シンデレラ、魔法が解けるよ【オル相】「誕生日プレゼント?そうだなあ……君からのキスが欲しいな。とびきりロマンチックなやつがいい」
恋人に誕生日プレゼントの希望を尋ねたら、欲しいものは大体手に入る男は少し考えた後そんなことを口にした。
相澤は想定外のおねだりに、それはナシですと後出しジャンケンのような真似もできず、抵抗を飲み込むようにしばし沈黙してから、わかりましたと答えるしかない。
まさか相澤が了承すると思っていなかったように一瞬だけオールマイトは目を丸くしたが、次の瞬間には嬉しそうに笑って、楽しみにしてるね、などと言うものだから、相澤はますますどういう表情をすればいいかわからないでいた。
それが、二週間ほど前のこと。
本日はオールマイトの誕生日。世界各地でバースデーに便乗したお祭り騒ぎが行われていた。しかしここ雄英の敷地内は違う意味で騒がしくなっていた。
本人が来ないのである。
遅刻をすると連絡は貰っていたが、詳細が何も記載されていないメッセージだけを送って来て、それっきり。校長が慌てていないので事件ではないと判断して午前中を乗り切ったが、心中は穏やかとは行かなかった。
相澤はゼリー飲料を吸い込んでゴミ箱に投げ捨てパソコンに向かう。昨夜は夜警当番で一緒にいられなかったし、徹夜明けで恋人のマンションに乗り込んで埃だらけのキスがロマンチックなはずもない。あらかじめ、十日の夜にお邪魔しますと宣言してあったから昨夜は簡素なお祝いメッセージを送るだけで済ませていた。
この二週間相澤の頭にずっとこびりついていたロマンチックというカタカナ。ロマンチックなキスがわからな過ぎて何度も単語の意味をインターネットで検索した。検索結果の一番初めに出て来た説明には現実を離れ甘美で空想的、情緒的なさま。とある。
(現実離れした甘美なキスって何だよ)
キーボードに理不尽を叩きつけながら一向に現れる様子のない恋人のことを考える。
(遅刻の理由はなんだ。敵と交戦してるのか、誕生日絡みのトラブルか。クソ、普段なら流せるのに今日に限って……)
「おはよう、私が来たよ」
オールマイトがガラガラと職員室のドアを開けたのは、既に昼を回った頃。ちょうど昼休みが半分ほど過ぎた時間だった。
「もう昼ですよオールマイトさん、何を……」
振り向き様に発した続きの言葉は床に落ちた。
「あ、やっぱ変?」
「……どうしたんですか?」
てへ、と笑って誤魔化す仕草はそれが個性事故だと白状しているようなもので。
「身長が小さくなる個性にかかったんだけど、明日になれば解けるって」
とてとてと歩いてくるオールマイトは一般成人男性のような身長で、思わず立ち上がった相澤より僅かに小さい。
「あらオールマイト、少し小さくなりました?」
「やあミッドナイトくん。君より少し低いくらいかな?」
ミッドナイトは女性にしては背が高い。そのミッドナイトと並んで、頭に手をかざして背比べをしている様子から見ても確かにミッドナイトよりも低そうだ。
「いくつなんです?」
「ええと。171センチだったかな。50センチも小さくなってしまったから服がなくてね。急いで買ったものだけれどおかしくないかな?」
いつもの黄色い派手なものではなく、サラリーマンが着るようなネイビーにストライプの模様が入ったスーツ上下、ワイシャツはよくわからないがボタンの色がアクセントになっている、おしゃれそうなものだ。
「よくお似合いだわ。今日限りなのが残念なくらい」
服に関する会話を続ける二人の横で相澤は壁にかかった時計を見た。
オールマイトは何と言った?
この矮小化の個性は明日にならないと解けない。
つまり、オールマイトの誕生日である今日一日、オールマイトはこのままということだ。
(いや特に何かロマンチックな作戦があったわけじゃねえけどオールマイトさんこのままで?誕生日プレゼントのキス?)
「でもオールマイト、今日は誕生日でしょう。手の届く位置に顔があったら、いろんな人に唇狙われちゃうわよ?」
「ミッドナイトくん、それは杞憂だよ」
「やあねえ。171センチなんて12センチの範囲にわんさか人がいるのよ!」
「12センチ……?」
きょとんとするオールマイトにミッドナイトは鼻息荒く続けた。
「一番キスしやすい身長差が12センチっていう通説があってね。いつものオールマイトなら届かないけれど、今のオールマイトなら……!」
襲いかかるふりをするミッドナイトに思わず静止の手を振りかざす、すんでのところで自制心を働かせて相澤は椅子に座り直す。
「無駄話してなくていいんで仕事してくださいオールマイトさん」
「あ、うん」
「イレイザー、昼休みは休むためにあるのよ」
「三日前のテストの採点終わりましたか。あとミッドナイトさんだけですよ入力してないの」
「あー突然コーヒーが飲みたくなったわぁ!」
白々しい嘘を息をするように吐いてミッドナイトが給湯室に消えて行く。
そばを通り過ぎたオールマイトが相澤にこっそりと耳打ちをした。
「相澤くん、183センチだったよね?」
「それが何か」
わくわくを隠しきれない声色に今し方のキスしやすい身長差のことを指しているのだと気づきはしたが、それを今ここで大っぴらにそうですねと同調できる勇気はない。
冷たく突き放す相澤の物言いの裏側に気付いているのかいないのかオールマイトは自席に着くと、椅子に腰掛け驚いた声を上げながらガコンガコンと座面の高さを調整していた。
午後の授業からオールマイトが参加となったものの、誕生日を祝いたい気持ちとオールマイトが親しみやすいサイズに縮んだことに興奮した生徒達によって、座学の集中力はここにいない13号のブラックホールにでも吸い込まれたらしい。
結局、消化不良のままカリキュラムを終える。
今夜はオールマイトのマンションに向かうことになっていたから予め仕事はやれるだけ済ませておいた。定時は過ぎるが普段よりはとても早い時間に帰れるはずだったのに、結局こうして二人並んで帰るのは日付が変わるまであと少しという時間になってしまった。
(……つむじが)
見える。
隣を歩くオールマイトは作り置きしているという今夜の献立の説明を一生懸命にしてくれるけれど全然頭に入って来ない。オールマイトを見下ろすという新鮮な光景に全ての意識がそちらへ向いてしまう。歩くたびにふらふらと左右に揺れる前髪。身振り手振りを交えたいつもの仕草。同じものを見ているはずなのに。
「相澤くん?」
ひょこ、と首を傾げてこちらを見上げる、楽しそうに微笑んだ眼差しに呼吸が止まる。
(ロマンチックとは。現実離れした、甘美な)
「聞こえてる?」
「……聞いてます」
「もう。全然リアクションがないんだもの。見上げないとわからないの、結構困るもんだね」
拗ねたように尖らせた唇に視線が吸い寄せられる。
(キスしやすい身長差)
ミッドナイトの妄言が頭の中を一気に席巻した。
このまま僅かに屈めば、こちらを見上げるオールマイトの唇にいとも簡単に重ね合わせることができるだろう。
(甘美なキスってのは、少女漫画みたいなやつだろ)
「……オールマイトさん」
「ん?」
相澤はオールマイトの肩を掴み、軽く押しやって壁に背を押し付ける。オールマイトのマンションの、玄関からリビングに続く廊下の壁に。
あくまで柔らかく、導くような優しさで。
壁に手を付く。逃げられないように。
「今ここで、誕生日プレゼントを贈っても良いんですけど」
「わあ。壁ドン相澤くんすごくかっこいいな」
「棒読みやめてください」
しかし、相澤はオールマイトを緩やかに拘束したままそれ以上近づこうとしない。
「しないのかい?」
「……したい気持ちはありますが。しなくない気持ちもありまして」
「キスしたくないの?」
「いやキスはしたいです。でも」
「……小さい私を襲うみたいで気が引ける?」
見透かしたようにオールマイトは薄く口元を引き上げた。
「身長が小さくなっただけで若返りなんかしてないのに。かわいいな、君は」
「子供扱いせんでください」
小さくてもオールマイトはオールマイトだった。相澤は心のうちを読まれた事実にそっぽを向いて強がるけれど、言葉にできなかった迷いをオールマイトが掬い上げてくれたことに感謝もしている。
「君のこと子供だと思ってたらお付き合いなんかしないだろ」
くい、と顎の下に指を差し入れオールマイトが悪い顔をした。
「当日に貰えないのは少し残念だけれど、君の真摯さが私の胸を満たしてくれたから、私は待つよ」
沈黙の中、リビングから壁掛け時計の秒針が動く音が聞こえる。
「さあシンデレラ、魔法が解けるよ」
芝居がかった言い回しに半ば呆れ半ば悪ノリし、相澤は努めて澄ました顔を作った。
「言い忘れました。お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
キスしやすい身長差がキスどころではない身長差に戻る午前零時。二人は廊下にしゃがみ込み、唇を重ねてその時を迎える。