俺の恋人がかわいい これだ…!
心の中で言ったつもりだが、もしかしたら声に出たかもしれない。一瞬そんな事が頭を過ぎたが尾形は無視した。
隣に座る月島がチラリとこちらを見た気がしたのだが、視界の端だったし、たまたま動いただけかもしれない。独り言を聞かれるのは別にたいした事ではないし、そんな事を確認する間も惜しい。
尾形はモニターに映し出された商品の画像をしっかりと見て、情報をじっくり読み進めた。材質、大きさ、発売日、取り扱い店舗。どれか一つでも不備があってはならない。それらを二回読み返した尾形は、知らず詰めていた息を吐き出した。
よし、と胸の裡で呟いた尾形の唇は弧を描いている。一ヶ月ほど悩んでいた事がこの商品によって解決されるのだ。しかも二つ同時に。さすが俺、と自画自賛したいほどだ。
尾形が満足げな顔で見つめているのは来週半ば発売予定のキーケースである。黒革のそれはイタリアの有名ブランドのもので、その名が刻まれたシルバーのリングが嵌め込まれており品があった。
質が良いのは当然の事、品があるかどうかも大事なポイントである。これなら音之進が気に入るだろう。うんうん、と頷きながら「さすが俺」ともう一度繰り返した。
音之進は付き合って一年未満の、二十歳の恋人である。今年のバレンタインに音之進からの告白で付き合い始めたが、尾形もきっかけを探していた相手だった。
そんな二人にとって、この冬はとても大事なものだ。大きなイベントである誕生日とクリスマスが続くのだから。
クリスマスプレゼントはペアのバンクルと決めている。これは二人でショッピン中にポスターを見かけて、同時に脚を止めたもの。互いに「似合うと思って…」と告げ合い、それなら贈り合ってペアにしようと決まるのは早かった。
だが有名ブランドのシンプルなものだが、さすがに仕事中は付けられないと思い至る。悪いなと思いつつ、嬉しそうな恋人に伝えると「休日だけでもお揃いにできたら良い」と頬を染めた姿は大層可愛らしかった。
だがらこそ、絶対に誕生日プレゼントとクリスマスを兼用するなんて真似はできないし、生まれた日にこそ特別なものを贈りたいと思っていた。
秋頃から誕生日プレゼントの事は頭にあったが、本格的に悩みだしたのはバンクルの件があってからだ。音之進が喜ぶ特別なものを贈りたい。
ただ高価なだけでは駄目だった。音之進は所謂良家の子息で、質の良いものを知っていた。金額だけでは解決できないからこそ色々と悩んだのだが、それがこのキーケースで解決できる。
だがいくらハイブランドとはいえ、ただ贈るだけではつまらない。そこで、中に尾形の自宅の合鍵を入れようと思いついたのだ。
合鍵は説明するまでもなく『尾形がいない時にも部屋に入って良い』という事だ。尾形が好きで堪らないと、全身で現す音之進が喜ぶのは間違いなかった。
仕事から帰ると、はにかみながら尾形を出迎える音之進。日が経つにつれて、部屋に慣れた音之進は、自分の服から尾形の服を纏って過ごすようになるだろう。
そして尾形の部屋に音之進の私物が増えていく。やがて自宅と尾形の部屋とを週の半分ずつ過ごすようになった頃、さらりと提案するのだ。
『一緒に暮らさないか?』と。
音之進は満面の笑みで、もしかしたらあの澄んだ瞳に涙を浮かべて喜ぶに違いない。そのまま尾形の部屋でも良いし、新しく探しても良い。ベッドを新調するのも良いな。
そんな事を話せば、音之進は頬を染めながら『お揃いのパジャマを着たい』と言うかもしれない。それに『それよりも俺に見せる下着にしろよ…』と耳元で囁くのだ。
音之進は『ひゃく、明日からでも一緒に暮らしたい』と、瞳を蕩けさせるだろう。早く来いととキスすれば甘い夜の始まりである。
モニターを見つめる尾形の顔に、知らず笑みが浮かんだ。上品で使いやすく、販売から間もないものが良いと探し続けていたキーケースだ。誕生日プレゼントとしてだけでなく、なかなか言い出せずにいた同棲への足がかりも作れる。
「〜〜〜っ! 完璧だ!」
「早く仕事しろ」
月島の分厚い手が尾形の頭を叩いた。
超高層ホテルの落ち着いたレストランでデザートまで楽しんだあと。尾形が「誕生日おめでとう」とプレゼントを渡すと、音之進は瞳を輝かせて喜んだ。
喜色で弾む声に気を良くした尾形は箱を開けるよう音之進を促した。ドキドキとワクワクが素直に現れた表情。それが中身を確認して、驚きに目が丸くなる。
「これ、は?」
「俺の家の合鍵だ」
さらりと答えてコーヒーを飲む。何もかもが予想通り。あとは音之進が満面の笑みで『ありがとう!』と言うだけだ。尾形はゆったりとした動きで、音之進へ顔を向けた。
「あの…百?」
「なんだ?」
「プレゼントありがとう……でも、あの……合鍵は…返しても、良いか?」
「は…? いやいやいやいや、ちょっと待て。落ち着いてよく考えろ、な?」
思ってもみない言葉に余裕が吹き飛ぶ。背もたれに預けていた背中が思わず浮いた。静止を示すように掌を音之進に向ける。だが動きが止まったのは尾形の方だ。
なんだ、なんでだ、今『合鍵は帰しても良いか』って聞いたのか? いや、まさか、だって『俺の部屋』の合鍵だぞ?
「…ごめん。せっかく用意してくれたのに…でも合鍵は…」
はっきりと口にしないが、音之進が続けたかった言葉は分かった。尾形の事が大好きで基本的には素直な音之進だが、ブレない強さもある。だが理由もなしに好意を無下にする性格ではない。
「……理由を聞いても?」
「百がいない時に勝手に入るのは嫌だ」
「俺が渡した合鍵なんだから勝手じゃないだろう」
「百の部屋にいるのに、一人きりで百が帰ってくるのを待つのは嫌だ」
「え……」
「だって、そんなの…寂しいだろう?」
「〜〜〜っ」
無意識の、上目遣いの瞳。それが尾形の胸を真っ直ぐ撃ち抜く。音之進の予想外の言葉は、尾形の中で喜びとなって全身に広がった。
どんだけ俺の事が好きなんだよ…ほんと可愛いな、音之進は…!
思わずニヤけそうになる口元を手で隠す。合鍵を返されるという事は、同棲への足がかりを失くす事だ。だがその件はまた後日考えようと思うほど、気分は良い。
「…百が合鍵をくれるなんて意外だったな」
「ん?」
「ウチに来る事の方が多いから、自分の部屋には人を入れたくないのかと思ってた」
「そんな事は…」
「そうだ、百。同棲しよう!」
は…? というそれは声になったのかどうか。思いもよらぬ提案に尾形の動きが止まる。
「ウチに二人で住むのは少し狭いから引っ越そうか。どこがいいかなぁ…やっぱり駅チカがいいな……。あ! せっかくだからベッド買い換えてもいいな…お揃いのものも増やしたいな、うふふ」
尾形が言い出せずにいた『同棲』をさらりと口にして、音之進が未来を思い描く。沸き起こる嬉しさを抑えきれないようで、笑い含みの甘い声が零れる。それがふと、尾形を見つめた。こてん、と首を傾げて問いかける。
「なあ、百。同棲はイヤか?」
「〜〜〜っ」
あぁ、俺の音之進はなんてズルい! そんな可愛くお伺いを立てられて、予定と違うとか言える訳がない!
「バカだな、イヤな訳ないだろ?」
「うふふ、百が合鍵をくれたお陰で同棲が決まったな」
肝心の鍵は返されたがな。そんな事を胸中で呟くものの、くすりと笑ってしまう。機を見ていた尾形を飛び越えて物事を動かす音之進。その原動力が自分への恋心なのだから、尾形の心を甘く擽るばかりだ。
その想いの強さ故に、予想通りと見せかけて想定外の言葉で尾形を振り回すのはいつもの事。さすがに口には出さないがそんな音之進は可愛いと思う。
来月の誕生日、新築マンションのパンフレットを手に『モデルルームの内見に行こう!』と鯉登に連れ回される事を、尾形はまだ知らない──。