ハロウィンフェスとキョンシー ハロウィンフェスとは名ばかりに、制服として支給されたと思しいパーティーグッズをつけた店員と僕たちを除けば、ショッピングモールの中で仮装している人というのはほとんどいない。
「まあ、そうですよね……まだ昼に近い夕方だし、それにハロウィンは何日も先なんですから」
一星くんは指先まで覆い尽くす袖をだらんと垂らす。膝上丈のズボンから露出した脚を少しでも隠そうとしているかのようにも見える。秋に向けて肌を隠す服装へと移ろいゆく季節的に、待ちきれずに浮かれきっているようにしか思えない服装に、目を引くのも仕方ないことだろう。
それもそのはず、少し気が早いと一笑するには、ハロウィンに合わせて売り出されるグッズの撮影用衣装は手が込みすぎていた。僕は吸血鬼、一星くんはキョンシー。良くできていたものだから撮影が終われば用済みというのはもったいない気がして、撮影終わりそのままの格好で外に出てきたが、衣装を貰ってハロウィン当日に着るべきだったかと少しばかり悔やまれる。
「でも、人が少ないからゆっくり見て回れますね。ほら、あれとか美味しそうですよ」
腕を持ち上げて指をさす(?)先には、色とりどりのチョココーティングされた食べ歩きスイーツがある。トテトテと出店の方に小走りで近づいていく、一星くんの額で札がひらひら翻る。いかにもそれっぽい御札だが、呪言なんかじゃなくて彼の名前が書いてあるなんて、誰も思いもしないだろう。
キョンシーを追いかけてみると、つやつやのかぼちゃのおばけたちは顔くらいの大きさはありそうだ。
一人一個ずつ買おうとしたら一星くんに止められ、結局、ひとつだけ買って二人で分けて食べることにした。
「うん……やっぱり、一個を二人で分けるようにして正解だったと思います」
最初の一口を食べた一星くんは、胸元にこぼれたカスを袖で払うと棒つきかぼちゃおばけを差し出す。受け取るとそれはずっしりと重たい。チョココーティングにかぶりつくと、甘さ控えめ食べごたえのあるドーナツだった。
一口齧ったら渡し、一口齧ったら渡し、それを何度か繰り返しながら、ハロウィン仕様のショッピングモールを歩いているうちに、人が少しずつ増えていく。学校帰りに友達同士で来た女子のグループなんかは仮装をしており、人口密度が高まるのに反比例して僕たちの格好の違和感は薄れた。
飲み物を買わないで大きいドーナツをゆっくり食べていたおかげで時間の感覚がズレていたのかもしれない。夕飯時にさしかかると、来たときには空いていた店内は身動きがいくらか制限されるくらいの人混みができていた。
最後の一口を一星くんに譲ろうと声をかけたが、返事がない。横を向くと、彼はいなくなっていた。
はぐれてしまった。目立つ服装だからすぐに見つかるだろうと周囲を見回してみても、長い長い袖の端きれすら見つけられない。電話をかけてみたが、着信音はおそらく聴こえていないだろう。
人混みを突き破ってにょっきり伸びてきた袖に腕を掴まれた。
「こっちです」
一星くん。僕が名前を呼んだことに対しての返事か、それ以降は呼びかけても何も言わず、振り返りもしない。前後左右も分からず引っ張られるまま人混みを抜けた。
階段を登ってきたような感覚はなかったように思うが、階を移動したのかと思うほどに人の姿は無い。それどころか話し声や足音すら聴こえてこない。
最後の一口(大きめ)が残った棒を渡そうとすると、彼は「いりません」と無愛想に言い切り、体ごとこちらに向き直った。
「とりあえずここでピークが過ぎるのを待ちましょうか」
表情を一切動かさないまま一息に言った。これもまたずいぶんと無愛想に聴こえる。最初の音から最後までずっと高低差がない、抑揚というものを取り払った喋り方に原因があるのだろう。
それから彼は腕をだらりと垂らして直立の姿勢をとる。まったく揺れない立ち姿に違和感を覚えた。
長い袖や膨らんだズボンとゆとりのある部分とは対照的に、胸元からベルトを結んである腹部にかけては直線的なシルエットになっている。つまりは一星くんの体に沿っており、呼吸をすれば少しは膨らむはずであるのに、胸もお腹も微動だにしない。
「野坂さん キョンシーの格好してから俺ずっと考えてたことがあるんです」
一歩。関節が錆びた玩具を思わせるぎこちない動き方でこちらに近付く。
「キョンシーって噛みつくだけじゃなく人間の首をねじ切って血を飲むらしいです 関節が固まってろくに歩けもしない 飛び跳ねるだけの死体がどうして 生きた人間の首をねじ切ってまで血を飲もうとするんでしょう」
言葉を途中で区切りはするものの、聞いたところ疑問を投げかけているような内容で語尾はまったく上がらない。
また一歩。滑らかさのない歩みで近付く。
壱☆光という札の朱字が融けるように崩れた。
「人間の理性がなくなって凶暴化してるから 飢えを満たしたいから それは違うんじゃないかと もしかしたら 冷たくなった血管に新鮮な血を流すことで元に戻ろうとしてるんじゃないかって思ったんです」
抑揚は全く無いのにしっかりと区切られる喋り方は、寿命に抗う壊れかけのミュージックプレーヤーのようだ。それに加え口をほとんど動かさない発声が違和感を加速させる。
一歩。呼気、というより薄く空いた口の隙間から吹いてきた冷たい腐敗臭に背筋が寒くなる。
おもむろに腕が持ち上がったかと思うと、袖に隠されていた手が露になった。温かい血が流れているようにはとても思えない青白い指先には獣の牙みたいに長く尖った爪がある。
「彼らはきっとそうして誰かに会おうとしているんです 俺みたいにね」
首を挟み込む両手はありえないほど冷たく、硬い。指が曲がって気道に強い圧がかけられたところで、ばきりと何か折れる音を聴いた。
🦇🎃
「さん……野坂さん!」
揺さぶられて目を覚ますと、札の向こうから心配そうに覗き込んでくるキョンシーがいた。
「もう、どこまで行ってるんですか! ここ三階の端っこですよ! もしかしたら別の階に行ったのかと思って探していたら着信音が聴こえたので来てみたら……立ったまま気を失っているようだったので驚きましたよ」
深いため息を吐く一星くんの言葉を聞き、よくもそんなところまで探しに来たものだと感心してしまう。それだけひとりぼっちで不安だったのだろう。
ハロウィンフェスの出店が並ぶ一階と比べたら空いているが、そう遠くないところに人の気配を感じる。
「もう会えないかと思いました」
声を震わせて俯いてしまった彼に、かぼちゃおばけドーナツの最後の一口をあげようと思い、ずっと握っていた棒を見やる。床に落ちて砕けたドーナツが目に入った。
棒は折れてしまっていた。木の繊維が渦を巻くようにして尖った先端は折り曲げてできたとは思えない。限界まで捻ったらこんなふうになるのだろうか。
夕食は好きなものを奢ってあげるよと許しを請うと、一星くんはすこしだけ期限を持ち直したらしい。
「じゃあ、一階のレストラン街に行きましょう。混んでいるでしょうけど、今度は迷子にならないでくださいね」
キョンシーは腕を軽く折り曲げて袖を垂らし、いたずらっ子っぽく舌先を覗かせた。