家出息子たちの帰還.10───巫者が精霊や神と交流を持つ際にどのような手順を踏むのか、は巫者自身の魂をどう扱うのかによって変化する。ダスカーの巫者は己の肉体から魂を抜き、空き家状態となった肉体に精霊や神を宿して助言を得る。助言の内容を巫者は把握することができず、依頼人や助手に聞き取って貰わねばならない。(中略)安全に魂を抜くには手順が決まっている。太鼓に合わせて歌いながら踊るのだ───
士官学校の舞踏会は白鷺杯の翌日に行われる。制服着用で本来の舞踏会より地味な催しだが、ルミール村で見てしまったものから気を逸らすのには丁度いい。《家も人も黒焦げだ》舞踏会に慣れている貴族階級の学生は淡々としているが、平民や位階があまり高くない貴族の学生からすると王子や皇女と踊る一生に一度の機会だ。《そのまま突き飛ばせ》ディミトリもエーデルガルトも忙しい夜になることだろう。
怒号や悲鳴より足を踏んだ踏まれたぶつかった、と言う刺激の少ない会話の方が耳に心地よいからだろうか。《浮かれるな、お前の手は血まみれだ》今日は亡霊たちの声がうるさい。
「殿下、どこかお加減でも悪いのですか?」
授業が終わっても着席したまま考えごとをしていたせいか、心配したドゥドゥーがディミトリに声をかけた。彼の耳飾りが放つ鈍い輝きが気に食わないのか亡霊たちは言葉は意味を失い、甲高い声できいきいと叫んでいる。
「いや、何でもない。白鷺杯も絶対に観に行くつもりだ」
だからディミトリは嫌がらせのように人生を楽しむことにした。ベレトの踊りは剣技にも役立つ、という理屈でフェリクスが丸め込まれた件の顛末は絶対にロドリグに伝えてやりたい。
「そうですか、外に出て少し日に当たりましょう。俺もお供します」
ダスカー人であるドゥドゥーは幼い頃、たまにディミトリが理解できないことを薦めてきた。枝に布を掛ける、銅貨を煮る、地面の四隅に牛乳を注ぐ、などだ。大人に見つかると叱られるので殆どの提案は習慣として残っていない。だが日の光にあたるという行為だけはこうして根付いている。
中庭に出ると陽光の下でローレンツとヒルダによる宮廷舞踊の講座が開かれていた。二人とも一見そうは見えないのだが実は面倒見が良いし、周囲をよく観察している。クロードや不慣れな平民の学生が何かしでかさないか、が心配なのだろう。
レスターのものたちが騒いでいるので静かなところに移るべきか否か、をドゥドゥーが視線で問うてきた。賑やかな方がずっと良い。ディミトリは首を横に振った。
リーガン家に入った後、クロードが一番手こずったのが宮廷舞踊だった。パルミラでは身体を密着させて踊らない。それにこちらの女性は盛装する際に肩をむき出しにするのでなんだか落ち着かなかった。だが幸い士官学校の舞踏会は制服を着用することになっている。
多少の練習は積んだが、気の毒なことに平民の学生たちは場の雰囲気にのまれていた。国にたった一人の皇女や王子と踊る機会など、今日を逃せば彼らの生涯に訪れるはずがない。見えない仕切りの中で縮こまって快適に過ごす連中が嫌いだからクロードはフォドラにやってきた。
それならこの場でやることは決まっている。クロードは踊らずその場で佇んでいるものたちに視線を向けた。一番の人気者が不思議そうな顔で踊る学生を眺めている。
クロードがそんなベレトの手をとって大広間の真ん中に踊り出ると予想通り、周囲はざわめいた。踊り出てはみたもののクロードもベレトもディミトリやエーデルガルトのように宮廷舞踊に慣れているわけではない。曲が終わる頃には単に音楽に合わせて歩いているだけになってしまった。
だが場の空気は温まり、あちこちに会話の輪が生まれている。そこから予想外の組み合わせが広間の真ん中に文字通り踊り出ていく。クロードがそんな微笑ましい風景を肴に杯を傾けていると背後から声をかけられた。振り向くと皆に踊りを教えていたヒルダが苦笑している。
「クロードくん!出入り口も開いたし、ここが混んでるうちにそっと出ていった方がいいよ。怒られる前にね!」
確かに先ほどまでは全て閉じていた出入り口が何箇所か開放されていた。二人きりになりたい二人、がそれぞれに出ていくのだろう。クロードはヒルダの助言に従ってそっと大広間を後にした。今晩は仕切りの内も外も浮き足立っている。
人気のない場所ならどこでもいいのかと思ったが、案外女神の塔がある方へ向かっていくものが多い。幸せな風聞を信じているのは誰なのか確かめたい、という欲望がわく。クロードは好奇心のままに行動する喜びを知るものとして振る舞うことにした。
ダスカーの悲劇からファーガスが真に立ち直る日は来るのだろうか。これまでドゥドゥーはその件に関して悲観的だった。大多数の人々が悲しみから立ち上がる杖として憎悪を選び、同じ場所で足踏みをして過去を見ている。だが、昨晩と今晩は違った。
イングリットがその頃には陛下とお呼びしなくてはならないと言い、ディミトリも皆窮屈な身の上になっている、と言い返していた。これが特別な夜の奇跡というものだろうか。そして二日目の特別な夜はクロードのせいで更に攪拌された。
「ああ、疲れた!槍を振るう方がずっと楽だ!」
ディミトリは自室に戻って早々に愚痴をこぼしたが、その表情は明るい。ドゥドゥーは黙って青い外套を受け取り、形が崩れないように畳んだ。今は主人の言葉に耳を傾けていたい。
「でも……あぁ……言葉が出てこない、胸がいっぱいだ」
フェルディアの舞踏会ではいつも途方に暮れたような顔をしていたが、今晩のディミトリは活き活きとしている。イングリットがラファエルと、フェリクスがレオニーと踊ったからだ。二人ともグレンが亡くなって以来、舞踏会に出席したことがない。極論を言うとドゥドゥーはディミトリさえ幸せであれば他のものはどうでもいい。だが、ディミトリは他人や民が幸せでなければ幸せになれないのだ。だからドゥドゥーはイングリットにもフェリクスにも幸せになってほしい。蜂起したダスカーの民を救うため教会とベレトに頭を下げたディミトリが幸せになれないなら世界の方が間違っている。
「レスターのものたちは皆、大胆ですね。クロードの影響でしょうか」
ディミトリが手を差し出してきたのでドゥドゥーは籠手の紐を解いた。まだ少し早いが今晩は流石に書庫へ行かないのだろう。人前に出る可能性がある時、ディミトリは絶対に籠手を外さない。
「そうだな。場の雰囲気がああなったのはクロードのおかけだ。礼を言おうとしたらいつの間にか大広間から消えていた。疲れたのかもしれないな……」
ドゥドゥーはロドリグからディミトリとフェリクスの異性関係について探りを入れられたことがある。現状を知って深くため息をつき、士官学校から去っていった彼の姿は忘れ難い。きっと今の自分と同じ気持ちだったのだろう。