馬子にも衣装にゃ程遠い「げっ」
深々と雪降る山道の端、ちょうどよい大きさの石に腰掛け休息を取る山伏男の前に枝の軋む音をたて降ってきた赤い忍び装束の男は開口一番心底失礼な声をあげた。
「ゲッとは何だゲッとは」
煽っていた竹筒から口を離し無礼な男の顔を見て、こちらもこちらで心底嫌そうな顔をした。
山伏男こと留三郎は七方出として山伏の姿を借り、忍務もとい学園長のお使いの帰りにこうして休息を取っていた所であった。
対し、そんな留三郎の前に現れたのが赤の忍び装束を纏った…則ちドクタケ忍者に扮した文次郎であった。
「見覚えある山伏姿が見えたとおもったら、なんだお前かよ留三郎」
「そっちこそ歳の瀬クソ寒い中忍務でやっとこ休んでる所に見たくもないドクタケ姿しやがって。なんだとは何だよ」
べぇ、と赤いサングラスをかけた顔で舌を出し不味そうな顔をする文次郎に対し、犬を追い払う仕草で手を払う留三郎。なんだとはこっちのセリフである。
因みに、文次郎が6年生という忍者学園最高学年としてお粗末な騒々しさで降り立ったのは己に似た山伏男(実は風魔の忍者なのだが)錫高野与四郎への挨拶、または敵意のない知らせとしてやった事であるのは言わずもがな察していた留三郎であった。
やっとこれで帰ってゆっくり出来ると思ったのに。
そう独り言ち、はぁ、と深く1つ白々とした湯気の如き溜息をつく犬猿の仲の男を見て、流石にこの寒さを気の毒に思えてきた文次郎は腕組みしながら顎をしゃくった。
「あっちに仮宿を押さえてある。せっかくだから可哀想な留三郎くんにも屋根を恵んでやろう」
元は炭焼きの家であったらしい。
朽ちた炭焼き窯の傍にある小屋の囲炉裏に手慣れた手付きで文次郎が炭を放り込む。
留三郎があの石に腰を据えるまで通り過ぎた所に随分前に焼け落ちた村の痕跡があったが、恐らくここの主も縁のある人間だったのであろう。
命を落としたか、それとも新天地へ向かったか分からないが…そもそも縁も何もなかったかもしれない。
留三郎の脳裏にちらりと過ぎったが、特に気に留めることもなく意識の外に放りやった。そもそもそれは今回の忍務に関わりが無い、忍者として学んでから染み付いた推測遊びの様なものである。好敵手の好意に素直に応じるのも癪だが、兎に角今は暖を取りたかった。
お互い変装の装いを解かぬまま、無言で火を囲む。
腰を据えたばかりの頃合に、文次郎が徐ろに取り出し枝を通して炙っていた川魚の脂がそろそろ空腹を刺激する薫りを漂わせていた。
さて、どう空腹をやり過ごそうか。
同室の伊作に倣い背負っていた薬箱を漁ろうとした所、これまた珍しい事が起きていた。
「ほれ、留」
「…おう」
留三郎が抽斗を開く前に文次郎が焼けた魚を差し出してきたのである。思わず面食らったが、留三郎はこれも素直に受け取ることにした。
ここまで溜まった疲労もあったが、1年の終わりが近付きつつある静かな夜に、普段は啀み合う好敵手と穏やかに過ごすのも悪く無いと思えたからだ。
丁寧に切り開かれ、処理された腹肉に齧り付くと苦味のない脂の旨味が脳髄を刺激した。五臓六腑に染み渡る旨さだった。
思わずほうと溜息が漏れ出るが、ほぼ同じタイミングで向かいの男からもはぁーと同じ様な音が聞こえた。あいつの魚も絶品だったのだろう。サングラスの隙間から相見えた目元が随分嬉しげだと、同級の仲ゆえ許された気の緩みをみて口元が綻んだ。
が、直後目が合い不貞腐れた顔で逸らされた。赤い耳に照れ、恥じ入っていたのがもろわかりであった。
「ほら、もんじ」
「…ん」
返礼にと、留三郎は抽斗から取り出した乾し肉を文次郎に手渡した。遣い先である学園長の旧友に、駄賃代わりにと賜った乾し肉である。今年の猪肉は味がいいと先方が笑っていたので味は確かなはずだ。
ぶちりと千切れる音の後、黙々と咀嚼する文次郎。
「うん、うまい」
「そうか」
文次郎からぽつりと漏らされる言葉が妙に幼気で留三郎は少し愉快な気分になった。
「そういえば俺は学園長の遣いで薬を届けに行ってたんだが、なんだってお前はドクタケの格好なんかしてやがるんだ」
晩餐を続けながら、留三郎はずっと思っていた疑問を投げかけた。年がら年中ドクタケの連中は良からぬ事を企んではいるが、それにしてはドクタケ領からは少し離れてはいやしないか。
これもまた事も無げに、齧り付いた際唇に纏わりつく脂を舐めながら文次郎が応う。
「ここらへんで妙なサングラス連中がいるという噂があってだな、何か企んで居ないか調査しに来たんだがなんて事ぁなかった。ただの正月備えの買い出しだった」
ドクタケのフリして最寄りの町に聞き込んだが、真相はかくして面白くもなんともない、呆気ないものである。
「そもそも忍び装束で買い出ししてるんじゃねーよ」
「ふはっ!」
珍しく行儀の悪い態度で呆れかえる様子に、それな、と同意しかない思いで思わず笑い声が漏れた。
何度か苦渋を舐めさせられる割には気の抜けた連中である。むしろ、だからこその苦渋であろうか。
そのまま、委員会や下級生、同室についての取り留めのない話を続けていく。よく焼けたオイカワも、偶に炙って齧った猪の乾し肉もすっかり全て腹の中に収まっていた。
とろとろと緩やかな炎の温もりにいっそ眠気すらやってきた気がした。
「そういえばお前、いつまでその趣味の悪いカッコしてんの?」
言いながら留三郎は文次郎の横に座り直すが、文次郎は太い眉を器用に片方上げただけで気にする様子もなかった。引き寄せた襟元の裏地に何時もの緑がみえる。変装としては文句の付け所のない赤い忍び装束だが、如何せんドクタケという点で趣味が悪い。留三郎の胸の内を察したのか、悪い思い付きをした顔で文次郎は留三郎の腰紐を抜き取った。
「そういうお前こそいつまで誰かさんの猿真似を続けるつもりでいやがる」
もし留三郎がこのまま立ち上がれば、すとんと落ちた袴の下に何時もの緑色があると知っている顔であった。
新年という目出度き日を片手で指折り待つ今、奇しくも双方『あかしろ』の装いは面白くありつつも、やはり何時もの深緑が恋しいのはお互い様らしい。
赤いサングラスを抜き取り唇に己のそれを押し付ければ、外でびょうと風が強まる音がした。
「どうせ今宵は帰れまい。」
嵐の予兆を尻目に、2人は穏やかな温度に身を寄せ合ったのだった。