take a picture on my mind【オル相】 ホームパーティーって憧れるのよねえ、と職員室でミッドナイトが溜息を吐いた。それを聞いたオールマイトが明るく声を掛ける。
「ウチでやるかい?たくさん食料を送ってもらってね。お肉とかお魚とか……冷凍庫にも限度があるから食べて貰えると助かるけど、どうだい?」
「オールマイトのお宅で?それは有難いお申し出だけどご迷惑じゃないかしら」
ミッドナイトにもこれでいて一応社会人としての礼儀はあるから、おそらく突進して行きそうな前のめりの気持ちは一旦遠慮して見せつつ前向きな意思を伝えている。
「頂き物を傷ませて捨ててしまうよりは素敵な時間を過ごせると思わないかい?ランチラッシュには及ばないけど私も精一杯腕によりをかけて料理を振る舞うよ」
「ならお誘い喜んでお受けするわ!明日の夜でいいかしら、ねえ、イレイザー?」
俺の真後ろで行われていた会話に突然引き込まれ、俺は椅子を軋ませて真顔で体を捻って二人を見上げた。
「……タダメシなら有難く頂きますが」
「相澤くんも来てくれるの?嬉しいな!あ、マイク、明日の夜って空いてる?」
オールマイトは職員室に入って来たマイクを見つけて手を挙げて声を掛け俺らからとことこと遠ざかっていく。
「イレイザー、難易度SSRのミッションよ。潜入捜査のお時間よ」
ミッドナイトは俺を後ろからスリーパーホールドするように見せかけて顔を近付けて耳打ちした。ミッション内容を聞く前に二の腕をタップするもギブを許して貰えない。
「興味ありません」
「前に聞いたのよ。オールマイト、寝室に好きな人の写真飾ってるんですって」
「……ミッドナイトさん、俺は」
「あの人のことは好きですが別に付き合いたいとか考えてないんで、なんて負け犬の言うことよ」
覚えていないが俺が言いそうなそれは多分この前の飲み会で潰された後に口走ったんだろう。オールマイトへの片思いがバレてからというもの、明らかにオモチャにされている感があるがこう見えて常識はある人だ、勝手にオールマイトに俺の思いをバラすなんてことはしない。
しかし、掻き回そうとはする。
「楽しみねぇ。オールマイトのし・ん・し・つ」
「覗きませんよ。超弩級のプライベートに踏み込めるだけ俺は面の皮厚くないんで」
「知りたくないの?オールマイトの好きな人」
「……知りたくないですね」
そもそも俺はオールマイト本人から好きな人がいるという話すら聞いてない。全てはミッドナイトからの又聞きだ。そしてもしオールマイトの好きな人が(ミッドナイトはオールマイトの片思いなんですってとうっとりしながら言っていた)俺の知ってる人だったなら、俺はその人にもオールマイトにも何も知らなかった頃のように接することはできなくなりそうだと仮定できるからこそ知りたくない。
ミッドナイトは俺の思いを知ってか知らずか、明日楽しみねぇ、としみじみと繰り返しては職員室のあちこちで誘いをかけているオールマイトの方へ近寄って行った。
メールが届いた住所は地域でも有数の高層マンションの最上階だ。別の意味でオールマイトの居宅としてわかりやすいのはセキュリティ的にどうなんだろうかと考えながら、手ぶらで行くのもなと途中のケーキ屋で適当によくわからない横文字の名前のケーキを買った。職員室で盛り上がっていたホームパーティーのあれそれを計画する輪には加わらなかった俺は結局何人来るか聞いていなかったので個数は適当にした。余ったらオールマイトが明日食べれば良いだろう。
開始時間は夕食には早い、午後四時。
エントランスでオートロックを解除して貰い、揺れの少ない高速エレベーターで遥か高みへ連れて行かれる。俺を出迎えたオールマイトはベージュのサマーニットの上に黒のエプロンをしていた。
「お招きありがとうございます。これ、ケーキです」
「わ、ありがとう!皆もう来てるよ」
「お邪魔します」
靴を脱いでオールマイトの家に足を踏み入れた。他人の家の匂いがする。不快ではない。玄関から真っ直ぐに伸びた廊下の脇には洗面所とトイレのドアがある。
そこで手を洗って、と示されたドアを開ければ俺のアパートの部屋が入るとは言い過ぎだが馬鹿でかいフローリングに洗面台とドラム式洗濯機が置いてある。その奥にはすりガラスの横開きドアがあったので、多分この先は風呂なんだろう。
オールマイトがここで毎日シャワーを浴びているのか、とあの人からはあまり想像のできない滲み出る生活感に無意識にのうちに思いを馳せていると、相澤くん?とドアの隙間から覗き込まれた。
「何かあった?」
「いえ。すみません。すぐ行きます」
蓋の閉じた洗濯機の横にある白い籠にはくしゃくしゃに丸められたバスタオルが入っている。おそらく使用済みのそれを俺はしばし眺め、後ろ髪を引く何かを見ないようにしてさっさと手を洗ってリビングへ向かった。
既に酒を入れた面々は俺にも逃げる暇なくコップを持たせ赤ワインをどぼどぼと注いでくる。好きな男の家に来てそんな飲めるかと顔を強張らせる俺に、目を下向きの三日月のように撓めたミッドナイトが見ている。
「……何か」
「これ、美味しいわよ」
大皿に切り込みを入れられた、野菜のパイのような何かをミッドナイトがしきりに勧めてくる。それ以外にもテーブルの上をぎゅうぎゅうに占める皿には美味そうな名前もわからない料理がたくさんあって、俺はタダメシを食らうという本来の目的に意識をシフトして野菜のパイ的なものを大きく口を開けて食べた。
窓から見える景色がすっかりと夜一色になって。
そろそろお開きにしましょうか、とミッドナイトが言って。後片付けを始める会話を聞きながら俺は。
(……俺は?)
目を開けた。
暗闇の中にいた。
記憶が繋がらず、息を潜めて周囲を窺う。
人の気配はない。自分の心臓の音がうるさい。俺は自分の身を弄り、ポケットの上からスマホがそこに存在しているのを確かめてからそっと取り出した。タップすれば眩しいくらいの光が放たれる。
「……二十三時……?」
パーティーをお開きにしようという話が出たのは何時だ?何故静かで、ここは一体、何処だ?
俺はスマホのライトを点けて周囲を照らした。
身じろぎをすれば下の方からぎしりと音がする。
ベッドだった。
俺は今、ベッドに寝ている。
さっと体に熱が差す。
オールマイトの家の匂いがする、ベッド。
ミッドナイトの甘言が蘇る。
『オールマイトって寝室に好きな人の写真飾ってるんですって』
飾ると言うからにはすぐ目の届くところ。つまりはベッドサイドかヘッドボードの辺りだろう。
ライトを向けて。振り返れば。そこに、答えが。
やかましかった心臓が更に早鐘を打った。
知りたくないとあれほど願ったのに、辿り着けるはずもない難関だった答えがそこにあるとわかった瞬間にどうしようもなく振り向きたい。
見たら、失恋が確定するのに。
いや今だってオールマイトが俺を好きになる可能性はゼロじゃないにしてもほぼ確定しているようなものだけれど、かもしれないとそうじゃないは天と地ほどの開きがある。
「……ッ」
知ろう。知れば、踏ん切りが付く。諦められる。
俺はベッドの上を照らしていたスマホをそろそろと持ち上げ、歯を食い縛って振り向いた。
「あれ?起きた?」
声と共に部屋のドアが開き、オールマイトが部屋の明かりをつける。
ベッドの上で不自然に体を捻って強張った顔をした俺をオールマイトは不思議そうに見ていた。
「まだ具合悪い?皆もう帰っちゃったけど君は泊まって行きなね」
既に確定事項になっているらしい宿泊は横に置いても、俺はいつ具合を悪くしたと言うのか。
「ワインの飲み過ぎってミッドナイトくん言ってたけど。大丈夫?吐き気は?」
ベッドの横にとことこと寄って来てオールマイトは腰を下ろした。俺の顔を覗き込んで顔色やその他を確認している。前髪を持ち上げて額に大きな手のひらが触れた瞬間には、何をされているのかわからなくて一気に顔が熱くなった。
「あれ。赤いね。熱かな?」
「……まだ酔ってるんだと思います。すみません、ご迷惑を」
「いいのいいの。気にしないで、ここゲストルームだから。君が第一号のお客様さ。ごゆっくりおくつろぎください」
お水持って来るね、と言い残してオールマイトは部屋から出て行った。
「……ゲストルーム」
そりゃそうだ。こんなに馬鹿でかいマンションなら部屋数だってたくさんあるだろうから、眠った酔客をわざわざ自分の寝室に寝かせたりはしないだろう。
さっきまでの緊張と覚悟が一気に弛緩して、俺はずるずるとベッドの上に大の字で倒れた。
スマホが震える。
ミッドナイトからのメッセージだった。
『眠り香の効き目、そろそろ切れたかしら?SSRミッションの成功を祈るわ』
最後にキスマークが付いていた。
「……残念ながら失敗です」
通りで記憶が途切れているわけだ。俺はミッドナイトの個性によってオールマイトのマンションでのひとり延長戦を余儀無くされ、敢えなく惨敗したということらしい。
水の前にトイレに行きたくなってもう一度体を起こした。酔い自体はそこまでてもなく普通に歩けるのでリビングまで戻るとオールマイトが冷蔵庫の前で何かをやっている。
「どうしました?」
「あれ相澤くん。起きて大丈夫なのかい」
「トイレ借ります」
「ああ、どうぞ」
用を足して戻って来ると、オールマイトは俺が買って来たケーキの箱をキッチンに出して蓋を開けて覗き込んでいる。
「……まずかったですか?」
ホームパーティーというものに招かれたことがないから何を持っていけばいいかわからず、しかし人数分には足りていたであろうケーキの箱の中は俺が買って来た時のまま手付かずで残っていた。
「出すのを忘れちゃって」
「……食いますよ」
「大丈夫?」
「酔い覚めたんで」
じゃあコーヒー淹れるね、とオールマイトは俺にケーキの箱を手渡すとリビングへ促した。取り皿とフォーク、甘いであろうケーキを見越して二人ともコーヒーはブラック。まさか深夜にオールマイトの家でケーキを食べる羽目になるとは。
向かい合って席に着き、オールマイトは艶めいたチョコレート、俺はオーソドックスなショートケーキを選ぶ。オールマイトの胃袋にも限りはあるだろうし、食べられる限りは食べて帰ろう。そう心に決めて俺は味わう行為を二の次にしてケーキをがつがつと貪り食った。
「料理、足りなかった?」
「いえ。生ものですし、余してもなと。持って来たの俺ですし」
「私が皆に出すのを忘れたせいだからね。こんなに美味しいもの、勿体無い」
フルーツの乗ったタルトもモンブランもチーズケーキも食べたところで流石に胸焼けがしそうだったので止めた。残りはシュークリームとプリンだ。これくらいなら明日のオールマイトでも大丈夫だろうと判断して口の中に残った甘みをコーヒーで流し込む。
「ご馳走様でした。帰ります」
「えっ。それは困る」
「……何故?」
オールマイトのプライベートな空間に二人きりは錯覚を招く。ずっといたい気持ちはあるが俺の精神の安寧のためにも此処から早く去った方がいい。なのにオールマイトは俺の気も知らないでそんなことを言って眉を下げた。
「だって、明日の朝ごはん君と食べようと思ってもう仕込んじゃったし……だめ?」
小首を傾げて俺の様子を窺う潤んだ眼差しの天然のあざとさに俺は奥歯を噛み締めて表情がどうにかなってしまいそうなのを堪えた。多分傍目には怒っているように見えているとしても。
「だめ、じゃあ、ねえ、です……けど」
帰ろうとした気持ちが瓦解する。
好きな男の学校とも現場とも違う気配を纏ったオフの仕草の破壊力はすごい。
新しい歯ブラシこれ使って。あとパジャマ代わりにこれ着てね、とオールマイトは手際良く俺をもてなす。
あれよあれよと寝る支度は整って、さっきのゲストルームに戻るだけになった俺はリビングから玄関とは別に伸びる廊下の前で複数のドアを眺めた。
間違ったふりでオールマイトの寝室のドアを開ければ、さっきの答えに辿り着けるだろうか。
でも流石にそれは気が引ける。潜入捜査には甘えも情けも不要だが、人として大事な部分を捨ててまで手に入れるべき情報じゃない。
「どうしたの。難しい顔して」
「いえ。あなたの寝室に興味があったので」
「わお。相澤くん大胆」
「……冗談ですよ」
「一緒に寝る?」
「俺が?あなたと?」
「ベッド大きいよ。見る?」
俺が言葉を失ったのをオールマイトは遠慮と捉えたのか、こっちだよ、とドアを開けてくれた。
明かりが灯り、部屋の全てを照らす。
鎮座した馬鹿でかいベッドにドヤ顔をするオールマイトの横で、俺は枕元のライトや置かれた本の類を目を血走らせて探った。
それらしき写真立ては、ない。
「ね?二人で寝ても大丈夫だろ?」
「……そうですね」
「さっきからきょろきょろしてどうしたの?」
「オールマイトの寝室なんて、俺なんか入れていい場所じゃないでしょう」
「……構わないよ」
ふと、気配が変わる。それはオールマイトの声色が変わったせいだと気付き、真横を見上げた俺の視界がオールマイトでいっぱいになる。よろめいた俺の背はすぐ後ろの壁に当たった。
「オールマイト、さん?」
「何を探しに来たんだい、探偵くん」
にい、と笑ったオールマイトとその言い回し。
俺は何かの策略に引っ掛かったのか?と自問して凍りついた。
ミッドナイトが眠り香を使ったこと。
ホームパーティーに俺が呼ばれたこと。
否。オールマイトの寝室の、写真の話から、既に?
最初から、何もかもが、罠だったのだとしたら?
俺はまんまと嵌められたわけだ。
俺が順を追って一部始終に気付く様をオールマイトは黙って目を眇めて見つめている。場の空気を支配したスーパーヒーローに一矢報いるため、俺は敢えて火中に飛び込んだ。
「この部屋に、俺の写真があるって聞いたんで」
オールマイトは声もなく目を見開き、空気を揺らして笑う。そのまま俺を抱き締めて来る腕に身を委ねれば、明日の朝メシの献立のことは頭から抜けた。