家出息子たちの帰還.1 ───ダスカー人の中には人間がその霊魂を喪失したことにより病が生ずる、と考えるものたちがいる。彼らの中で病人が出ると巫者はその魂を探すための儀礼を行う。(中略)一方でパルミラの霊媒文化は国土が広いこともあり、寄り合い所帯のようになっている。一言では言い表すことは不可能だ。だが基本的には災厄の原因を霊的に突き止め、除去することに変わりはない───
クロードは仕立ててもらったばかりの士官学校の制服に身を包み、言われていた通りに扉を叩いた。書斎にいる祖父は先ほどは制服姿を見せに来い、と言っていたが昼食後しばらく経っていてこの陽気なのでうたた寝をしているのではないだろうか。数秒待ってみたが反応がない。いつもなら入室を促す声がする。
予想があっているのか確かめるため、クロードはそっと扉を開けた。陽当たりの良い窓のそばで大きな椅子に座った老人が気持ちよさそうに目を閉じている。声をかけるべきかクロードは迷ってしまった。
ゴドフロア一家が事故で亡くなって以来、ずっと眠りが浅かったのだと召使や家臣たちから聞いている。クロードは霊魂といった超自然的な存在を感じ取れるわけではない。だが目を開けてリーガン家の屋敷で過ごしていれば嫌でも飛び込んでくる───別に嫌だと思ったことはないが。
例えば今、祖父がうたた寝をしている書斎にはゴドフロアから父であるオズワルドに贈られた蒸留酒の瓶が置いてある。針金を使って文机の引き出しを開いた時は愛らしい子供の字で書かれた祖父宛の手紙を見つけた。そもそも廊下や居間に彼らの肖像画が飾られている。肖像画が真実を伝えているなら、彼らとカリード、いやクロードの母ティアナはよく似ていたし、彼らと自分も似ているような気がした。クロードは彼らと一度も顔を合わせたことはない。だがリーガン家に入って以来、ずっと叔父一家の存在を感じている。
いずれクロードの絵も飾るのだ、と言って祖父は画家を何人か呼んだ。素描を描かせてああだこうだと話していたのでそのうちクロードの肖像画も廊下や居間に飾られるのだろう。パルミラの王宮にいた頃に肖像画を描こうと提案されたことなどない。だから少しこそばゆい気持ちになった。
祖父が今、瞼の裏で失った者たちと会っているのなら───起こすのは正しい行為なのだろうか。祖父は妻も息子一家も失っていて、クロード一人でその穴を埋められるとは思えない。躊躇していると祖父の白い瞼が上がり、自分と同じ緑色の瞳が現れた。制服姿のクロードを見て微笑む祖父の瞳は先ほどまで何を見ていたのだろうか。
ローレンツたちにはねえやがいた。優しくて美しかったことだけ思い出してやるように、と両親から言われている。グロスタール家の本宅で子守を任されていたのだから身辺調査は完璧だった。彼女はグロスタール家の家臣と恋に落ち───今はもうこの世にいない。彼女を裏切ったという家臣も行方不明だ。
嬉しそうに恋人の名を口にしていたねえやの弾むような声や喜びに満ちた表情をローレンツはまだきちんと覚えている。褒め上手で明るくて愉快で、多忙な両親が不在でも彼女がいてくれたからローレンツたちは寂しい思いをせずに済んだ。グロスタール家の本宅も狩猟小屋もエドギアの街中もねえやとの楽しく幸せな思い出に満ちている。
子守と実母の仲は難しい、というのが一般論だ。子守が仕事を上手くやればやるほど子供の気持ちが実母から離れてしまうため、雇い主である高貴な女性が子守相手に拗ねてしまうのだという。だがローレンツの母はねえやの死後にしばらく伏せってしまうほどに彼女がお気に入りだった。彼女を裏切った家臣は今頃どこで何をしているのだろうか。彼は他にも問題を起こしていたらしく、エルヴィンが領主の名の下に探させている。だが未だに生死すら分からない。
その後しばらくしてグロスタール領とリーガンの境でリーガン家のオズワルド卿一家が事故死した。ローレンツの父エルヴィンは家の内でも外でも落ち着かない日々を過ごしている。ローレンツたちは父の無実を信じているが、未だによからぬ噂も絶えない。あれ以来エルヴィンはひどく慎重になり、ローレンツは政情不安を理由に志半ばでフェルディアから自領に戻ることになった。
機会があるたびに魔道学院への復学を願い出ているが、きっとこのまま自領に留まることになる。人脈を自力で広げることを半ば諦めていた頃にローレンツは父の書斎に呼び出された。机の上には封が切られた書簡がある。
横目で確認するなど貴族らしからぬ行いだ。しかしローレンツの意識はどうしても差出人名に引き寄せられてしまう。もしかして直筆なのだろうか。そこには大司教レアの名が記されていた。
「魔道学院に戻してやれずにすまないな。代わりに士官学校はどうだろうか?」