怪しげな術にかけられたのは 休日昼間のテレビ番組は、いつぞや見たような気がするものばかりだ。集中して見ていなくても、筋トレの合間にほんのすこしだけ画面を見ただけでその先の展開が全部分かってしまう。
風変わりな刑事が記憶にあるとおりに犯人を当ててみせたところでトレーニング三セット目が終わり、動くのを止めた途端に体が一気に熱くなる。ジャージを脱ぎ捨てると、来る冬本番に備えて節電のためまだ暖房をつけていない、ひんやりとした空気が心地良い。傍らに置いていたスポーツドリンクを一口二口飲んで、さてもうワンセットやろうかと体勢を変えたときにドアホンが鳴った。
父さんはいない。光は二階。出るついでにここらで休憩を挟むのもいいだろう。たっぷり汗を吸ったジャージを着ようとは思えず、半袖シャツのまま玄関に向かう。ドアホンのカメラには冬服の配達員が映っていた。
「お届け物です。一星光さん宛のお荷物ですがご在宅でしょうか」
ドアを開けると、配達員はぎょっとしたように目を見開く。吹き込んでくる外気は家の中とは比べ物にならない、面倒くさがらずに何か羽織ればよかったなと少し後悔するくらい冷たい。そんな気温の中、半袖Tシャツで出てきた俺がおかしなものに見えたのかもしれない。
「はい。うちで合ってます」
指し示された場所にハンコを押して荷物を受け取り、玄関よりは暖かいリビングに引っ込んだ。光宛の荷物だというそんなに重くはない箱の中身は、伝票によると衣類であるらしい。
荷物を光に渡すついでに新しいジャージを取りに行こうと思い立ち、テレビの電源はそのままに二階へ。前に黙ってドアを開けたら俺のパジャマに顔を埋めている光に出くわし、どうやら見られたくないことをしていたようで怒られたことがあったため一応ノックをしてみる(俺の部屋でもあるのだが)と、「入っていいよ」と返事が聴こえた。
「光宛に荷物届いてたぞ」
「んー、ありが……ってちょっと!」
勉強机の上に広げてあったノートや文房具類を押しやってダンボール箱を置くと、ベッドで肘をついてスポーツ雑誌を読んでいた光が怒った顔して飛んでくる。
「そんな雑に置かないでよ、もう……」
光は呆れたっぷりにため息をついて落ちたシャーペンをペンケースにしまう。
「ごめんって、次から気をつけるからさ。ところでそれ、何買ったんだ?」
「前にも聞いた気がするんだけど……」
何か言いたげにじとーっと目を細めたが、それ以上何を言うでもなく、光はテープを剥がし始めた。
「コスプレ衣装。ハロウィンに友達と集まろうって話になったの」
「へぇー、なんのコスプレだ?」
「キョンシーだよ」
光は内袋を破いて引っ張り出した中身を胸にあて、衣装の状態をチェックするため袖を持ち上げる。袖の長さとは正反対にズボンの丈は短いように見える。帽子に靴までセットになっているらしい。
「これ、サイズ合ってるのか? どんな感じか着てみたらどうだ」
「キョンシーだからこういうものだと思うけど、確認はしておいた方がいいよね」
シワになるといけないからと衣装一式が押しつけられる。汗がつくと言うべきだったのだろうが、俺の腕に掛けるや光はさっさと服を脱ぎ始めてしまったので大目に見てもらいたい。更衣室やお風呂の脱衣所では気にならないが、二人きりの部屋だと、線が入りつつある腹や胸板に妙な胸騒ぎを覚えてしまう。
全くの無意識のうちに伸びていた腕からコスプレ衣装が抜き取られた。
「こんな感じだけど……どう?」
だらりと垂れた袖に隠れた手で帽子を被ると、自分の尻を見るように体を翻す。ほつれやサイズのズレは無さそうだが、キョンシーと言うには何かが足りないような気がした。
「もしかして、似合ってない?」
違和感の正体をつきとめようと考え込んでいると、何かが足りないキョンシーが詰め寄ってくる。
「似合ってるぞ。ただ、何か足りないような気がしてな」
「そう言われると……あっ、お札! お札貼るの忘れてたよ」
光は長い袖で箱の中身を漁り始めるが、すっきりした顔はだんだんと曇って、傾きだす。しまいには箱をひっくり返したものの、内袋がぱさりと落ちただけでお札らしいものは出てこなかった。
「帽子と靴まで入ってるのにお札は入ってないんだな」
「写真だと入ってるみたいだったけど、入れ忘れたのかな。黄色い紙があれば作れそうだけど、あったっけ……」
「父さんが集めてるスーパーの特売チラシ、あれ黄色かったよな。細長く切って裏側に呪文っぽいの書けばいいんじゃないか?」
「絵の具あるし、それいいかも」
「じゃあチラシ取ってきてやるよ。下テレビ点けっぱなしにしてきてたから、ついでにさ」
当初の目的だったジャージを羽織って部屋を出ようとすると、だったらついでにと筆を洗うバケツを持たされた。
日付が過ぎているチラシを何枚か、それと水を入れたバケツを持って部屋に戻ると、勉強机の上では絵の具や筆の準備が整っている。
「持ってきたぞ。チラシこれで足りるか?」
机に肘をついて長い袖で口元を覆い、何か考えているふうに見える光に声をかけると、肩を飛び跳ねさせてこちらを向いた。
「あっ、うん、大丈夫だと思う」
光はキョンシー衣装を着たそのまま、袖を捲ってハサミを持ちだす。
「おい、まさかその格好のままやるつもりか? 危ないだろ」
「えっと……脱ぐのめんどくさくて……? ほら、お札作ったらまた着なきゃだし」
光の言うことにも一理ある。しかし、捲っても留まってくれず、すぐずり落ちてくる長い袖はどう考えたって作業に向かない。「作ってやるから貸せ」と言うと、やはり光にも危険だという自覚はあったらしくおずおずとハサミの柄の部分を差し出した。
受け取ったハサミでチラシを切り、絵の具を吸わせた筆を置く。ここで光から「あっ」と声があがった。下書きも何もしていない、そもそもキョンシーの札にどんなことが書かれているかもよく知らないが、もう引き返せない。とりあえず∞を二つくらい縦に並べたような形を一筆書きし、その下に介みたいな屋根と壁を書いてみるとそれっぽくなった。このままの勢いで何かそれっぽいことを書ききってしまおうとした俺の考えを察知したのか、光は『キョンシー お札』と画像検索したスマホを黙って机に置いた。
「ちょくれい……」
画面と書き途中の札を見比べて、キョンシーの札に書いてあるらしい字が入りきらないことに気が付く。書き直すしかないが、ここまで書いたのはもったいない気もした。次はお手本通りにやるとして、ひとまず自己流で書いた札を完成させようと入れる文字を考える。真っ先に思いついたのは自分の名前だった。
一と書き込んだところで、一星充と普通に書いてしまうのはつまらないなと思い直し、難しいほうの壱に変え。星は☆を一筆書きにして、最後に空いたスペースいっぱいに使って充と書いて。
「よし、出来た!」
袖で隠れた手で完成したお札を器用に掴むと、光は首を傾げてしまう。
「壱☆充……って、これどういうこと?」
「あぁ……キョンシーってさ、怪しげな術使うやつが操ってるだろ? こうして名前書いとけば、こいつは俺のキョンシーなんだって分かるかと思ってさ」
光の手から抜き取った札を、セロハンテープで帽子に貼り付けた。正直なところ特に意味は無かったが、キョンシーの格好をした光が自分の名前を書いた札を持っているのを見て思いついて体が動いただけだ。
札越しに光は俯いた。
光は右の袖をたくしあげて筆を握ると、予備のため切り出した何も書かれていない札に俺が書いたのと同じように図形と文字を書き、光で締めくくる。最後の一画はチラシからはみ出るくらいに筆先を跳ねさせたおかげで勉強机に絵の具がついた。
掠れた朱字の札にセロハンテープを貼り付け、俺の前に立つ。袖に包まれた手でジャージのジッパーを下ろすと、光は胸元に寄りかかってきた。
「兄ちゃん、トレーニングしてたんだね。汗のにおい……買ったばかりの服に付いてた」
長い袖に鼻を埋め、息を吸う。それと比較するかのように鎖骨に鼻を近づけ微笑んだかと思うと、大きく口を開いた光に噛みつかれた。
「痛っ……なにして、うわっ?!」
額を叩かれたと同時に卵98円の文字がぼやけるくらいドアップで映り込む。
「キョンシーに噛まれた人はキョンシーになるんだって。……これで、兄ちゃんもおれのキョンシーね」
光の顔が近づいて、口あたりだったか、お札越しに何か押し付けられた。視界はほとんど塞がれていたが、耳まで赤くなった頬はかろうじて見えた。
「なぁ、自分を操ってる札にキョンシーがそんな嬉しそうな顔してちゃダメだろ?」
動く死体の温かい肩を掴んでベッドに倒すと、捲れた札の下の潤んだ目と視線がかち合う。長い袖を垂らして腕を伸ばしてくる光と、クールダウンして冷えた全身に熱い血が巡っているのを感じる俺と、怪しげな術にかけられたのはどちらなのだろうか。