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    sayura_gk

    18↑。右鯉のみの字書きです。

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    sayura_gk

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    尾鯉webオンリー『百発百中恋の弾丸3』展示用
    社会人尾×DD鯉

    好きで好きで堪らない 四年に一度開催されるサッカーの世界大会。普段サッカー観戦せずとも、代表戦は観るという者は少なくない。
     グループリーグが発表されると、期待を寄せる者、肩を落とす者さまざまだ。メディアでは『死のグループ』などと言われ、いかに決勝トーナメントへ進むのが困難かを選手の紹介を交えて報じている。
     中学、高校でサッカー部に身を置いた鯉登は、日本代表戦を欠かさず観ていた。選手は同世代が多く、県や地区大会で活躍を目の当たりにした者もいた。全国大会では『同い年なのか…』と驚く者もおり、練習時には敵として想像したりという事もあった。
     鯉登の母校は県大会より上には進めなかったが、県の代表校は自分の学校のように応援をしたものだ。そんな選手たちが今、世界を舞台に戦っているのだ、声援にも自然と熱が入った。
     決勝リーグ一戦目の夜、鯉登はなぜかスポーツバーにいた。家で観る予定だったはずが、連れてこられたのだ。きっと杉元が『鯉登と行くよ!』と勝手に答えたのだろうと踏んでいる。だがみんなで予選リーグのダイジェストを観る内に、気にならなくなった。
     誰がきっかけだったのか、いつの間に意気投合したのか、きっと誰も覚えていないだろう。ダイジェストは友人たちと盛り上がった筈だった。だが試合が始まると、隣テーブルにいたサラリーマン数名と一緒になってモニターを見つめていた。
     鯉登が気が付いた時、隣には杉元どころか大学の友人もいなかった。辺りを見回せば見知った顔は名前も知らぬ大人たちと笑い合っている。取り敢えず杉元の所に行こうと動きかけた鯉登へ「ドリンク来たよ!」と飲み物が渡された。頼んだ覚えはない。
    「私では…」
    「え、なにぃ? 聞こえな〜い」
    「これ…」
    「あぁ、君のじゃないの? でもいいよ、飲んじゃいなよ」
     この店、今日は飲み放題しかやってないから! と見知らぬ男が笑うと、唇の両側にあるホクロが口角に合わせて上がった。
     ならば良いか。普段ならそんな事は思わない。だがすでに試合に夢中になった者たちに「これはあなたの飲み物か」と聞いて回るのも野暮だと思ったからだ。
     それに鯉登も喉が乾いていたのも事実。手元にあった筈のグラスはなくなっているから、下げられてしまったのだろう。鯉登は受け取ったグラスに口を付けた。
     爽やかな甘さと冷たさが喉を落ちていく。成人してもうすぐ一年という鯉登は、酒にはさほど強くない。そんな鯉登にも飲みやすい軽い口当たりで、あとで名前を聞こうと思いながら口を付けた。
     試合は既に前半を半分過ぎている。だがどちらも得点には至っていない。失点がないのは良いが、このままでは勝ち点が得られない。時間の経過とともに試合を見つめる視線にも期待が籠もる。 
     相手ゴールのネットを揺らすべく、選手たちの動きが激しくなっていく。天を仰ぐような惜しい場面、ヒヤリとする一瞬が次々訪れる。敵味方問わず、パス回しであっても瞬きが惜しい。いつ攻守が逆転してもおかしくないのだ。
     誰かが『あと五分! 頼む!』と画面に訴えた。その声をきっかけに祈るような空気が店内に満ちる。
     両チームとも前半無得点でも良いが、できれば先制して終えたい。そんな気持ちからか、鯉登は両手を胸の前で握りしめた。
     やがて──声を上げ身を乗り出して見つめるモニターの中。ポストギリギリに入ったボールが相手チームのゴールネットが揺らした。
    「入った〜〜〜っ」
    「やったぁ~~」
    「きゃああああっ」
     一斉に歓喜の声が上がる。バンザイする者、隣り合う人とハイタッチをする者、抱き合う者、様々に喜びを溢れさせた。鯉登もその一人だった。隣に立つ男に思い切り抱き着いて幾度も跳ねる。
     分かった分かった、とでも言うように背中をポンポンと撫でられ、ふと我に返った。誰に抱きついたのだろう、と。
     そっと体を離すと二十代半ばの男が鯉登を見つめていた。小さく笑みを含んだ真っ黒な瞳。白い額に落ちかかる一筋の髪。
     意気投合したサラリーマングループの一人だったが、名前は知らなかった。それなのに突然抱きつくなど、なんという失礼をしてしまった事か。すぐ謝ろうとした鯉登の声を払うように後方から大きな声が響いた。
    「アディショナルタイム二分!」
    「守れ〜」
     鯉登と向かいの男以外、誰もがモニターに声を上げて祈りを送る。ゴール直後の勢いのまま歓声が満ちる店内は、耳へと口を寄せなければ声など届きそうにない。
     抱きついた失礼を詫びるのに、耳元まで顔を近付けては更に失礼にならないだろうか?
     そんな事が頭を過ぎって、思わず躊躇った鯉登に身を寄せたのは男の方だった。喧騒の中、耳元で息を吸ったのが鯉登にだけ聞こえる。
    「…観ないの? もうすぐ前半終わるよ?」
     少し低めの艶のある声。色気のある落ち着いたそれが心地良くて、とくんと胸が鳴る。僅かに顔を動かすと至近距離で目が合った。
    「み、る…」
     少し位置をずらせば唇が触れてしまいそうな、ゼロに近い距離。見知らぬ人とここまで身を寄せたのは初めての事だ。なのに不快ではなく、胸がドキドキする。
     そのためか、二音の言葉もスムーズに紡げない。男はそれをどう思ったのか。くすりと笑って身を離した。
     思わず「ぁ……」」と小さな声が漏れる。それは一点リードのまま前半終了を祈る周りの声に打ち消された。
     早まっていた鼓動がスッと冷える。だがそれは一瞬の事だった。鯉登の手に男の手が絡んだ。
    「っ…!」
    『前半終了〜〜』
    「やったぁぁぁぁ」
     無失点で前半終了を喜ぶ者たちが歓声を上げる中、鯉登と男は見つめ合った。触れ合った肩の下では手を繋いだまま──。

    ***

     一目惚れだったのだろう。出会いを振り返る度に鯉登はそう思う。
     手を引かれて向かったのはカウンター席。周りが後半までの十五分間を、前半を振り返って盛り上がる中、二人だけは互いに意識を向けていた。
    「名前は?」
    「コイト…オトノシンです」
     鯉登がそう言うと、男はフッと小さく笑った。何? と小首を傾げると、男は鯉登の耳元に口を寄せた。
    「君もずいぶん古風な名前だと思ってね」
     よく言われる事だ。だが鯉登が気になったのそこではない。
    「君もって…」
    「俺はヒャクノスケ。オガタヒャクノスケ」
    「本当だ、古風ですね」
     フフッと笑う鯉登に「敬語じゃなくていいよ、オト」とヒャクノスケは囁いた。鯉登の胸を乱した声が紡ぐ特別な呼び名。先ほど以上に胸をドキドキさせながら鯉登は口を開いた。
    「うん。じゃあ、ヒャクって呼んでもいい?」
    「もちろん。何か飲むか?」
     そこからの鯉登は試合をほとんど観ず、勧められるままお酒を飲んだ。初めて会った人と並んでお酒を飲み、周りからは見えない所で手を絡ませあっている。イケナイ事をしているようで鯉登の胸は落ち着く事がなかった。
     アルコールとシチュエーション、そしてヒャクの声に鯉登は酔った。繋いだ手をを刺激する骨っぽい指は、その先を仄めかせる。それはとても魅力的で抗おうとも思わなかった。
     勝利に沸く街を足早に過ぎる。途中、杉元に連絡を入れなければと思ったが、ヒャクから「何を考えてる?」と囁かれると思いはかき消えた。互いにどこへ行こうなどと口にしなかった。必要がないほど、固く繋がれた手が全てだった。
     リゾート地を思わせるようなホテルに入ると、どちらからともなく唇を重ねる。性急な様子に求められているのが分かって嬉しかった。知ったばかりの名前を呼び合い、全ての指を絡ませてともに果てる。
     一晩などあっという間だった。まだ一緒にいたいのに、平日の朝はそれを許さない。一度帰って着替えてから仕事に行くという尾形同様、鯉登にも時間の余裕はなかった。それでもメッセージアプリの連絡先だけは交換して、冷たい空気が肌を刺す朝の駅で別れた。
     次はいつ会えるだろう。帰りの電車で期待が膨らむ。登録されたばかりの古風な名前は、また必ず会えるという自信を鯉登に齎した。
     出会った瞬間、恋に落ちた。時間が足りないとばかりに一晩中、愛し愛されたのだ。きっと相手も自分と同じ気持ちだと信じて疑わなかった。でも次の約束はいつのタイミングがベストなのか分からない。
     杉元に相談しようか…ランチを奢ると言えば、恋愛話が大好きな杉元なら良い案をくれるだろう。そんな風に考えていた鯉登の予定は、昼前には変更となった。
    『学生証が落ちてたのを拾ったんだが、渡すのを忘れていた』
    『ないと困るだろ?』
    『今晩会わないか?』
     簡潔なメッセージに迷う必要などなかった。すぐさま『会う!』と送り、三分とかからず時間と場所が決まる。これだけ早いのも運命の恋が齎す力だと思えて。
     食事をする間に絡む視線で互いを欲しているのが痛いほど分かった。前日の夜と同じように、繁華街の喧騒の中を手を引かれて歩く。
     二人の距離が開きすぎなければ、手を繋いでいる事など周りには分からない。それが秘密を共有しているようで、鯉登の胸を高鳴らせた。
     向かうのは街中に建つ、愛し合うための部屋。ドアを閉めて二人きりになれば遠慮など霧散する。ほぼ同時に溢れた互いの呼び名は、口付けに飲み込まれた。
     昨日出会ったばかりとは思えないほど惹かれた。顔も声も仕草も、少し意地悪なところも全てが好きだった。
     時間を忘れて抱き合ったせいで、またも慌ただしく迎えた朝。二人きりの部屋から出る直前、離れがたい想いから本音が零れ落ちた。
    「百が好き…付き合って」
    「あぁ、お前は俺のもんだ」
     抱き締めると同時に唇が重なって、すぐさま深くなる。またもベッドに戻りそうになった二人を現実に引き止めたのは、廊下からの声。彼らも駅へと急ぐようで「早く!」と言いながら駆けていく。それに目を見合わせて笑って、二人も部屋から走り出した。

     出会って二日で交際を始めた二人は、その後もスピーディーだった。翌週には半同棲状態で、クリスマス前には百之助が自宅の賃貸契約を解消。退去期限よりも先に、正月明けの成人の日が絡む連休には引っ越しを済ませた。
     出会いを知っている杉元は「早すぎない」と驚き、悪い人だったらどうするんだと心配していたが、それでも音之進は百之助が好きで堪らなかった。
     一緒に暮らすようになり平日に朝までという事は減ったが、翌日にヒビカナイ程度に時間をかけてゆっくりじっくり体を繋げるようになった。力強い腕の中で目覚めて、自宅モードの恋人の寝顔を見つめる度に、音之進の想いは日々強くなっていく。
     たくさんの偶然が重なった末の出会い。何か一つでも違っていたら、二人は今も他人のままだっただろう。惹きあうように目が合った瞬間、互いに恋に落ちた。愛し愛される幸せは、これからずっと続くのだ。
     そんな気持ちは音之進を良い方向へ変えていくらしい。年が明けてから『何かいい事あった?』と聞かれる事が増えた。そうか? などと心当たりがないように振る舞いながら、音之進の頭を過ぎるのは百之助の姿だ。
     音之進の変化の理由を知る杉元だけは、流すような返事にもニヤニヤと笑みを向ける。だが表情の割に揶揄う事はない。それが朗らかな声を掛けたのは新年会の帰りだった。
    「なんか幸せそうじゃん。お前は箱入りだから、まだ心配なトコはあるけど〜」
     安心したように「でもまぁ、良かったよ」という言葉が続く。それは賑やかな週末の歓楽街に埋もれてしまうほど小さなものだったが、音之進にだけは届いた。
     百之助との交際。間を置かずに同棲の話をした時、杉元は懸念を露わにした。それでも好きなんだと押し切ると、杉元から零れたのは盛大な溜め息。そのあと『泣くような事があったら必ず言え』と、髪を搔き回した手は些か乱暴だが優しかった。
    「まだ泣いてないから安心しろ」
    「べっつに鯉登なんて心配してませんー」
    「さっき心配と言ったのを、もう忘れたのか?」
    「聞き間違いだ、聞き間違い!」
     数日前と同じように、乱暴で優しい温かな手がわしゃわしゃと音之進の髪を掻き混ぜる。擽ったいような気持ちが広がって、嬉しくも恥ずかしい。こんな想いを教えてくれた百之助に早く会いたくなる。
     駅で杉元と別れ、自宅へと向かう脚は軽いもの。住み慣れた家で百之助が待っている。しかもこの土日は百之助の誕生日を祝うと決めている。同棲後初めてのイベントが恋人の誕生日だなんて、音之進は嬉しくて堪らない。
     そんな気持ちが抑えられず、マンションのエレベーターを降りると駆けるようにしてドアを開けた。廊下の先にあるリビングが明るい。それだけで一人暮らしの時とは違うのだと実感できて胸が弾む。
     急いで百之助の元に向かおうとした音之進の目に止まったのは、見慣れない革靴。同時に『同僚がここに来たいと言っている』と渋面で告げた百之助の顔が頭に浮かんだ。
     百之助は『アイツは引越し祝いだなんだと言ってるが、どうせ面白がってるだけだ』と同僚を評していた。音之進は理由が何であれ、百之助の同僚という人に会ってみたかったから了承したが、今日来ていたとは。それなら新年会に行かずにまっすぐ帰れば良かったかな、と思う。
     なにはともあれ、まずは挨拶だ。
     音之進はさっと身嗜みを整え、廊下を進んだ。深呼吸をしてからドアノブに手を伸ばしたその時、知らない声が響いた。
    「お前がお持ち帰りした子と付き合って同棲するなんてね〜。ほんと意外」
     いま入っても良いものだろうか。一瞬躊躇する間に声は続く。
    「なに、あの子そんなにイイの?」
    「…ぶっ飛ばすぞ」
    「あはは! 別に混ざりたいって言ってんじゃないんだから怒んないでよ〜。でも尾形がね〜。今回は珍しく本気なんだ?」
    「…あいつは…空気だ」
    「え、ちょっ…」
    「百之助! 空気ってどういう事だ!」
     思った事がそのまま口を衝いて出る。同時に驚きに満ちた二人の視線を浴びて、自分がドアを開けたのだと気付いた。
     自分を見つめる百之助と口の両側にホクロのある男。頭の冷静な部分が挨拶をと思うのに、気持ちが逆らう。音之進はフラフラと百之助へ歩み寄った。
    「空気って…どういう…? そんなに、私はどうでもいい存在なのか?」
     思っても見なかった百之助の言葉。衝撃に声が震える。
     運命の恋だと思っていた。二度とは訪れない、たった一つの恋。会いたくて、少しも離れてなどいれなくて。一緒に暮らすのも、百之助も同じ気持ちなのだと思っていたのに。
    「ひゃく…」
     つぅっと、褐色の頬を涙が落ちた。
      

     滑らかな頬を流れ落ちる涙を見て、百之介は立ち上がった。そのまま距離詰めて、冷気を纏う恋人を抱き締める。背後で宇佐美が「タイミング、最悪でしょ…」と言うのが聞こえた。
     まったくだと思い、誰のせいだとも思う。だがそんな事はどうでも良かった。きっと音之進は自分の言葉を悪い意味で受け取っている。その誤解を解く方がよほど大事だった。
     それでも、まずは涙を止めてやりたい。澄んだ瞳が悲しみに染まるのは見ていて辛い。抱き締める腕に力を込めるが、音之進の腕は落ちたまま。
     音、笑ってくれ。
     目を閉じた百之介の脳裏に、出会った日の音之進が浮かぶ。ひと月経っても明瞭な思い出。
     その夜、百之介は隣に座った名も知らぬ褐色肌の青年に目を奪われた。試合の経過にコロコロと表情を変え、時には祈るように見つめる澄んだ眼差しを自分に向けたいと思った。けれども青年は周りと同様、大型モニターに釘付けで百之助の視線に気付かない。
     ハーフタイムにでも向こうで少し飲もうと誘ってみようか。
     そんな風に思った時、店内が歓声に沸いた。なんだ? と思う間もなく、ぎゅうっと抱き締められ歓喜の輪に取り込まれる。
     手加減を忘れた腕も、何度も跳ねる体も喜びいっぱいの声も。普段であれば、鬱陶しいと振り払うものだ。だが百之助はされるがままに、だが自分の事を気にしてほしいと背中をポンポンと撫でた。
     我に返った青年の瞳に百之助が映ってから、二人の距離は急速に縮まった。後半が始まっても、二人の目はモニターへ向かなかった。もっと知りたい、もっと近づきたい。そんな気持ちが抑えられず、試合終了のホイッスルと同時に二人は席を立った。
     音之進を手放したくない。己の腕の中に閉じ込めておきたい。澄んだ瞳を自分にだけ向けさせたい。名前を呼んでほしい。
     その気持ちはスポーツバーのカウンターで飲んだ時から、百之助の胸の中で渦巻いている。その気持ちを伝えるのに、一晩では到底足りなかった。
     だからこそ音之進がシャワーを浴びる間に、無断で学生証を借りた。次に会う約束とするために。
     慌ただしい別れの中で音之進から連絡先を聞かれたのは希望が持てた。だが百之助は連絡がくるのを待てなかった。次の約束までに一日と空けたくない。そんな思いが百之助を動かした。
     待ち合わせの場所に現れた音之進の表情を見て、同じ気持ちなのだと分かった。けれども言葉にするよりも先に、体が求め合う。時間が足りないと感じるほどに愛し合い、想いを交わしたのは慌ただしい空気の中。
     出会った時からどうしようもなく惹かれた。その時の気持ちより優先するものなどなくて。こんな想いを抱けるのは、後にも先にも音之進だけだと思った。
     会えない時間は長く、共に過ごせばあっという間に過ぎ去る。何とかしたくて『住んでいる所が更新の時期だから、最近引っ越し先を探している』と百之助が言えば、同棲へ傾くのも早かった。更新は来年の予定で『来年の今頃は』という言葉を伝えなかっただけだ。
     音之進は俺のもの、俺だけのものだ。
     一緒に暮らし始めてもその想いは強くなるばかり。毎朝毎晩更新されていく。
     特に朝の可愛さは異常ともいえる。音之進を抱き締めたまま迎える朝。自分が先に起きたと思い込んでいる音之進が、百之助の顔にそっと触れる。
     髪を梳き、輪郭をなぞり頬を包む。触れるか触れないかのキスを落としては、幸せそうにクスクスと笑みを漏らす。そして小さく『百が好き…』と胸元に零す。大切なのだという想いが、込められているのが感じられる声で。
     出会った日にホテルへ行き、ほぼ眠らず体を繋げたにも拘わらず、その翌日も同じような夜を過ごしたというのに。そんな可愛らしい事をするのだ。百之助が眠っていると思って。
     手放せない、手放したくない。音は俺のものだ、俺だけのものだ。
     言葉にはしないが、百之助の胸の中にはそんな想いが渦巻いている。だからこそ、こんな些細な誤解で二人の仲に溝が生まれてしまうのは避けたかった。
    「音……」
    「…私は空気のような、軽い存在なのか…?」
    「違う!」
     すぐさま否定するが「でも…」と震える声。空気という言葉にショックを受けたのだろう、百之助の声が届かない。
     しっかりと話さなければ駄目だろう。今まで言わずにいた想いを伝えなければ納得しないかもしれない。
     けれども…と、百之助は背後を見遣る。できれば、二人きりになってから言いたい。なぜ同僚の前で真剣な告白をせねばならないのか。
     百之助は『今すぐ帰れ』という気持ちを黒い瞳に乗せた。それを受けて宇佐美が、うんうんと頷く。
    「空気って悪い意味じゃないと思うよ〜、いるかどうか分かんないくらい一緒にいるのが当たり前とか、そういう…」
    「お前帰れ!」 
    「えぇええ? 僕にも責任あるかなって思うからフォローしてんのにー」
    「フォローになってねぇ」
     百之助が言うと宇佐美は「尾形が自分で言いなよ〜」と笑って見せる。ニンマリと評するのにぴったりなそれは、楽しんでいるようにしか見えない。
    「ひゃく…」
     不安を纏う小さな声に呼ばれ、百之助は少しだけ腕の力を緩めた。潤む瞳をじっと見つめる。
     外野がいるのは不本意だし、厄介な外野ではあるが、音之進の気持ちの方が優先だ。宇佐美を帰らせようと音之進から目を離したら、取り返しの付かない事になる。そう思えて仕方なかった。
    「音、俺の話を聞いてくれるか?」
     うんと頷く頭を撫でてやる。目を逸らさず「お前を空気と言ったのは…」と続ければ、一言も聞き漏らすまいと真っ直ぐな瞳が百之助を見つめる。
     まだ伝えるつもりのなかった気持ち。できればもっとシチュエーションに拘って伝えたかった言葉。でもこれが百之助の本心だ。
    「お前がいなくなったら、生きていけないからだ。空気がなかったら死んじまうだろ?」
    「ひゃく……それ、ほんとに…?」
    「本当だ。お前がいなくなったら、俺は生きていけない」
    「ひゃくぅっ!」
     嬉しそうに、ぎゅうっと抱き締めてくる腕と涙混じりの音之進の声。それに被せるように宇佐美の声が百之助の耳に入る。どうも「うわ…めちゃめちゃ重いんだけど…」と言っているようだが、百之助は無視した。
    「ひゃく、ひゃく、どうでもいいなんて思ってごめんね」
    「絶対にそんな事はないからな」
     うんうんと頷いた音之進は、百之助の頬に手を添えるとちゅっ、ちゅっとキスを繰り返す。宇佐美がいる事も忘れているのだろうし、安心からくる愛情表現が可愛くてならない。自分も返してやりたいが、宇佐美の前というのは避けたい。
     宇佐美と話すために顔を離せば、音之進のキスは頬へと降り積もる。全くもって、可愛らしい。
    「もう帰れ」
    「ひどくない」
     不満も露わな言葉の割に、笑いを含む声が「ランチ奢ってよね」と言う。それに頷きを返せば宇佐美は手を振って玄関へと向かった。「明日が休みで良かったね〜」などと言いながら。
     ほんとにな。そう胸の中で返して、百之助は音之進の顔を捉える。濡れたままの瞳だが、宿る色が違う。百之助が好きだと、音之進の全身が求めているのが分かる。
    「明日出かける予定だったけど、ナシになっても良いか?」
    「でも…百の誕生日なのに…」
    「俺がそうしたいんだ。お前といたい。音は?」
    「そんなの、聞かなくても分かるでしょ?」
     そうだなと返した言葉は、重なる唇に蕩けて消えた──。
     
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    ぎねまる

    MOURNING初登場前の、苛烈な時代の鯉登の話。わりと殺伐愛。
    過去話とはいえもういろいろ時期を逸した感がありますし、物語の肝心要の部分が思いつかず没にしてしまったのですが、色々調べて結構思い入れがあったし、書き始めてから一年近く熟成させてしまったので、供養です。「#####」で囲んであるところが、ネタが思いつかず飛ばした部分です。
    月下の獣「鯉登は人を殺したことがあるぞ」

     それは鯉登が任官してほどない頃であった。
     鶴見は金平糖を茶うけに煎茶をすすり、鯉登の様子はどうだ馴染んだか、と部下を気にするふつうの・・・・上官のような風情で月島に尋ねていたが、月島が二言三言返すと、そうそう、と思い出したように、不穏な言葉を口にした。
    「は、」
     月島は一瞬言葉を失い、記憶をめぐらせる。かれの十六歳のときにはそんな話は聞かなかった。陸士入学で鶴見を訪ねてきたときも。であれば、陸士入学からのちになるが。
    「……それは……いつのことでしょうか」
    「地元でな──」
     鶴見は語る。
     士官学校が夏の休みの折、母の言いつけで鯉登は一人で地元鹿児島に帰省した。函館に赴任している間、主の居ない鯉登の家は昵懇じっこんの者が管理を任されているが、手紙だけでは解決できない問題が起こり、かつ鯉登少将は任務を離れられなかった。ちょうど休みの時期とも合ったため、未来の当主たる鯉登が東京から赴いたのだ。
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