で止まれるようにしましょう。
    正実が、昔免許を取るために読んでいた運転の教本みたいな、お手本みたいな、そんな運転。
    甘やかしや。やくざのくせに。
    助手席のドアを開けると車内にぬるい空気が入り込む。昼間の熱が残るアスファルトに、聡実は足を降ろす。冷えた体に夕方の熱気がまとわりつくと、現実に引き戻されたような気分になる。
    涼しさだけじゃなく、狂児の車内が恋しくなった。あそこ、戻れたらええのにな。
    助手席の窓が下がり、狂児が顔を覗かせた。
    「ほな聡実くん、また金曜日よろしくな。気ぃつけて帰りや」
    「はい」
    夕焼けのなか、狂児の車は勢いよく発進していった。金曜日までの間にあるのは水曜日と木曜日。たった二日間が、今の聡実にはとんでもなく長い。


    さらりと髪を撫でられる感触。それからとん、と肩を叩かれた。
    「聡実くん、お家ついたよ」
    「……え、」
    窓に持たれていた頭を持ち上げ、隣の狂児を見る。車はいつの間にか停止していた。
    「寝てた……」
    「ははは、聡実くんよう寝てたなぁ。カラオケん時も眠そうやったからな」
    「起こしてくれたらよかったのに」
    笑う狂児の声を聞きながら、聡実は少し不満げに言い、ずり落ちていたメガネをかけ直す。窓の外を見ると、いつも聡実が降りる団地の手前の道だった。
    アホやな。なんで寝てもうたんやろ、もったいな。体育、プールやったせいや。金曜日の五時間目が体育とかほんま無理やん。聡実は、はぁとため息をついた。
    涼しい車内と座り心地のいい椅子。それから程よい振動と狂児の声。それら全部がプールのあとの疲れた体を眠りに落とした。
    メトロノームみたいなハザードの音が、カチカチカチと車内に響く。
    本当はもっとぐずぐずしていたいけど、それもできない。聡実はシートベルトを外した。
    「聡実くんお疲れやな。中学生忙しいもんなあ」
    「そんなこと、ないですけど」
    「おじさんに付き合うてくれてありがとね」
    聡実は外したシートベルトを握り締めた。
    「狂児さんは、」
    「うん?」
    「楽しいんですか。僕といて」
    言ってからすぐに後悔する。なんやねんこのアホみたいな質問。
    楽しい楽しくないなんて、きっと狂児には関係ない。だって狂児は歌がうまくなれればええんやから。そのために、たまたま僕が選ばれただけで、助手席の自分に甘やかしなのも僕が中学生で、子どもだから。たった、それだけのこと。僕だけが「特別」なんて、そんなのある訳ない。一人で浮かれて馬鹿みたいだ。
    カチカチカチカチ。メトロノームみたいなハザードの音だけが車内に響く。
    聡実は気まずくなって、無言のままシートベルトを手から離した。しゅるとベルトが鋭い音を立てて吸い込まれる。
    「聡実くん」
    耳をくすぐる狂児の低い声。
    「俺なぁ、実は面食いやねん」
    「……は?」
    顔をあげると、口の端を上げた狂児と目が合う。
    「なんの話ですか」
    「せっかくお歌教えてもらうなら綺麗な子がええのよ。綺麗で、お歌が上手ではっきり物言うて、ほんで沢山飯食う子がええし、お歌のメモ作ってくれるような優しい子がええのよ」
    「……なに、それ」
    やっと、それだけいう。
    「聡実くん見た瞬間、あの子俺の助手席乗せたいわ〜思うてん」
    あの日、助手席のドアを開けた狂児のことを思い出す。
    「ほんまは週五くらいで会いたいねんけどな」
    「……やくざて暇なんですか」
    「まあ中学生よりかは暇かもなあ」
    「嘘つけ」
    カチカチカチという音が鼓動と重なる。なんやねんこれ。ハザードついててよかった。狂児にまで音が聞こえそう。そんなこと、ある訳ないけど、それくらい心臓がカチカチカチと鳴っている。
    「聡実くんは楽しいん?おじさんといて」
    青は進め。赤はとまれ。こんなの小学生だって知ってる。赤ならとまるべきだ。
    「……嫌やったら、こんな付き合ってません」
    「そらよかった」
    「警察、とっくに呼んでる。誘拐されたし」
    「ははは、そら勘弁してほしいわ」
    「こんなん、暇つぶし、やし」
    可愛げないな、自分。ほんま。仕方ない。
    「聡実くんの暇つぶしに役立ってるなら光栄やわ」
    狂児はシフトレバーを引いた。
    「聡実くんシートベルトし。暇つぶしついでにそこいらへんもう一周だけおじさんに付き合うてよ。もうちょいドライブしよ。お夕飯までには帰すから」
    「どこ行くんですか」
    「俺アイス食べたなっちゃった。あそこ、角んところに31あったやろ。聡実くん31なに味が好き〜?」
    聡実はシートベルトを手早くもう一度はめる。車は静かに発進した。
    「狂児さんさっきカラオケでパフェ食べてたやん」
    「食べたけど、暑いねんもん。冷たいもん食べたいやん。俺クッキーアンドクリームにしよかな〜。聡実くん何段にしてももええで」
    信号は赤に変わる。
    「聡実くんがお兄ちゃんなったらどこでも連れてくんやけどな」
    「どこでもって、どこです」
    「どこでもよ。時間気にせんと聡実くんが行きたいとこどこでも連れてくし。聡実くんどっか行ってみたいとこないの。ディズニーとか」
    「今度秋に修学旅行で行きます」
    「あらそうなん。楽しみやな」
    「行きますけど、……狂児さんが行きたいなら付き合ってあげても、ええです」
    「ほな聡実くんお兄ちゃんなったら一緒に行こ。耳つけよ」
    「それはイヤや」
    「なんでぇ〜ええやん。聡実くんミッキーつけてええから」
    「なんでやねん」
    ここの信号は、長いところ。
    「聡実くん考えといて。行きたいとこ」
    「ほんとに、どこでもええんですか」
    「どこでもええよ、聡実くんとなら。だからそれまでおじさんに付き合うてな」
    「暇つぶしですから。ええですよ」

    大人になったら。大人になれば、信号の長さなんて気にしないで、狂児とおられるのに。あと何年かかんねやろ。次のカラオケレッスンを待つよりも、遥かに長い。
    だけれど、暇つぶしに狂児との行き先を考えるのも悪くはない。
    ウインカーの音がメトロノームみたいに響く。
    信号が赤から青に変わると、車は緩やかに交差点を曲がった。
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