Holding Hands ランチタイムに賑わう学食。
二階のカフェスペースを含め吹き抜けの空間は解放感があり、例え満席になっても窮屈さは感じられない。天窓を含め、広く取られた窓からは広いキャンパスに広がる植生を眺める事が出来、モラトリアムの最中とはいえ日々蓄積されていく疲労を癒すのに一役も二役も担っていた。
広々とした、居心地の良い食堂。
一番奥、勝手口の方が近い位置にある四人掛けのテーブルに腰掛ける、目を引く髪色の二人組。そして、その席を目掛けて一直線に向かう新たな派手髪の二人組が居る。
「杏寿郎!」
「素山か、奇遇だな。」
「珍しいな、お前が学食に来るなんて。弁当はどうした?」
「おいおい、相変わらず煉󠄁獄以外見えてねえようで目出度い奴だな。」
杏寿郎と呼びかける金髪の学生の左隣へ断りもなく腰を下ろすのは、鮮やかな桃色の髪を携えた素山猗窩座だ。先客である宇髄天元の嫌味を多分に含んだ小言も聞こえていないのか、あるいは聞こえていても気にしていないのか、煉獄の瞳を覗き見るようにうっとりと熱を孕んだ視線を向けるだけで返事の一つもない。
「素山と謝花も、これから昼食か?」
「おー、…。」
素山に遅れて残りの空席に腰を落ち着けた謝花妓夫太郎は、斜向かいから真っ直ぐに向けられる眩い程の煉獄の視線に、普段から狭い眉間の幅を更に近付ける。ただ名前を呼ばれただけだと言うのに、真向かいに座る学友の視線が痛いほど突き刺さる。長い睫毛に縁取られた鋭い視線から逃れるように顔を逸らせば、応でも否でもない、返事にもなっていない音で返す。
賑やかな学食内でも、きっと最も賑やかで彩り豊かなテーブルは、あまり穏やかではない雰囲気で彩られていた。
テーブルを挟んで向かい合う、淀んだような重たい空気をものとせず、アニメやコミックかのように積み上げられた白米を一口、一口休みなく口元まで運ぶ煉獄を余所に、隠す気もない敵意と警戒心、ほんの少しの嫉妬心を惜しげもなく晒す素山の姿と、敢えて焚き付けて戯れる宇髄の二人は学食テーブルの下で互いの足を爪先で弾くように蹴り合う攻防を繰り広げていた。細やかなじゃれ合いは、さながら水面下のキャットファイト、本日のファイトはサンダル履きの宇髄が少しだけ分が悪い。
「食事が済んだら退いたらどうだ?お前がいると嵩張って仕方がないだろう。」
「煉󠄁獄ぅ、犬の躾が悪いと飼い主の評判が落ちるぜ。」
「こら宇髄、あまり煽るな!素山も、また出禁になるぞ。」
「タヌキ。」
「おい!俺は犬でも狸でもない!」
「違えェ…ほら、外。」
アイスコーヒーのストローを噛み潰しながら、大人気ないやり取りを傍観していた謝花が、その細指で窓の外の景色を指し示す。
窓を背にしていた煉獄と素山がその指の先から伸びる見えない矢印を辿って振り向くと、深く茂る程はないものの、心地よい木陰を雑木林の中、ふくふくと丸いフォルムをした野生動物が顔を覗かせている。
小さな耳、丸いフォルムの顔の割りに目や鼻のパーツはその中央に納まっているため余計に全身を覆う柔らかそうな毛質が際立つ。ガラス越しとはいえ、色とりどりの八つの目に見詰められた狸が、木陰の中に潜む姿は警戒心からというよりも、人見知りの子どもが恥ずかしそうに親の背後に隠れる様子に似ていた。
「タヌキだ!」
「まるまるしてる…かわいらしい!」
「見れば見るほど間抜けな顔だ。」
「猫よりは大きいな…あ!こっちに気が付いたんじゃないか?」
突然現れた可愛い訪問客を前に、大きな子猫の喧嘩は一時休戦。煉獄の昼食もお新香とお茶を残して一旦箸を置き、金髪と桃髪の二人組がガラスの前にしゃがみ込み狸観察へと興じている。
比較的人間の生活圏内で生息している、声をあげるほどの珍獣でもない野生動物にはしゃぐ級友の背を眺めながら、宇髄と謝花の二人は静かに氷の溶けだしたアイスコーヒーを啜る。
テーブルの下、スリッパを爪先に引っ掻けた長い脚が組まれている。向かい合った相手と密かに蹴り合いを繰り広げていたその足先に、左隣からそっと靴が触れた。不意に当たってしまったという訳ではなく、明確に自分の爪先を狙って軽く触れさせられた足先に気が付いた宇髄が、ガラスに張り付く勢いの二人の背中へ顔を向けたまま、視線だけを隣席へ向ける。薄い唇を合わせながらストローを噛んだままの隣人と、視線が交じり合うことはない。
スリッパを脱ぎ落とし、裸足の爪先でスニーカーの靴紐を踏む。そのまま足先を上げて、ゆったりと広い裾の中に忍び込む。薄手の靴下に触れ、更に奥へ。作業着を兼ねた裾を僅かに捲り上げたところで細やかな悪戯を制される。
視線は眩しい程の景色と、その前できらきらと無垢な瞳を輝かせ飽きずに動物へ手を振っている級友に向けたまま。テーブルの下にさげた手を重ね、互い違いに塗られた色違いのマニキュアを、まるで指先から色を感じているように丁寧に撫でる。
「あ、逃げた。」
「追うか、杏寿郎。」
「おい、午後間に合わなくなるぞ。」
「お前爪長いな。切っておけよ。」
「午後、実習棟だったか、宇髄!」
長い髪を揺らして振り返る煉獄の視線を合図に、絡めた指が解けていく。
穏やかな日差しの中、木陰を揺らす訪問者を見送ると再び賑やかで色鮮やかなランチタイムが戻ってくる。