「無防備な顔しちゃってまあ……」
規則正しい控えめな寝息がテレビの音に紛れて聞こえる。
はざまさんと二人でうちで夕飯を食べてから、次のレコーディングについてとか歌番組の収録についてだとか、仕事の話を取りとめもなくしていたけれど、そろそろいい時間だし……とテーブルを片付けて洗い物を済ませて戻ってきたら、はざまさんは綺麗になったテーブルに突っ伏してすでに夢の中だった。
疲れが溜まっていたのか、うちに来て気が抜けたのか。
まだ九時半を少し過ぎた時間だ。帰るにはまだ余裕がある。起こそうかそれとももう少し休ませてあげようか迷って、しばらくそのままにする事にした。
ボリュームを下げたテレビでは、来日中の海外のアーティストがピアノの弾き語りで新曲を披露していた。夜のニュース番組にゲストとして呼ばれたようだ。
『僕のリードについて来て、君に夢中なんだ、僕のものになってよ』というストレートなラブソングの歌詞が、流れるようなピアノの旋律と相まって切なく聴こえた。
テレビの中の彼は、きっと想い人に向けてこの歌詞を書いたんだろう。
想いの先がたとえ望み通りの結果にならなくても、こんな風に歌に想いを込めたらいつか昇華できるんだろうか。
テレビ画面上の日本語訳を目で追いながらつい考えてしまうのは、うちで今すやすやと気持ち良さそうに寝ている人のことだった。
テレビの中のラブソングが終わり、ニュース番組もエンディングに入った。
俺のセンチメンタルなひとときも終わりの時間だ。
はざまさん起きて、と囁く。でも、これくらいじゃ起きない事は知っている。
「はざまさん」
もう一度耳元で囁く。形の良い耳が目の前にある。このままぱくっと食いつきたい衝動が、胸の奥からジワリと込み上げてくる。
そんな無防備な姿晒してたらダメだよはざまさん。
ここはあんたが思ってるような安息の場所じゃないよ。
だって俺は……。
ぐっと気持ちを押し込めて唇を引き結んだら、はざまさんの耳の端っこに軽く唇が触れてしまった。手や腕以外での初めての接触だ。唇をこんなにはざまさんの体に近づけるなんて、今までした事はなかった。頭の中で考えた事なら、何度もあるけども。
偶然とはいえ、唇が触れた事ではざまさんに近づきすぎていることに気付けた。
ニュース番組のエンディングも終わり、CMに切り替わっている。そろそろ十時だ。
「はざまさ~ん、起きてください。もう十時になるよ」
腕をぽんぽん、と軽く叩いて声を掛ける。
「む……、」
目を瞑ったまま、はざまさんはもぞもぞと動いて顔の向きをこちらに変えた。
「……耳以外には、しないのか」
「え?」
何を言っているのか一瞬わからなかった。
寝言かとも思ったが、一瞬の後に言葉の意味がわかった時には、はざまさんの両目はしっかり開いていた。
今まで気持ち良く寝てた人間の寝起きとは思えない程にぱっちりと。
ゆっくり顔を上げてから眼鏡をかけて、改めてじっと俺を見つめてくる瞳には欠片も眠気は感じられない。
「し……しても、いいんですか」
喉の奥から捻り出した声は、自分でもわかるくらいに緊張で震えていた。