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    @ankounabeuktk

    あんこうです。オル相を投げて行く場所

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    パン屋パロのあらすじ

    恋するベーカリーオールマイト【オル相】 社畜の相澤が終電を逃し徹夜で仕事をしてそのまま会社に居座ろうかと思いつつ、いい加減臭くなった服を着替える必要があるかと始発で帰る途中、家の近くに明かりがついて良い匂いがする店があることに気付く。
     前を通りかかるとこじんまりとした白壁の建物に小さな看板。ベーカリーオールマイトと書いてある。
     木のドアにはclosedの札が掛かっているが、ドアについたガラス窓からは中の様子が見えた。
    (こんなとこにパン屋あったのか)
     必要なものはコンビニで買えば良いと考える相澤は寝に帰るだけの家の周りに何があるかなどに気したこともなかった。
    (……腹減ったな)
     昨夜もデスクの引き出しに常備したゼリー飲料を時間を空けて二つ飲んだだけ。家に帰って冷やしているゼリー飲料を飲もうと止めていた足を動かした時、突然パン屋のドアが開いた。
     外に人がいたことに中から出て来た男が驚く。
    「あっごめんなさい……ぶつかってないですか?」
    「大丈夫……です」
     金髪長身の男だ。パン屋っぽい格好をしている。
    「ええと、開店はまだずっと後なんですけど」
    「ああ……すいません。パン屋があるの知らなくてぼんやり見てただけで。お邪魔しました」
     軽く会釈をした相澤の腹が鳴り響く。
    「お腹空いてるの?」
    「……いや、あの」
    「ちょっと待ってて」
     男は店内にとって返すと、ビニール袋に入れたパンを相澤に手渡した。
    「焼き立てじゃなくてごめんね、廃棄に回すつもりだったんだけど今食べるなら問題ないかと」
    「いくらですか」
    「お金はいいよ」
    「でも」
     ポケットに手を突っ込んで小銭入れを漁るがこんな時に限ってない。会社に忘れて来たのだろう。電車はスマホが有れば乗れるしコンビニもチャージしたカード払いだから現金自体がいつも意識の外にある。
    「食べて美味しかったら今度買いに来て。八時から六時までだから」
    (……絶対来られる時間じゃねえな)
    「じゃあ、すいません。ご馳走になります」
     相澤はぺこりと頭を下げてビニール袋を手に家に帰る。シャワーを浴びて冷蔵庫に入っていたブラックコーヒーを開けてパン屋の袋をひっくり返す。
     ウサギの耳みたいな触覚を生やしたパンに顔が描いてある。赤と黄色と青のスーツを身に纏った何かのヒーローのようだ。
     相澤は子供番組にはとんと興味がないので、顔がパンのアニメキャラはひとつしか知らない。同じ番組に出てくる仲間かなにかかと思いながらそのパンを食べた。
     美味しかった。



     泥のように眠るだけの休日に思い立って相澤は例のパン屋に顔を出した。今度はちゃんと財布を持って。
     日曜の昼過ぎだというのに店は空いている。並べられたパンもあまり減っていないように見えた。
    「いらっしゃいませ……あれ?」
    「この前はどうも」
    「こっちこそ、よく考えたらあまりものを押し付けて失礼なことをしてしまったなと反省していたんだ」
    「美味かったんで買いに来ました」
    「ありがとう」
     トレイとトングを持ってぐるりと店内を見回す。例のパンにして奇抜な彩りの触覚パンは目立つのですぐに見つかった。値札にはオールマイトパンと書いてある。
    「これ、なんかのキャラクターですか。店名ってこれのことです?」
    「ああ。私が考えたオリジナルのキャラクターなんだよ」
     店の名を冠しているのならそれは名物と言っても差し支え無さそうだが、オールマイトパンはお盆いっぱいに並んでいる。
    「……オープンして長いんですか」
    「そうでもない。まだ半年くらいかな」
     半年もの間ここを通勤路として使っている相澤が気付かないのは時間帯のせいとしても、もう少し客はいなければならないのではないか。
     相澤の考えは表情に出ていたようで男は苦笑しながらレジを打った。
    「私あんまり商売とか上手じゃないみたいでね」
    「商売はこれから上手くなれば良いんじゃないですか。パン屋はパンが美味い方が大事でしょ。ここのパンちゃんと美味いです」
     相澤の言葉に男は泣きそうな顔をした。
    「……俺なんか失礼なこと言いましたか」
    「いや。ちゃんと美味しいって言われるの、こんなに嬉しいんだって思ったらちょっとうるっと来ちゃって。駄目だね、年を取ると」
    「はあ」
    「ありがとうございます」
     丁寧に頭を下げられる。
    「……友達に紹介しても良いですか、ここの店のこと」
    「是非!」
     作り笑いに思えない心の底からの笑顔。相澤は受け取ったオールマイトパンを持ってコミニュティFMでDJをしている山田のところへ持って行った。
    「何このパン」
    「食ってみてくれ」
    「えっなにこれ美味い。どこの店」
    「うちの近所。こんなに美味いのにあんま流行ってないらしくてパン屋の人元気なかった」
    「ふうん?」
    「番組の途中で店の名前出さなくて良いから宣伝してもらって良いか」
    「うん、美味いからそれは良いんだけど……お前がそんなこと言い出すなんて珍しいな」
    「……恩があるんだよ、ひとつ」
    「義理堅いな〜消太くんは」



     相澤が朝出勤する時間帯にパン屋のドアが開く。
     金を払うから翌朝、昼飯分を買わせてほしいとお願いしたらワンコインで詰め合わせを作ってくれるようになった。それを受け取って出社をする。甘いのしょっぱいの混ざる中必ずひとつオールマイトパンが入っている。
     昼飯にゼリーではなくパンを食べ出した相澤に会社の人は驚き、女子社員が美味しそうだのどこのパン屋さんですかと聞いてくるので教えてやる。
    「あ、ひょっとしてマイクが美味しいって言ってたパン屋さんですか?」
     DJマイクの口コミでじわじわとオールマイトパンの話が広がっていき、女子高生がかわいいと食いついたところで火がついた。
     相澤がある日の朝前を通りかかると、よろよろと出てきた店主がお弁当を持っている。
    「……あの?」
    「ごめん、最近すごくお客さんが来てくれてパンが売れちゃうんだ。昨日君の分残しておけなくて。でもお昼食べられないと困るから良かったからこれ」
    「いや、流石にここまでしてもらうわけには」
    「ん、でも今日は作っちゃったから食べて。ね。明日はちゃんとオールマイトパン取っておくから!」
     会社で弁当を広げるとどこからともなく女子社員が寄ってくる。
    「相澤さん、彼女ですかあ?」
    「……違う」
     その日めずらしく定時過ぎに帰宅することになった相澤は弁当箱を返そうとclosedの札はあるが中に電気がまだ付いている店のドアをノックした。
    「はあい」
     出て来たのは女だ。高校生くらいに見える。
    「すみません今日はもう終わっちゃって」
    「あーいや、あの、店長……オーナー? なんで言えば良いんだ」
     相澤はそこでそう言えばあの人の名前を知らないなとようやく思い至った。
    「金髪の背の高い」
    「アッ。ひょっとして八木さんが毎日嬉しそうにパン残してるのってあなたです?」
    「ワアーー!! 芦戸少女! 君何言ってるの!」
    「八木さん、お客さんですよぉ。じゃあ私帰りまーす」
     店の奥から血相を変えて飛び出して来た八木というらしい彼は、エプロンを脱いで奥へ去っていく彼女をはらはらする視線で見送ってから相澤に向き直った。
    「売れ残ったら困るんじゃないんです?」
    「それはそうなんだけど。私もご褒美が欲しいんだよ」
    「褒美?」
    「……美味しいって言ってくれる人に食べてもらいたいのさ」
    「はあ。いつも美味いです」
    「うん。刷り込みかな。君にそうやって言ってもらえるのが一番嬉しい」
    「流行ってるんでしょうオールマイトパン」
    「ひょっとして君コミニュティFMのマイクくんと知り合いだったりする?」
     山田にはパン屋に行っても良いが俺の話をするなと口止めしておいたはずだがなぜ知っているのか。答えない相澤の態度が答えだ。
    「美味いのにお客さんあんまり来てないみたいだったんで。ここ通りから一本入るし、閑静な住宅街と言えば聞こえはいいですが目立たないし。ご迷惑でしたか」
    「ううん。マイクくんも何回か足を運んでくれているんだ。気に入ってもらえたみたい」
    「そうですか。完売するなら俺の頼んでた詰め合わせはもう良いです。正規の利益を損なわせるのは本意じゃないんで」
    「……でもそうしたら、君、来てくれなくなるだろ」
     八木は相澤の出勤と退勤時間を知っている。ベーカリーオールマイトの営業時間に相澤がここを通ることは不可能だ。
    「ここ定休日ないんですか」
    「最近体がついていかなくて水曜は休むようにしてる」
    「会社から有給取れって言われてるんで、じゃあ次の火曜に来ても良いですか」
    「それなら、新作の試食してもらっても良い?」
    「俺素人ですけど」
    「美味しいとか物足りないとかそういう率直な意見が聞きたいんだよ」
    「俺役に立ちませんよ。あなたのパンならなんでも美味いですから」
    「……君本当、それ、自覚あるの?」
    「何がですか」
    「いや。じゃあ火曜日待ってる。夕方閉店前に来て貰っていい?」
     わかりましたと頷いて相澤は弁当箱を返した。
    「これも美味かったです。ありがとうございます」
    「じゃあまた明日」
    「そういえば、八木さんって言うんですか」
    「うん? ああ、名乗ってなかったね。八木です」
    「相澤と言います。そこの緑の壁のアパートに住んでます」
    「ご近所さんだね」
    「八木さんはここが家なんですか」
    「ここは店だけ。家は裏にある。中から行けるよ。火曜の試食は家でやるつもり」
    「わかりました」
     結局翌日も八木は相澤に弁当を作っていた。




     試食の日、相澤が指定の時間に店に行くとバイトの芦戸が相澤を見るなり奥に八木を呼びに行った。
    「八木さん! 来ましたよ!」
    「芦戸少女、声が大きいよ……、やあ相澤くん」
    「うわ名前ゲットしてる」
    「いいから君はレジ締めをお願い」
    「はあい」
     不満の返事をしながらも芦戸と呼ばれる彼女の働きはとても早い。売れ残ったパンをひとつのお盆にまとめて残りの空は調理場に下げ、値札を回収して台の上を綺麗に片付けている。
    「相澤さん、そのお盆の中から好きなパン選んどいてください」
     明日の朝のことを言われているのだとわかって相澤がカウンターの上のそれを覗き込もうとすると八木がひょいと顔を出した。
    「芦戸少女、そのパンは全部持っていっていいよ。相澤くんの明日の分は試作品から出すから」
    「まじっすか! じゃあお友達と食べていいっすか!」
     ウキウキで袋詰めして芦戸はパンを抱えて帰って行く。
     店の鍵を中から掛け、電気を消して八木があっちと奥を示す。店の裏のドアを開けると広い中庭に出た。パン屋の外装に良く似た白いでかい家が建っている。見回すと敷地内が見えないように境界に壁と背の高い木が密集して生えている。
    「こっちだよ」
     中庭から正面玄関に抜けて八木がドアを開けた。
     吹き抜けのリビングから続くアイランドキッチンの上に、仕込んであるパンがオーブンに入れるだけの状態で置いてある。
    「座ってて。すぐに焼けるから」
    「八木さん、ご家族は」
    「一人暮らし」
    「家デカすぎません?」
     儲かっていなそうなパン屋のオーナーが建てられる家には見えないし、敷地内にあることを考えるとあの店舗もおそらく自前だ。
     商売が下手とかいう次元の前の話のような気がする。
    「昔株やってた」
    「勝ち組じゃねえか……」
    「うん。でもある日結構な事故にあって生死の境を彷徨っちゃってね。その時からちょっと色々考えるようになって」
    「パン焼き始めたんですか」
    「そう。みんなを笑顔にするためにはどうしたらいいかなって考えた時に、私ちょっとだけ料理が趣味だったからさ。パン屋さんならできるかもって。でも難しかった。全然お客さん来てくれなくて、味が悪いのかなってへこんだりもしたし。でも君があの日、お腹空かせた顔で立ってたの見て、美味しいって言ってもらいたい気持ちより君にお腹いっぱい食べさせたいって気持ちになっちゃって。義理を返すために来てくれたんだろうなって思ったけど、それでも美味しいって言ってくれて、私本当に嬉しくてね」
    「……美味いもんは美味いんで」
    「さあ、焼けたよ。コーヒーにする?」
    「はい」
     八木は店から持って来たお盆に新作パンをひょいひょいと乗せて相澤に手渡した。背後のコーヒーメーカーに粉をセットしてスイッチを押す。すぐに湯がフィルターの中に滴り落ちる。
    「火傷しないでね」
     焼きたてのパンはどれも美味だった。
     コーヒーを飲みつつ五種類の試作品を全部平らげた相澤が全部美味かったと答えると八木は苦笑した。
    「嬉しいな」
    「好みの話をした方が良いですか」
    「もしあるなら」
     八木はテーブルの下からクロッキー帳を取り出した。ぺらりとめくったそこにはたくさんのパンのデザイン案が書かれている。
    「左端のパンは、チーズを真ん中にとろけさせるんじゃなくて見た目のインパクト込みでカリカリに焼いたやつをマヨの上にあと乗せする方が食感も変わって面白いと思います。でもこれも美味いです。二番目のパンは純粋にチョコレートもう少し少なくで良いです。食いたいのはチョコでもパンでもない、チョコがついたパンってこと考えると若干チョコが多い気がします。でも十分美味いです」
    「ふむ」
     相澤のコメントを元に八木がラフ絵を描き込む。
    「相澤くん、平日お休みってまた取れたりする?」
    「あー。来月末までにあと四日は取らないと行けないんですけど、申請だけして会社に出ようかと思ってました。何か?」
    「時間が合うなら私とパン屋さん巡りしないかなって思って」
    「……はあ。デートですか」
    「ででっででーとじゃないけど! でもそう見えちゃうのかな!」
    「まあいいや。取り敢えずわかりました。次の約束できる日あとでお知らせします。連絡先聞いても良いですか」
     相澤と八木はその日、やっと電話番号もメールアドレスを交換した。メッセージアプリは八木のスマートフォンには入っていないらしい。



     八木がリストアップしたパン屋を巡って、天気がいいので公園でそれを食べる。八木は膝の上に例のクロッキー帳を置いて相澤のわからない世界を書き留めている。
    「そっち少し貰っても良い?」
    「どうぞ」
    「二人だといつもよりたくさん試せていいなあ」
     味を確認するためなら確かにひとつ全部食べる必要はないだろう。
    「たまになら付き合いますよ。俺で良いなら」
    「お仕事大丈夫なの?」
    「大丈夫ではないですが。息抜きは大事なんだなと最近思うようになりました。それこそ昔は飯は栄養が取れればなんでも良くて早く食べられる方を重要視してましたけど、今は味とか誰と食うかとか。そういうことも選択肢に入ってきたっていうか」
    「君の食生活心配だもの」
    「あなたは俺が美味いって言ってくれんの喜んでますけど、俺は美味いって言われたあなたが喜ぶの見て可愛いなって思うし、飯は美味いし、こんなゆっくりした平日の午後も悪くない。でも俺はあんたのパンが一番好きですけどね」
     手の中の最後の一口をもぐもぐと咀嚼する相澤の隣で八木は静かにペンを走らせている。
    「……君は本当にずるいなあ」
    「はあ?」
    「いや。パンばかりで飽きたなら、晩御飯はうちで違うもの食べていきなよ。買い物して帰ろう。何か食べたいものある?」
    「ハンバーグですかね」
    「了解した!」
     八木の家で飯を食べ終えた相澤はいつの間にかソファに体を預けたまま寝てしまう。
    「……相澤くん、こんなところで寝ると風邪を引くよ」
     起こすつもりのない声がけ。起こしたいのか寝かせていたいのかわからないまま八木は相澤の前にしゃがみ込んだ。
     親子ほどの年下のこの青年に恋愛感情を抱いていることに気づいたのはいつだったのか。言えるはずのないそれ、適切な距離を保てばいつか薄れて消えていくだけだと信じていたのにぐいぐいと前進する自分を止められない。彼の世界を侵食して、せめて傷の代わりに胃袋を虜にしてしまえば離れて行くことはないと自分にできる精一杯をした。
     美味しいと素直に褒められるたび、隠した下心を謗られている気がして自己嫌悪も育っていく。
     告白してフラれればスッキリはするかもしれないが、重要なリピーターを失う。否、八木にとって相澤はもう顧客の一人という認識で収まるものではない。彼の美味いと笑ってくれる姿がもう見られなくなると思えば八木の何もかもを臆病にさせた。
     それでも、触れたい気持ちは日増しに大きくなる。
    「あいざわくん」
     目を覚まさないと、悪いおじさんにいけないことをされてしまうよ。
     無防備な寝顔に手を伸ばして頬に触れた。無精髭を親指の腹で撫でて肌に刺さる感触を楽しんだ。
    「起きて」
     起きないで。
     止められない自分を正当化して、八木は祈るような気持ちで相澤にそっとくちづける。
    「……?」
     相澤が目を覚ます。
    「……ごめん」
    「あんた、今」
    「ごめん」
     それしか言わない俯いた八木を置いて相澤は逃げるように家を出た。



     相澤の昼食がゼリーに戻って数日。
    「相澤さん彼女と別れたんですか」
    「あの弁当は彼女じゃねえって何回言えば」
    「オールマイトもやってないですしね」
    「……やってない?」
    「え? 知りません? だって相澤さんしょっちゅう食べてたのオールマイトのパンでしょ?」
     女子社員の話によるとずっとclosedの札がかかったままだという。ホームページにはしばらくお休みしますというお知らせだけが更新されていると聞いて、相澤はスマホでページを検索する。
     オールマイトパンみたいなヘタウマなキャラクターがお知らせだぜ! と元気良くデザインされたページの下に無機質に並んだ文字を眺め、相澤は山積みの仕事を爆速で片付け定時のチャイムと同時に会社を飛び出した。
     まだ営業時間内なのにオールマイトの店のドアは閉じられていて、確かにclosedの札だけが傾いてぶら下がっている。
    「オールマイトパン買えないの?」
    「お休みなんですって」
     パンを買いに来たらしい親子連れが残念そうに帰っていく後ろ姿を眺めていると、親子連れとすれ違うように近づいてきた制服を着た女子高生がドアの前に立ち、鞄から何か紙のようなものを取り出してドアに貼り始めた。
    「……あの、君バイトの子だよね」
     相澤が声をかけると少女はぱっと振り返る。
     八木が芦戸少女と呼んでいた子で間違いない。
    「休んでるって聞いたんだけど八木さんに何かあったの?」
     相澤の顔を見て芦戸は本当のことを言って良いのか迷った風に視線を彷徨わせてから、改めて相澤を真っ直ぐに見上げた。
    「あー……。えっと、八木さんこの前、救急搬送されて入院してたんです」
    「は?」
    「今は退院してっていうか病院無理やり出てきて自宅療養中で。お店もいつ再開できるかわからないみたいで……」
     芦戸がドアに貼った紙には可愛らしいオールマイトの絵としばらくお休みしますという文字。
    「そんなに悪いの」
    「私も説明は受けてなくて……。お見舞いも断られたのでできなくて。今はおうちにいるので行こうと思えば行けるんですけど、でも」
     行っていいのかわからないし、としゅんと俯いてしまった芦戸を見て相澤は店の向こうに見える家を眺める。
    「そっか。教えてくれてありがとう」
    「相澤さん、も知らなかったんですか」
    「……うん」
    「八木さん秘密主義だもんなあ……」
     私これ貼りに来ただけなので、と芦戸は鞄を持って来た道を戻っていく。相澤はふらふらと壁を回り込み、八木の家の玄関を外から窺う。道路に白い軽バンが停まっている。リカバリー訪問看護という名前とおばあちゃんのロゴが入ったそれに、芦戸が言っていた自宅療養という単語が蘇った。
     自分の気持ちに整理がつけられないまま相澤はそれでも八木の家のチャイムを押す。
    『はい』
     インターホンから聞こえたのは老婆の声だ。
    『相澤と言います。八木さんに面会はできますか』
    『ごめんなさいね、今面会は』
    『ダメでもいいんで一度聞いてみて貰えますか。話ができない状態とかじゃないなら』
    『……相澤さんね。ちょっと待っててね』
     食い下がった相澤の前で一度通話が切れる。
     しばらく待っているとドアが開いた。中から小さい老婆が医者の往診鞄のようなものを持って出てきた。
    「会うそうだ。私は往診が済んだので失礼させてもらうよ」
    「……ありがとうございます」
    「まだベッドから動かしたくないし、興奮させるようなことも控えておくれね。寝室にいるよ」
    「はい」
     相澤は靴を脱いで家に入った。
     カーテンの閉め切った家の中はどことなく空気が澱んでいる。
     寝室の位置がわからなかったが、二階に上がるとひとつだけドアが開け放された部屋がある。そっと覗き込むと八木が背を起こして座っていた。
     相澤を見てどうしていいかわからないように力無く笑う。
    「……ごめんね」
    「何を謝るんです」
    「私は君に」
    「今そんな話しなくていいです。容体は?」
    「持病というか、怪我の後遺症だよ。季節の変わり目とかに辛くなっちゃうことがあるんだ」
    「……死なないですか」
    「人はいつかみんな死ぬよ」
    「そうじゃない。あんたの話です」
    「まあ、人並みの寿命は多分私には用意されてないよ。生き延びたこと自体が奇跡みたいなもので、今は余生の真っ最中だから」
     けほ、と八木が咳をする。ベッドサイドのペットボトルに手を伸ばすのも辛そうで、相澤は手を伸ばして蓋を開け八木の手元に差し出した。
    「子供が」
    「ん?」
    「店の前で小さな子がオールマイトパン食べられないのって残念そうに言ってました。バイトの女の子もあんたの心配してます。早く良くなってください」
    「……うん」
    「飯は? 食えるんですか」
    「あんまり動いてないからゼリー飲料とスポーツドリンクとかお茶で過ごしてるよ。台所にもあんまり長い時間立ってられなくて」
    「……そうですか。ちょっと失礼します」
     相澤は一階に降りて、山と積まれた洗濯物を区切って洗濯機に放り込みスイッチを押す。冷蔵庫を開けて賞味期限の切れた食材を次から次へとゴミ箱へ捨てて見つけた米を洗って鍋にぶち込んで火にかける。できないなりに最低限の手順で作れるお粥と付け合わせの梅干し、日が暮れても構わずに中庭の物干しに洗濯物を干していく。
    「味の保証はしませんがどうぞ」
     相澤が持ってきたお粥を太腿の上に乗せられて八木が言葉を失ってしまった。
    「熱いから冷ましてから食べてください」
    「私は、君にひどいことをしたのに」
    「飯食う時にそういう話すんな不味くなる」
    「……怒られた」
     相澤は自分の分も粥を持ってきて、二人で無言のまましばらく粥を食べている。
    「美味しい……」
     しみじみと言う八木に相澤は薄く笑った。
    「なら良かった」
    「ごちそうさま。美味しかった」
    「洗い物しておきます」
    「ごめんね」
    「……俺も逃げたりしてすみませんでした」
    「君が謝ることじゃない。あれは」
    「あれは?」
    「……君を好きな気持ちを閉じ込めておけなくなった私の暴走だから」
    「そうですか。ひとつ確認したいんですが、あんた俺とどうなりたいんですか」
    「どうって……」
     問われることすら想定外だと言わんばかりに八木が赤くなる。
    「俺を好きなだけで満足とかそういう仙人みたいな感じです?」
    「好きでいさせてもらえるなら、それで」
    「触りたいとかそういう性的欲求は?」
    「せっ!?」
    「ないですか」
    「…………あ、あります、けど」
    「俺に勃ちます?」
    「君は何を聞いてるの?!」
    「確認です」
    「なんの?!」
    「俺の、覚悟の」
    「え?」
     相澤が八木の唇にそっとくちづける。触れるだけの数秒、そのあとに舌を差し入れて息の続く限り。
     ぷは。
    「えっ、えっ、え……?!」
    「ん。大丈夫でした」
    「相澤くん……?」
    「あんたのこと多分好きです。あんたが俺に触りたいと思うなら好都合だし、俺もあんたに触ってみて嫌悪感とかそういうのも何にもなかった。むしろあんたが生きててこんなに近くにいられる喜びの方がデカくて役得です」
    「……ええ?」
    「これ以上のことは元気になってからですね。俺に触りたかったら早く治してください」
     鼻先にぶらさげた人参の美味さをアピールして相澤がニヤリと笑う。
    「あ、あいざわくん……」
    「皿洗ってきますんで」
     相澤がいなくなった寝室で八木はもぞもぞベッドに潜り込み、絶対に早く治そうと強く心に誓う。




     それからしばらくして。
     ベーカリーオールマイトは営業を再開した。
     相澤の昼飯はパンと弁当のローテーションに戻る。
     今朝も出かけに受け取った袋を持って通勤電車の列に並んだ。
    「今日は新作を入れたんだよ。後で感想聞かせてね」
     そう言いながら袋を差し出してきた八木の様子がいつもよりソワソワしていたのは多分気のせいではない。電車が来るアナウンスに八木から意識を戻す。
    「そういや見た? オールマイトの新作パン」
    「見てない」
     後ろの女子高生が発した声にびくりと反応してしまう。視線を遣らないよう、しかしどうしてもナマの声に聞き耳を立ててしまうのは仕方のないことだ。
    「すっごい可愛いんだよ。ほら見て! 恋するオールマイトパンだって。ピンク!」
    「春でもないのにいちご味」
     スマホの画面を見て騒いでいるらしい。芦戸のアドバイスでSNSでの商品紹介を始めたとかそう言えば言っていた気がする。
    (今、何て言った?)
     相澤は恐る恐る袋の中を覗く。オールマイトパンは確かにひとつ入っているが、ピンクかどうかまで一瞬で判断はつかない。良く見ようとしたところで電車が来てしまって、あとはパンが潰れないように守りながら電車に乗るので精一杯だった。
     昼休み、自席の上に転がしたパン。
    「あっ、相澤さんそれオールマイトの新作でしょ」
    「そんなに有名?」
    「春でもないのにいちご味だし商品名が恋するオールマイトだから、オーナーに春が来たんじゃないって皆言ってますよ」
    「みんなって誰だよ」
     主語がでかいなと毒づきながら相澤は袋から少しピンクのオールマイトパンを取り出す。
     一口食べるとほのかにいちごの味が口の中に広がって鼻からは匂いが抜けていく。
    「……美味い」
     それ以外の感想をどう述べようか考えながら、相澤はブラックコーヒーをお供に恋するオールマイトパンを咀嚼した。


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