奥様は魔術師(マジシャン)奥様の名前は浅霧幻、旦那様の名前は石神千空。ごく普通でない二人は、ごく普通でない出会いをし、ごく普通でない結婚をしました。
更に普通でないことに、奥様は魔術師(マジシャン)だったのです。
……そんな二人の出会いは、綺麗なクレセントムーンの浮かぶ夜。
旦那様が学会に提出するレポートに煮詰まって、夜の散歩に出かけた日のことでした。
空を見上げると、宝石箱のような星空と、鋭く弧を描く欠けた月。
ひんやりとした夜気が、肌に心地よくて。
おおきく息を吸い込んだ瞬間。
「 いやあああああああどいてぇぇぇぇ〜〜〜!!!」
そんな頓狂な声とともに、何かが上空から降ってきました。
信じられないことに、それはどうやら黒い燕尾服を纏ったヒトであるようでした。
左半分が白髪のボブヘア、右半分が黒髪のベリーショートという、一風変わった風体のそのひとは、真っ逆さまに旦那様の上に落ちてきます。
咄嗟に腕を広げて受け止めましたが、衝撃で植え込みに倒れ込んでしまった旦那様は、瞼の内側にチカチカ星が浮かんでいるのを見ながら、夜の闇に吸い込まれるように意識を手放しました。
……どのくらい時間が経過したのでしょうか。目を開けると、月が中空に差し掛かっていて。腕の中に、かすかな重みを感じます。
「 ……オイ、……オイ、大丈夫か?」
腕の中におさまるお月様のようにまんまるなあたまを覗き込んで、そっと肩を揺さぶると、空から落ちてきたそのひとは、ちいさく身じろぎをしました。
「 う……ん…… 」
ゆっくり、あたまが持ち上がって。
白い髪がさらりとほおをかすめます。
開いた瞳は、見上げた空と同じ、深い深い夜の青。星を写しとったようにきらきらと輝く瞳に吸い込まれそうになって、思わず。
「 結婚しよう」
「 結婚して」
ささやいたことばに、同時に同じことばを返したそのひとは、きょとんとおおきく目を見開いたあと、はにかんだようににっこりとわらいました。
……そう。お互いに一目惚れだったのです。
帰る道すがら、二人はぽつぽつと他愛ない話をしました。
旦那様は、最近社会的に評価を得始めた若き天才科学者で、宇宙開発関連の研究所に勤めていること。
奥様は魔法使いで、ほうきに乗って空を飛ぶ練習をしていたところ、コントロールを誤って落ちてしまったこと。
普段は、マジシャン兼心理学者としてテレビに出演していること。
「 あ、でもステージで魔法は使ってないよ。……神様に誓って。
でもね、……その、千空ちゃんは、気持ち悪くないの?俺のこと」
「 あ"ぁ?何がだ」
「 だって俺、魔法使うのよ?普通のヒトじゃないのよ?……特に千空ちゃんは科学者だし、そう言う非現実的なの、嫌いじゃない?気持ち悪くない?」
何をそんなに気にしているのか。旦那様は不思議そうに首を傾げます。
「 うるせぇ、一目惚れだ。知るかそんなん。」
そこで、一度言葉を切って。奥様の目を覗き込むようにして語りかけました。
「 ……第一、そこにいて、自分が目で見たモノを否定するのは合理的じゃねぇ。
存在するなら法則を知りてぇし聞きてぇことも、検証してぇことも山ほどある。
今まで解き明かされたことのないファンタジーが、謎が目の前にあって。
……唆られねぇ科学者がいるわけねぇだろ」
旦那様の言葉に、奥様はまたきょとんと大きく目を見開いて。しろい花のような笑顔で、旦那様に微笑みます。
「 ねぇ、実は俺も一目惚れなんだけど。
……うん、やっぱり、君でよかった。人を見る目には、自信あんのよ。
大好き、ダーリン♡」
奥様のストレートな言葉に、ほんの少し目尻を赤く染めて。
旦那様は奥様を抱き寄せると、そっとやさしくキスをしました。
「 あ"ぁ。……俺もだ、ハニー 」
からかうように甘い声でそう囁かれてしまったから、さあ大変。
奥様はぐにゃぐにゃと腰が砕けてしまい、結局家に帰り着いたのは、すっかり夜が更けてからでした。
帰宅すると、旦那様の帰りがあまりに遅いので、心配して待っていたらしい百夜が玄関に駆けつけて来ました。百夜は旦那様のお父様で、大学教授をしています。
少し前まで宇宙飛行士として国際宇宙ステーションに赴任していたのですが、帰還後は通常のお仕事に戻り、旦那様と二人暮らしです。
とりあえず何事もなかったことに安心したところで、百夜は旦那様の隣にいる、一風変わった、しかしどこかで見たことのある気のする人物に気付きました。
「 ……ところで千空、そちらのかたは…… 」
すっかり失念していたらしい旦那様は、奥様の肩を抱くと百夜の前に引き出して紹介します。
「 あ"〜、コイツは浅霧幻。んで、俺コイツと結婚すっから。……今日からよろしくな?」
「 そうか〜、千空もついに結婚相手を家に連れてくるようになったか〜。……って結婚!?」
飄々とした旦那様の言葉に、百夜は流されそうになったあと、はたと気付いて目を白黒させました。
それもそのはず。
生まれてこのかた二十年あまり、旦那様は一切色恋に興味を示さず、浮いた話のひとつもなかったのですから。
けれど、それは同時にふたりに家族が増えるということ。旦那様にたいせつなひとが出来たということ。
幼い頃から旦那様を目の中に入れても痛くないほど、深い愛情を注いできた百夜にとって、それはとてもうれしいことでした。
紹介を受けた奥様は、快活な笑顔を浮かべ、礼儀正しく頭を下げました。
「 はじめまして、パパ。……浅霧幻と言います。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
百夜はおひさまのような笑顔で挨拶を返します。
「 おう!俺に似てちぃっと気の利かねぇとこもあるが、自慢の息子だ。
……よろしく頼むぜ」
ふたりは瞬く間に打ち解けて。
旦那様は、少し離れたところからそんなふたりの様子を眺めて、ふっとやわらかく目を細めました。
「 ところで千空、こんな魅力的なステディがいながら隠してるたぁ、水臭ぇじゃねぇか。
……ひょっとして、俺が反対するとでも思ったのか?」
話題の矛先が自分に向き、旦那様は百夜を振り返ります。
「 あ"ぁ?別に隠してねぇよ」
不思議そうな顔をする百夜に、得心がいったように旦那様は口元を歪めました。
「 ソイツとはさっき会ったばっかだ。一目惚れして即プロポーズして、互いに一目惚れだったっつーからそのまま連れて帰った」
百夜はぽかんと口を開けたまましばらく固まっていましたが、それも旦那様らしい、とまたわらいました。
……こうして、三人の賑やかな生活が始まったのでした。