12月に入り、街中が赤や緑で彩られてきたころ。
16歳の九条天はケーキ屋を訪れた。fonte chocolatというケーキ屋だ。この街に昔からある店らしいが、ネットの評判も良い。
「いらっしゃいませー。」
明るい髪の小柄な青年が店番をしていた。
他にも店員はいるが、奥のカフェスペースで接客をしているらしい。
平日の昼間なので、店内は落ち着いている。カフェのお客さんも地元のママ友が数組。
天はまわりをきょろきょろと見渡して、その青年に尋ねた。
「あの、クリスマスケーキの配送って……できますか。」
彼はああ、と言うとニコッと笑って答える。
「国内冷凍での配送なら大丈夫ですよ。どんなケーキが良いですか?」
「ショートケーキ、いやチョコレートも好きそう……」
天は呟きながら、あの子の笑顔を思い浮かべる。あの頃はきっとショートケーキもチョコレートケーキも好きだっただろう、しかししばらく会ってないうちに好みが変わっていたりするかもしれない。
それを見た店員は小さく吹き出すように笑った。
「悩んじゃいますよね!誰かに贈るんですか?」
「双子の、弟に。事情があって今は会ってないんですけど。」
天は後ろ手をもじもじとさせる。こんなこと普段は人に話さないから、どういう言い方が正しいのかがわからない。
「そっかそっか。弟さん、甘いの好きですか?」
彼は快活な笑顔のまま尋ねた。事情があって、なんて言ったのに同情したり深く尋ねたりしてこない、まるで普通のことのように流した彼に天は一瞬戸惑った。
「……好きだと思います。」
彼の優しさに甘えるように、天は小さく答えた。
答えを聞いた店員は腕を前に組んでウンウンと頷く。
「ふんふん、お兄さんは? 甘いの好き?」
店員の質問に天はまた一瞬戸惑う。どうしてボクのことを訪ねるんだろうか。
「……好きです。」
「じゃあ、お兄さんが試食して決めますか?」
「えっ」
「今用意するんで、ちょっと待っててくださいねー。」
「そんなことまでいいのに。」
「お兄さん、難しい顔してる。弟さんにケーキを選びに来たって顔じゃねーよ。甘いもの食べたら少しは気分転換になるんじゃねーかな。」
驚いた。彼は天のことをよく見ている。
先日、天が所属するアイドルグループTRIGGERのデビューの話がまとまった。天がセンター。3人組で、他の2人は20歳と21歳らしい。1人は上京してきたばかりで、1人は社長の息子だという。アイドルになるべく今までレッスンを受けてきたし、センターかどうかでやることが変わるわけでもない。とはいえ、プレッシャーがまったくないわけではない。それが顔に出ていたのだろうか。
「はい、こっちがショートケーキ。」
彼は白い生クリームを乗せた一口サイズのスポンジをフォークに刺して渡してきた。
「スポンジの切れ端にクリームかけただけっすけど。味は一緒ですよ。」
「ありがとうございます。」
ぱくりと口に含む。クリームが甘い。スポンジも甘い。すごく美味しい。
思わず口角が上がる。
「…………!」
「あはは、すっげえ美味いって顔してる。切れ端でも、パティシエ冥利に尽きますね。」
「貴方が作ったんですか?」
「へへ。チョコもありますよ。」
彼は歯を見せて笑い、もう1つチョコクリームをチョコのスポンジにかけたものを渡してきた。
「いただきます。」
そちらも口に含むと、濃厚なチョコレートがいっぱいに広がる。
「美味しい……!」
「はは、良かったです。弟さん、どっちが好きそう?」
店員に言われて気が付く。そう言えばあの子に贈るケーキを選びに来たんだった。自分のケーキを買いに来たのではない。
あの子はどちらが好きだろうか。どちらも好きそうで、悩ましい。
「ショートケーキ……かな。雪みたいだって、言うと思います。」
あの頃のあの子は冬に雪遊びなんてできなかったから。もしかしたら今はもうそんな子供みたいなことを言わないかもしれないけれど。
あの頃のまま変わっていないことを願いながら、あの子が喜んでくれるかもわからないケーキを選んで、ボクは一体。
「わかります! 特にクリスマスは雪を食べてるような気分になって楽しいですよね!」
だから、嘘がないとわかる彼の言葉に少し救われたんだ。
「……はい。」
心なしか頬が温かい気がする。
「じゃあ、ショートケーキで予約しますね。何号?」
彼は予約票と思われる書類を取り出し、ボールペンをカチッと鳴らす。
「両親と3人で食べると思うので、小さめのを。」
「じゃあ、4号にしときます。あと、チョコプレートに好きな文字書けますよ。」
「そしたら……『MerryChristmas』、あと……、『体に気を付けて』。長すぎますか?」
店員は両腕を組んで苦い顔をする。
「ちょっと長いかなぁ。オレの字デカいから……父さんはどうだろう」
「じゃあ、いいです、『MerryChristmas』だけで。」
体に気を付けて、なんて本人が一番分かってるだろうし。わざわざケーキにまで書かなくてもいい。あの子には天からだということは伝わらないようにしてもらう予定だし。
「……弟さんのこと、大切に思ってるんですね。お兄さんがそれだけ思ってるなら、書かなくたって伝わると思いますよ。」
「そうでしょうか……ボク、離れる時に弟に酷いことをしたのに。」
天は俯いた。
「お兄さんは、弟さんのこと大切?」
「はい、大切です。」
天は迷わず答えた。
「そんなに言い切れるなら、大丈夫じゃないかな。弟さんにも普段の態度で伝わるもんですよ。」
店員は柔らかに微笑んだ。彼もその気持ちをよく知っている、そんな顔だ。
「あーすみません、送り状書いてもらってもいいですか。ちょっとキッチンに行ってます。2,3分で戻りますね。」
「はい。」
店員に白紙の送り状とボールペンを渡される。そのまま店員はキッチンへと入っていった。
ああ、このボールペン書きやすいな……そんなたわいもないことを考えながら、出てから2年間一度も戻っていない実家の住所を書く。特別な日を彩るケーキを売っているはずのこの店は、そんな穏やかな日常の時間が流れている。かつて一世を風靡したアイドル『ゼロ』は、そんな日常に寄り添うアイドルだっただろうか。これからデビューする自グループTRIGGERのコンセプトとは真逆だ。
「書けましたー?」
「はい。」
「確認しますねー、うんうん、不備はなさそう。」
天はその店員の手元を眺める。彼の出す空気は居心地がいい。フランクで話しやすく、でも家庭事情には触れないでいてくれる。適度に保ってくれる距離感が落ち着く。
「それじゃ、お会計しますねー。」
彼は都道府県ごとに違うらしい送料の表を指さしながら電卓をぱちぱちと叩く。
「送料合わせて、3200円です。お支払方法は?」
「現金で。」
天は千円札3枚と100円玉を2枚、トレーに置く。
「はい、ちょうどいただきます。レシートと送り状の控えのお渡しです。あと……これもサービス。」
店員は3枚のクッキーがラッピングされた小袋を1つ手渡してきた。
「ジンジャークッキーです。」
彼の言う通り、ジンジャーブレッドマンと呼ばれる人型のクッキーだ。それぞれ白、ピンク、青のアイシングで顔や装飾が描かれている。
「ちょっと早いけどメリークリスマスってことで。お兄さんが素敵な1年を過ごせますように!」
そう言って店員は陽だまりのように笑った。
その笑顔は、九条さんの話に聞いたゼロのようだと思った。