黒の紅も悪かない室町の世に生きた時代、それはまあ大概食べれるモンは食べてきた。が、流石に産まれて初めて現物を目にすれば「本当に食べ物か?」と疑う見た目に文次郎は冗談でもなく引いていた。
そしてそれを席の向かいで美味そうに頬張る留三郎にも。
「何だよテメェ、そのゲテモノ食いをみるような目は。ちゃんと食いモンだから店に出てるんだろうが」
一方、せっかく美味い飯を食べに来ているのに、まるで不味い物を食べる様を非難するかの如き目線に留三郎は噛み付いた。心境としては「イカ墨パスタぐらいお前も知っているだろう文次郎め」である。
そう、犬猿の仲と言われているクセに、何故か二人仲良く洋食屋で昼食をとっているのである。
それもこれも残業のせいだった。皆で行こうと約束していたのに、結局他の4人に乗り遅れた2人が「本当にあの店の食事は美味かった」と煽る小平太と仙蔵にムキになり、このままでは引けぬと翌日にリベンジを決行したのが今のこの状況だった。
なお完全に対抗心の勢いのまま来たので後々犬猿2人きりの食事をからかわれるであろう事は考慮していない。負けず嫌いも考えものである。
話を戻すが、同期の4人絶賛の洋食屋で遅めの昼をボックス席でなぜか向かいあい食べているのが今現在。
文次郎の皿にはオーソドックスなトマトソースのスパゲッティが盛られている。のに対し、留三郎の皿に盛られていたのは黒々とした墨に塗れた、今では珍しくとも何ともないメニュー「イカ墨パスタ」であった。
確かに、確かに食べ物であることは文次郎とて理解している。してはいるが、いざ実物を見て受け入れられるかどうかはまた別の話なのである。
「いや、な…。食いもんなのは知ってるんだ。知ってるんだが、どう見ても…墨汁……」
この男にしては珍しく、目線を逸らせながらごにょごにょと口篭る。妙な所で真面目な性格をしているこいつの事だ、食材に対しての敬意に欠けると自覚している故だろう。だが、知識で理解出来ても精神が受け入れられない物は、どうしたって中々受け入れ難いものである。
「あっ、あー…。そういやお前会計委員会だったもんな」
思い返せば忍びの卵時代、この男は鬼と冠が付くほどのギンギンの会計委員長だった。
他委員会を相手取り、予算案も生徒もちぎっては投げちぎっては投げの武闘派な印象が強いが、本来は収支計算をしまとめるバリバリのデスクワーク委員である。ましてやペンも鉛筆も無いあの時代、腐る程墨を見てきたであろう目だ。
留三郎も前に一度、1年は組の委員の字の校正に、6徹目の夜明けで半泣きになっているのを見たことがあった。徹夜続きの疲労もあり正気で無かったことは伺えるが、それを踏まえても流石に気の毒だと思った覚えがあった。
まあつまり、墨が食材でなく文具に見えるんだな。
そうフォローを入れてやれば文字郎は珍しく頬を染め恥ずかしげに頷いた。
「だが、これしきの理由で好き嫌いなど…」
ぐぬぬと何時にも増して眉間に皺を寄せ唸る文次郎。三つ子の魂なんとやら。食堂のおばちゃんに叩き込まれた「おのこしは許しまへんで」は100どころか600までしっかりと刻まれている様子。
コレに関しては、勿論他人事ではないのは言わずもがなである。
遥か過去の後輩宜しく悩む姿に、留三郎の胸に少しばかりの出来心が芽生え始めていた。
食わず嫌いの克服には勢いが肝心なのである。まあそもそも、文次郎でなく自分の食事であることはさて置いて、だ。
「文次郎、ちょっと耳貸せ」
「?おう…」
人差し指でちょいちょいと手招くと素直に顔を寄せる文次郎。まるで猫でも呼ぶような仕草なのに、怒るどころかされるがままに従うのがどうしてかたまらなかった。余程イカ墨パスタが食えない事に気を取られているのだろう。昔から変わらない、ふとした拍子の無防備さに闘争心とは別の疼きが留三郎の胸に走った。
ああほんと、愚かで可愛い男である。
「んン、むぐっ!」
逃さぬ様両手で頬を包み間髪入れずに唇を押し当てる。驚きのまま開いた亀裂に舌を捩じ込み、歯が閉じられる前にひとこすりして素早く離れた。
ぽかんと呆気に取られた文次郎を尻目にぺろりと自分の唇を舐めあげる。うん、トマトソースの味も絶品である。
『バカヤロウ!お前、昼間!外!!』
きっちり3秒ほどして我に返った文次郎は、周りをキョロキョロ見渡したあと叫ぼうとし…ぐっと思い直して苛立ちげにコンコンとテーブルを人差し指で叩き始めた。
勿論ただの騒音ではない、懐かしの暗号音だった。なるほど流石腐っても6年い組の男である。
しかし気付いてないのか、それとも素なのか。口付けそのものに怒らない文次郎が留三郎にはどうしても可愛く思えてたまらなかった。
「ほら、食えるだろうお前」
クククと腹を押さえ笑いを噛み殺せば、顔を赤くしたまま「寄越せ!」とイカ墨パスタの皿を奪われた。そしてフォークを突き立てると同時に己の皿をこちらへ押しやる文次郎。どうやら2人の皿を分け合って食う事にしたらしい。
未だ笑い収まらぬ留三郎の視線の先。厳つい癖に可愛らしい思考をする男の唇には、先ほどの口付けで墨が薄く履かれていた。